ヘタレ投資家ヘタレイヤンの読書録

個人投資家目線の読書録

アガサ・クリスティ とらえどころのないミステリの女王

ルーシー・ワースリー 訳・大友香奈子 原書房 2023.12.25
読書日:2024.2.23

遺族が提供した資料を交えたアガサ・クリスティの最新評伝。

母親がミステリ好きだったこともあって、わしの実家には結構ミステリがあったので、アガサ・クリスティももちろん読んだ。たぶん最初に読んだのは「アクロイド殺し」だったと思う。で、面白かったかと言えば、あまり面白くなかった。わしはミステリを読んでも、面白いと思ったことはほとんどない。(例外はシャーロック・ホームズ。これは気に入った)。

そんなわしでも、アガサ・クリスティがいまだ人気だということは知っている。ほとんどの作家に言えることであるけれど、ミステリ作家は使い捨てである。亡くなると読まれることはない。わしはエラリー・クイーンっていまだにミステリの古典なのかと思っていたが、本国のアメリカでは忘れられた作家なんだそうだ。売れているのは日本だけらしい。なのに、アガサ・クリスティはまだ世界中で売れているのである。何が違うのだろうか。

こういう話になると、すぐにブランド化に成功したから、などという説明がつくことが多い。でも知りたいのはなぜブランド化に成功したのか、そしてなぜブランドの魅力が衰えずに今でも売れているのか、ということだ。

アガサは最初の一作目はなかなか売れなかったが、安いお金で働いてくれる作家を探していた出版社に買われるとすぐに人気作家になった。

おそらくアガサが人気だったのは、内容がちょっとスキャンダラスだったからだ。彼女はこれまで当然と思われてきた約束事を破ることに躊躇しない。たとえば「アクロイド殺し」では信頼できない語り手(語り手が犯人)、という新ジャンルを開拓した。また、子供が犯人というジャンルも開拓した。彼女は新しいフォーマットを創造したのである。このような賛否両論の起こるような作品を書いて評判にならないはずはない。

そして本人自身もなかなかスキャンダラスだった。1926年の失踪事件は、いろいろな経緯があったにしても、イギリス中の話題になった。これによって謎めいた雰囲気に磨きがかかって、ますます売れるようになった。

そして、毎年、必ず何冊か本を出した。たゆまず新作を出し続けるというのは、ブランド化に必要なことだ。これはきっと若い頃に家が破産して、お金に苦労したからだろう。休むことを嫌っているのだ。そして、本人はこれは仕事だとはっきり認識していた。

そして彼女には、なぜか人生が苦境になると傑作を出すという習性がある。おそらく創作の世界に逃げ込んでいるのだろう。だけど、集中できるものがあるというのは幸いだし、それが結局彼女の場合はプラスになった。

つぎに文章の特徴だが、その時代のみに通用するような内容を入れないのだ。つまり、アガサの小説は、キャラクターだけで成り立っていて、情景描写は少ない。本人もできれば会話だけで書きたいくらいといっている。(なので、実際に脚本もけっこう書いていて、「ねずみとり」はロングランの記録を作っている。)。

そういうわけなので、こういうキャラクターのみの小説は、その時代特有のものが少なく、いつでも感情移入ができるので、古びず、時代を越える可能性が高いと言えそうだ。またキャラクターもちょっとだけ世間の動きを先取りしていた(とくに女性)。そして、そのようなキャラクターで成り立っている作品は映画やテレビドラマにも最適だということだ。時代背景ではなく、俳優の魅力で話をすすめることができる。なので、映画やドラマになるたびに、また本が売れるのである。

もうポワロはさすがに厳しいかもしれないけど、ミス・マープルはこれからもキャラクターとしては使えるんじゃないかと思う。きっと再ドラマ化されるんじゃないかな。

**** メモ *****
知らなくて、ちょっとびっくりしたこと。
(1)教育レベルは高くなかった
大学に行っていない。へー、そうなんだ。
(2)とてもモテた
若い時たくさんの求婚があったそうだ。でもちょっと子供っぽいパイロットのアーチーに猛烈にアタックされて、結婚。その後、浮気されて離婚。離婚後もモテて、再婚。
(3)家マニア
家を買うことが趣味みたいになって、最大で8件の家を買った。
(4)旅行好き
これは別に意外ではないが、旅行先の話は必ず小説に取り入れていた。これは税金対策で、旅行費用を経費で落とすため(苦笑)。
(5)子供は嫌い
自分の子供の面倒はあまりみなかった。
(6)子供時代は裕福だった
実家は破産する前はとても裕福だった。そのころの裕福な暮らしをずっと続けようとしていたので、じつはいつもお金に苦労していた。(高税率のイギリスだけでなくアメリカにも納税しなければならず、いつも税金に苦労していた)。
(7)どこにでもいる主婦を演出
失踪事件後、マスコミに追いかけられて嫌気が差したので、どこにでもいる主婦の雰囲気を醸し出し、皆に気付かれないことを楽しんでいた。職業欄には必ず「主婦」と書いた。

★★★★☆

裁判官の爆笑お言葉集

長嶺超輝 幻冬舎 2007.3.30
読書日:2024.2.18

裁判所の傍聴マニアが、裁判官の印象に残ったお言葉をまとめた本。

爆笑と書いてあるけど、それはほとんどない。いくつかクスッと笑えるものがあるだけだ。裁判なんておおむね深刻な状況だから、そもそもそんなに笑えるものにはなりえないのだ。

というわけで、題名に偽りありだなあ、と思っていたのだが、読んでいて古い事例が多すぎるなあと気がついた。不審に思って、奥付をみて驚いた。この本は初版が2007年と古い。そして、わしが読んでいた本は2023年の第33版だったのだ。

えーっ!

ネットで調べてみると、本書は累計35万部以上、シリーズ累計で100万部前後の発行部数で、それ自体がニュースになっていた。

著者は司法試験を目指して残念ながら落ちて、でも裁判が好きで通っていた人だそうだけど、いやー、これは本当にひと財産作りましたねえ。著作権は死後も50年間保護されますから、著者は子孫にいい財産を残しましたね。

というわけで、本の中身よりもそっちに驚きました。(正直あんまり面白くないし)。

全然知らずに、図書館に予約しましたけど、何ヶ月も待たされましたよ。いやはや。

★★☆☆☆

ナチュラル・ボーン・ヒーローズ 人類が失った”野生”のスキルをめぐる冒険

クリストファー・マクドゥーガル 訳・近藤隆文 NHK出版 2015.8.30
読書日:2024.2.7

BORN TO RUN」で、人間はもともと走るようにできていることを語った著者が、その他に人間がもともと持っている野生の能力をクレタ島の人たちの身体能力を中心に語った本。

「BORN TO RUN」ではウルトラマラソンに挑戦する人たちが出てきて、人間はなぜこんなに走れるのかと問い、もともと人間は走って動物が熱中症で動けなくなるまで追いかけるような猟をしていたということを語る本だった。(そしてもともと裸足で走れるような身体構造をしているのだから厚底シューズは必要ない、とかも)。

でも、人間の失われた能力はそれだけじゃない。

というわけで、今回もクリストファー・マクドゥーガルは自分が体験したさまざまなことを関連付けて(けっこう無理無理だけど(笑))、一本の筋にまとめ上げたのが、これかな。

今回、人間がもともと持っていると主張するスキルは、(1)炭水化物の糖の代わりに体の脂肪を燃焼させる方法(たぶんケトン体代謝と同じ)、(2)身体を覆っているゴムスーツのような筋膜を使った効率的な身体の動かし方、そして(3)パンクラチオンという格闘技の話(もともとは戦場における何でもありの格闘技)、なんかが出てくる。

これがすべてが関係する土地として、クレタ島が出てくるのだ。クレタ島はミノス文明という古代文明の発祥の地でもあり、地中海食として有名になった食事はもともとクレタ島で発見されたものだったし、西洋の格闘技の原点であるパンクラチオンの発祥の地でもある。

クレタ島は第2次世界大戦でナチスドイツの占領に強硬に反抗した島であり、ナチスドイツは8万人という兵士をこの島に釘付けにされて、ロシアへの攻撃が遅れたことがドイツ敗因のひとつにあげられているそうだ。当時、そんなクレタ島を英国も最大限援助した。その島では、英国の諜報機関がドイツの将校を拉致してエジプトまで連れて行った、という事件も起きている。そしてこの拉致事件がどんなふうに行われたかというのが、よく分かっていないのだ。

著者は身体の話とは別にこの拉致事件の解明に夢中になる。

イギリスはご承知の通り、誰も取り組まない沼にハマる人たちが多いところで(この辺は同じ島国の日本とそっくり)、同じ問題に取り組んでいるイギリス人たちと一緒にクレタ島に行く。そこで発見したのは、クレタ島は山がちで岩だらけの土地だが、その土地を高速に移動できる人たちがいるということである。当時、この島のあちこちに英国情報部の拠点が置かれ、その間をクレタ島の住民が伝令となって情報を運んでいたのだそうだ。ほとんどまともな食事もしないまま、東西200キロの普通の軍隊が活動できないような厳しい地形の山岳地帯を伝令が跳び回っていたのだ。

超人的な活動だが、彼らは島の普通の羊飼いなのである。彼らの身体はどうなっているのか。

(1)地中海式の食事では穀物はあまり取らずに、タンパク質と脂肪の摂取が中心になる。したがって、彼らは糖分でなく脂肪を燃やすことでエネルギーを得ていたのだという。脂肪からエネルギーを取り出す場合、脂肪の蓄積は多いから長時間の活動が可能となる。(2)岩がちな山を越える動きは、筋肉ではなく、身体のバネを使った効率的な動きをする。このバネは筋肉ではなく、筋肉を覆っているゴムスーツのような筋膜をうまく使った動きだ。この動きは現代のパルクールとも一致している動きなのだという。この人間が自然に持っているバネの動きは、格闘技にも応用されているそうだ。

というわけで、クレタ島拉致事件の真相の解明と、運動の話が交互に話される。

まあ、最初に述べたとおり、ちょっと無理やり感はあるんだけど、どちらの話もそれなりに面白かったです。とくにイギリスの諜報部の面々が、普通なら使えないハグレモノたちの集団だったというのが良かったかな。

印象的だったのは、脂肪を燃焼させる仕方を身につけた運動生理学のノークス博士が、ちっとも空腹を覚えない身体になったという話かな。脂肪たっぷりの食事をとると、二日間ぐらい食事なしでも食べていないことに気が付かない身体になるんだそうだ。うーん、これはなかなか便利かも(笑)。

もちろん、拉致事件の詳細も解明されます。

★★★★☆

 

万物の黎明 人類史を根本からくつがえす

デヴィッド・グレーバー デヴィッド・ウェングロウ 訳・酒井隆史 光文社 2023.9.30
読書日:2024.2.17

農業の始まりが私的所有と不平等を生み、ヒエラルキーが形成され、都市や国家を生んだというビッグヒストリーの思い込みを破壊し、近年の考古学や人類学の研究の進展から、人類は過去にいろいろな社会を自由に実験しており、今後も社会的な実験を行う自由を放棄する必要はないと主張する本。

この本を読んで、なんでデヴィッド・グレーバーは亡くなっちゃったんだろう、と本当に思う。生きていれば、もっといろいろなことを教えてくれただろうに。彼はこの本を完成させて、3週間後に亡くなったのだそうだ。でも、この本を完成させてくれて本当に良かった。それに、いまでは双子と言えるくらいに、同じ思想を受け継いだもうひとりのデヴィッドも世界に残してくれた。本当にありがとう、デヴィッド・グレーバー。

二人のデヴィッドが10年という歳月をかけて完成させたこの本が多くの人から称賛を浴びているのは、二人が突拍子もないことを言っているわけではないということがあると思う。

とくに考古学上の新しい発見が重なるにつれて、何かしっくりいかない、というもどかしい状況が続いていたんだと思う。それは、例えば日本の三内丸山遺跡のような縄文時代の大規模な集落の遺跡である。このような農業以前の新石器時代の遺跡が世界中で発見されている。その考古学上の発見の内容はあまりにバラエティに富んでいて、

穀物を作る農業→余剰による私有財産と格差の発生→国王と国家と都市の誕生

というこれまでの歴史の流れを示すセントラルドグマにうまく合わないのだ。なにしろ農業以前にこのような大集落が誕生している事自体がこれまでの常識に反している。

そもそもこの仮定自体が、ルソーの空想的な原始の人類から来ている。ルソーの空想的な前提はこうだ。原始の時代、人類は平等だった。なにも財産と言えるものがなかったからだ。地球全体が誰のものでもなかった。ところが農業が始まると、勝手に土地を区画し、ここは自分のものだと主張するようになった。こうして私的所有が発生し、持つものと持たざるものに分かれ、ここから不平等が発生したのだという。農業が不平等の起源だというのだ。

二人はこの課題設定自体がおかしいという。そもそも「不平等の起源は何か」と課題を設定した時点で、最初は平等だったという仮定が含まれてしまっているからだ。

しかも農業がそんなに魅力的だったなら、それを手にした人類はすぐに農業に邁進するはずである。ところが、農業らしきものが発明されてから3000年以上も、穀物中心の農業革命に突き進むことが起こらなかったのだ。これは有名なパラドックスで、たとえばジェームズ・C・スコットが「反穀物の人類史」でこの謎に挑んでいる。

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実際はどうだったのかというと、狩猟採集民にとってコムギやマメなどの栽培は、多くある選択肢の一つで、やってもやらなくても良いものだったのだ。つまり遊びの一種だったのだという。実際に栽培をしていた部族の隣の部族では、農業というものを実際に見て知っていたにも関わらず、自分たちはしない、と決めた部族がいたり、やっていたのにそのうちにやめてしまったという例もある。

結局、穀物を必死に作っていたのは、穀物を作るぐらいしかやっていきようがなかった土地に住み着いた人たちだったというのが、二人の理解のようだ。そういうわけなので、農業が不平等の起源というのは端的に間違っているという。もともと平等でも不平等でもなかったというのがふたりの回答なのだ。

なるほど、農業が起点ではないといことは認めるとしよう。しかし、たくさんの人が集まった、それこそ人口が数万人規模という遺跡が世界で多数発見されている。このような遺跡には大勢の人がいるのだから、それを管理するためには何らかの官僚組織が必要だろうし、意思決定を素早くするには首領や国王といった存在が不可欠なはずだ。つまり、何らかのエリート層とそれ以外の社会階層が誕生していただろう、と考えるのが妥当なのではないだろうか。

つまり、人口の規模によって、

バンド(数百人程度)→部族(数千)・首長制(数千〜数万でエリート階層出現)→国家

という流れだ。これは文化人類学におけるセントラルドグマだ。

さて、首長、あるいは官僚のような特権的なエリート階層が発生したかどうかは、そのための建造物があるかどうかで判断できる。墓や宮殿、寺院のような広く特別な場所だ。一定規模以上の集落や都市にはこのような特別な場所が必ずあるはずだった。

ところが、数万から大きいと10万人に達するような巨大都市が発見されているが、そのような特別な場所がまったくない都市がたくさん見つかっているのである。都市はちょうど一家族分の規格化された土地に区切られ、大量の同じような家が作られ、みな平等なのである。まるで現代の団地のようである。ただの住宅の集合体のように見えるため、遺跡とは呼ばれずに「メガサイト」と呼ばれている。(ウクライナのネベリフカ、メキシコのテオティワカンなど)

このようなメガサイトはどのように運営されていたのだろうか。証拠はまったくないが、例えば地区ごとに自治が行われ、全体の意思決定が必要なときには地区の代表が集まったのだろうと推測されている。つまり皆が平等で、民主的に、交代で運営されていた可能性がある。

いっぽう、最初はたくさんの人を集めていたけれど、エリートが出現し管理が厳しくなると、とたんに人が消えてしまったらしいメガサイトもある。つまり、メガサイトに住んでいた人たちには、管理されそうになると、それに反抗し逃げるという自由があった。

さらに新石器時代では、普段はバンドごとに散り散りになっているが、特定の時期だけに特定の場所に集まって季節的な大集団になるという形態も存在していた。このような場合は、集まっているときには首長に大きな権威があるように思えるけど、その時期が終わってしまうとその権威はまったく失われてしまう。彼の周りは無人になってしまうのだから当たり前ではあるが。

つまりこうだ。新石器時代の人たちは、自由にいろいろな社会構造を試しており、こうでなければならないという制限はないのである。

ところで、管理されるのが嫌だと逃げたとして、彼らはどこへ行ったのだろうか。行くところがあったのだろうか。

しかし、現代にいるわしらから見ると驚くほど大胆に彼らは移動していたらしい。この農業以前の時代の人達は、とても長距離の旅をする人たちだったのだ。それこそ、大陸をまたいで移動することも珍しくなかった。

これはアメリカの例だが、ネイティブアメリカンの人たちは、クラン制度というものを構築していて(クマとかイヌとか動物をモチーフにしていた)、他の部族に行っても同じクランの人たちがいることが期待できたんだそうだ。そして同じクランの人たちは仲間として世話をしてくれることになっていたという。たとえ言葉がわかりあえなくても問題なかった。だから気軽に移動ができたそうだ。

(なお、この本にはアメリカの話がたくさん出てくる。なぜなら、アメリカとユーラシアは人の行き来がなかったので、独立した歴史を持っているから、比較対象として都合が良いからだ。)

つまり農業以前の世界には、次のような自由があったという。

(1)移動する(逃げる)自由
(2)命令に従わない反抗する自由
(3)いろいろな社会的現実を試す自由

の3つである。
さすがアナーキストとして有名なデヴィッドの発想、という感じがするのはわしだけではないだろう(笑)。

この中でいちばん重要なのは、(1)移動する自由、であり、これが損なわれると、(2)の反抗することは難しくなり、さらには(3)のいろいろな社会を試すことも不可能になる。

だから二人は、課題設定を行うのなら、ルソーのような「平等が失われたのはなぜか」ではなく、「自由が失われたのはなぜか」というほうがふさわしいという。「不平等の起源」ではなく、「閉塞の起源」を問うべきだという。

では、なぜこのような自由が失われてしまったのだろうか。

じつはこの答えははっきりと書かれていない。それはこれからの課題だ。しかし、社会構造は家庭の構造を反映している、と二人は考えている。家族制でもっとも抑圧的なのは家父長制である。したがって、自由が失われてしまったのは家父長制の誕生と関係があると考えているようだ。

農業以前の自由な時代、決して女性の地位は低くはなかった。それどころか、女性が中心になって政治を行っている集団もたくさんあった。それに農業革命は植物を栽培をしていた女性が引き起こしたものと考えられている。しかし家父長制が誕生すると女性の地位は下げられてしまった。

家父長制がどのように誕生したか、それもよく分かっていない。しかし、二人のデヴィットは興味深いヒントをフリッツ・シュタイナーの研究から導いている。シュタイナーは奴隷制度に至る前の前奴隷制度について検討している。それによれば、奴隷化はおそろしいことに慈善(チャリティ)から始まるのだという。

首長の宮殿には、負債や過失などから一族から追われたもの、漂流者、犯罪者、逃亡者など何らかの原因で居場所を失った人たちが集まってくるという。そのような難民は最初は歓迎され神聖な存在として扱われるものの、徐々にその地位を下げられていく。彼らはどこにも行き場がないから集まってきたわけで、そのような扱いをうけてもどこにも行きようがない。このようなどこにも行き場のない人たちを家族に組み込めば、家父長制度の誕生となる。

そういえば、DVをするような男性は、自分に逆らえない女性を妻にすることはよくあることですよね。

(なお、ジェームズ・C・スコットは「反穀物の人類史」で、メソポタミア都市国家は城壁に囲まれているがこれは防衛のためではなく、戦争で捕虜にした奴隷を逃さないため、としている。移動の自由を国家が制限しているわけだ。これも証拠はないけど、有り得そうな話。)

***メモ1 国家誕生のモデル***
二人のデヴィッドは国家誕生のモデルを載せているけど、わし的にはいまいち説得力がない。
でもまあ、せっかくだからここにメモを残しておく。

二人によれば、国家は三つの原理から成り立っているという。
1.暴力の統制(主権) 2.情報の統制(行政管理) 3.個人のカリスマ性
どれかひとつでも成り立っていれば、人が集まってくる。これを「支配の第一次レジーム」と呼ぶ。それに残りのうち1つが加わると、「支配の第二次レジーム」となり、国家は少なくともこの第二次レジームの要素を持っているという。そして、三つとも持っていれば「支配の第三次レジーム」となり、支配が完成する。

***メモ2 ホッブスについて***
人類の社会の起源については、ルソーよりも前にホッブスの理論がある。人間はもともと利己的で「万人の万人に対する戦い」を繰り広げているという考え方だ。これもルソーに負けずに空想的な人間社会の起源であるけれど、こちらについてはルソーより害が少ないと二人のデヴィッドは考えているようだ。なぜなら、ホッブスは最低の状態から出発して、マシな状態を人間の知恵で作っていこうという話なので、そのような社会を考えればいいだけだからだそうだ。

ところがルソーの場合は、最初がもっとも良くて、文明が進めば進むほど悪くなり、それを少しでもくい止めようという話なので、今の状態はひどいけれど、なにか手を尽くしてもほんのちょっと良くなるだけだよ、という言い訳に利用されているようだ、という。

もちろん、ホッブスの出発点も、実際とはまったく異なるので、二人は否定している。

個人的には、わしはホッブスは許せるけど、ルソーの発想は生理的に受け付けられないな。ルソーは読んでいると、気分が悪くなる。そもそも、昔はよかったという話は好きになれないの。

***メモ3 野生種の栽培種への移行期間***
農業への移行がなかなか進まなかった理由に、コムギなどの野生種が栽培専門の種に進化するのに時間がかかったから、という説明があり得る。1980年代に実験が行われ、野生種が栽培種になるのに、20〜30年ぐらいしかかからないことが確認された。余裕を見ても、数百年で進化は完了したはずだという。なので、生物の遺伝的な理由ではない。

「善と悪のパラドックス」に出てきたベリャーエフのギンギツネの家畜化の実験が思い出される。

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★★★★★

 

検閲官のお仕事

ロバート・ダーントン 訳・上村敏郎、矢谷舞、伊豆田俊介 みすず書房
読書日:2024.2.8

フランス、英領インド、東ドイツの検閲の実際を調べて、検閲とはなにか、検閲官はどんなふうに検閲という仕事に関わったのか、ということを比較した本。

ロバート・ダーントンの名前を聞いたのは、「猫の大虐殺」以来である。わしもこの本を読んだ覚えがある。でも細かい中身はすっかり忘れてしまった(笑)。なにしろ読んだのは20世紀だからなあ。(なお、新装版が2007年に出ております)。

まあ、細かい中身は忘れたけど、とりあえず、ダーントンの得意技は、無味乾燥な資料のなかから生きている人間の息遣いを復活させることで、今回もほとんど誰も見ないような細かい資料に深く入り込んで、それぞれの国の検閲官の考え方、実際の仕事を再現しているわけです。

その資料とは、18世紀のフランスはバスチーユとフランス国立図書館のアニソン=デュペロン・コレクションおよびパリ書籍商同業者組合コレクション、19世紀の英領イギリスはインド高等文官の文書資料館、20世紀の東ドイツは高等学術研究所とドイツ社会主義統一党SED)の文書、さらに現役の検察官だった人にインタビューしています。

こんな資料のほじくりは、ほとんどの人が絶対やりたくない類の仕事で、まったくご苦労さまですが、きっと本人は膨大な雑多な資料に舌なめずりしてたんじゃないかという気がします。こういうのが好きな奇特な人って本当にいるんだなあ。そういう書類を廃棄せずに取っておいてあるという行政も偉いけど。

さて、検閲といっても、時代と国が違うとぜんぜんその性質が変わってきます。

まず18世紀フランスの場合は、ブルボン王朝の時代で、そもそも本を出版するには国王の許可が必要でした。それで、許可を与えるために中身を読んで評価する機関が生まれて、国王が許可するにふさわしいかどうかという基準で内容を判断するわけです。

そうすると、政治的に反国王的なものがだめなのは当然ですが、内容があまりにくだらなすぎて、国王の名においてこんなものが出版されるのは許せないという理由で、不許可となる場合もあったようです(笑)。というわけで、国王の許可はいちおう一定の品質保証のように機能していたらしい。

面白いのはこのころの検閲官は、自分も作家か作家志望の人で、無給のボランティだったこと。職場もなくて、仕事は自分の家でしていたそうです。作家志望なせいか、こんなふうにしたらいい、などとアドバイスして、ほとんど誰の作品なのかわからない状態になることもあったみたいです。つまり非公式な編集プロダクションみたいな機能もあったらしい。

しかし、人はくだらない作品やスキャンダラスな作品を読みたがるものですから、そういう作品のためにはフランス国外のベルギーやスイスでの出版が可能です。フランス国内で売ることは違法ですが、もちろんそういう本は国境を越えます。違法な本を売るビジネスをしているひとの話も出てきますが、こういう違法業者はたいてい零細で、商売はなかなか大変だったようです。

この本では、一例としてボナフォン嬢が書いた「タナステ」という王室のスキャンダルをおとぎ話風に装って出した本について、その顛末について書かれています。

かわって、19世紀のイギリスの植民地だったインドの場合です。

インドはいちおう大英帝国の一部ということになっているので、適用される法律はイギリスの法律です。ところが問題はイギリスの法律は出版の自由を標榜していて、検閲は禁止なのです。とはいえ、反イギリス的でインドの独立を鼓舞するような作品は困るわけです。なので、いかに検閲を正当化するかということにエネルギーを注ぐという、とてもご苦労様な状況です。さて、帝国主義と自由との矛盾をいかに克服していったのでしょうか。

まず行ったのは、目録の作成でした。インド内の各言語でなされたすべての出版物について、英語の目録を作ったのです。最初は本国のブリテン人がやっていたのですが、ベンガル語などで書かれた本には内容が理解できないものが多々あり、各言語に精通したインド人の司書がこの目録を作成するようになりました。この目録は機密文書で、高官しか読めなかったそうです。

興味深いのは、当時の目録作成者は戯曲に注目していたことです。当時は識字率が低くて、不穏な空気は演劇で伝わることが多かったからです。

つまり最初はインド国民の政情を探るという目的でした。

実際、出版の自由という建前で、出版に関して国が使える法律は最初は名誉毀損しかなかったようです。かなり無理矢理な論理で名誉毀損で罪になった例もあるようです。しかし、1860年代にイギリスで煽動罪が制定されました。これはイギリス本国では殺人や宗教あるいは同性愛といった内容に対してだったようですが、もちろんインドでは「政府への不満を煽ること」も含まれるようになりました。この不満の定義は長い間不明でしたが、1898年に「あらゆる敵意が含まれる」と記載され、事実上何にでも適用できるようになりました。

1905年のベンガル分割後にインド内で騒動が起きるようになると、多くの作家が逮捕されるようになり、裁判にかけられ、有罪となりました。

裁判にかけて投獄しているのですから事実上の検閲ですが、イギリスはもちろん検閲という表現は使っていません。あくまで、報道の自由、出版の自由があるという態度を最後まで貫いています。つまり、帝国主義と自由との矛盾の克服方法は、矛盾を認めない、というものです。

アメリカもそうですが、アングロサクソンの人たちは、いつでも自分たちが正しい、公正だということを異常なまでにこだわって主張する人たちですよね。

さて、20世紀の東ドイツの検閲ではまた違った様子を見せます。

イギリスと同じように、東ドイツでも表現の自由は認められています。というか、すべての社会主義国家はそうなのです。なので検閲というものは存在しません。

では何があるかというと「計画」なのです。出版も産業であり、作家や編集者も労働者なのですが、毎年、党が次の年の出版計画を作ります。出版点数は何点で、どのくらいに部数を出版するかが決められます。これに応じて、政府の「出版・書籍取締総局(HV)」に対して、出版社から、こんなのはどうですか、と企画が提案されます。HVはそのなかから、良さそうなもの選択し党と話し合いをして決定されると、作家がその内容を具体化します。

検閲官がいるのは、HVです。

作家が作品を仕上げると、編集者が確認し、つぎに外部の専門のひとに査読されて、たいてい書き直しが命じられます。この場合の基準は、社会主義に貢献するかどうか。査読は、細かい単語のひとつひとつにまで及びます。で、それが通ったら、最後にHVの検閲官に回って査読をして、ようやく出版されます。微妙な場合は、さらに外部の人に査読を依頼します。この全ての過程で詳細な報告書が作成されます。それも膨大な量の。

とうぜん、作家は書き直されることに不満です。

しかし作家側にも対抗手段があります。それは西ドイツに作品を持ち出して出版することです。当時は、よくそうやって持ち出された作品がベストセラーになっていたようです。こうなると東ドイツ側には難しい対応を迫られます。なぜなら検閲は行われていないことになっているので、西ドイツと東ドイツの本の内容に違いがあると、検閲が行われているのが丸わかりになってしまうからです。なので、適当なところで手を打って、出版してしまう事もあったようです。

じつは西ドイツでの出版は党としてもありがたいことでした。なぜなら、こうして得られた印税のほとんどは党が徴収して、貴重な財源になっていたからです。

さらに作家によっては、削除されたところに、削除されたマークをつけることを主張して認められることもあったそうです。そして本が出版されると、どこからともなく削除された文を印刷したものが出回り、それで補って読むので、事実上、検閲なしの本が読めるということだったようです。

あまりにも作家の力が強くなりすぎて手に負えなくなると、最終手段は東ドイツからの追放だそうです。外国旅行に出して、帰国を認めない、という方法らしい。

こうした東ドイツの検閲官たちは、自分の仕事に強い誇りを持っていたようです。自分たちの仕事は社会を良くしていると確信していたのです。彼らは自由の価値も十分承知していて、改革派と称してデモに参加していたひともたくさんいたそうです。

それを何より示しているのは、ダーントンが東ドイツの元検閲官にインタビューしたときの話です。インタビューの場所は、検閲官が勤めていた建物のなかで、すでにベルリンの壁が崩壊したあとも、こうして毎日出勤しているんだとか。もう仕事はなにもないのですが。

そして彼らはベルリンの壁が崩壊したことは悲しむべきことだといいます。なぜなら壁があったからこそ、東ドイツは、読者が守られていた「読者の国」だったのに、と残念がるのです。

というわけで、時代も国も状況もことなる3つの検閲官の仕事をみてきましたが、わしが思ったのは、検閲官というのはともかくもっとも作家に寄り添っている者なのだなあ、ということでした。

政治的にやばい本はもちろんですが、検閲官が取り組んでいるのは「すべての本」なのであって、そのほとんどがすぐに読まれなくなり、消えていくものです。しかし、検閲官はそんな本であっても、丁寧に読み、評価を記録に残す人たちです。なにか自負心がないと、やってられないだろうなあ、という気がしました。

★★★☆☆

 

ほんとうの定年後 「小さな仕事」が日本社会を救う

坂本貴志 講談社 2022.8.20
読書日:2024.1.28

定年後、収入は大幅に減るが同時に支出も減るため生活には困らず、月に数万〜10万円程度の追加収入があれば趣味をおおいに楽しむことができ、ストレスがほぼないため幸福な生活を送る人が大半だと報告する本。

定年後にもらえる年金額を知って、あまりの少なさに愕然とし、このままでは生活できないと苦悩する人がいる。だが、それは養うべき家族を抱えている現状とくらべているからで、定年後は子供が独立し、教育費などがかからなくなるため、必要な生活費が大幅に減少するから心配ないのだという。とくにすでに自宅を確保している人にとってはそうである。

そして大半のひとは、それに加えて小さな仕事をする。この仕事は生活のためにやらなくてはいけないというものではないので、なにより負担が少ない小さな仕事を選択することが多い。その負担とは身体的にも精神的にも負担が少ないということであって、ほぼストレスフリーの仕事である。責任者という立場から解放される仕事である。

そもそも責任をともなう仕事は選択されない。自動車の運転に関する仕事ですらメインの運転手ではなくあくまで補助の仕事をするという事例が報告されている。責任をとるような仕事は本当にまったくしないのである。

そうすると、やる仕事は短時間の軽作業の仕事ということになるが、これらはほとんどエッセンシャルワーカーの仕事であり、社会になくてはならない仕事である。このような仕事をすると、直接、他の人の役に立っているという実感を得ることができる。

さらに、高齢者はたくさんいるため、このような小さな仕事の積み重ねでも、GDPに与える影響は小さくないという。

高齢化によって個人の能力が減っていくのは仕方がないが、自分のできる範囲の小さな仕事をすることで、ほとんどのひとは充実した生活を送れているようだ。

少子高齢化で日本がどうなるかという心配はあるが、このような事例を見る限り、高齢者本人の人生はとてもよろしいようで、もしかしたらこれは世界に誇れる状況なのかもしれないなあ、と思った。

わしも遠からずお仲間になりますので、ぜひ充実した老後を送りたいものです。すでに会社では責任というものから解放された状態で、こういうのを嫌がるひともいるかもしれないけど、何の責任もない状態は本当にストレスがない世界で、わしは気に入っています。これがずっと続くなら歓迎したいなあ。

明るい老後の姿を実証的に示した本書の価値はとても高いと思う。

★★★★★

「反応しない練習」「Chatter」を読んで思ったこと

最近、「反応しない練習」と「chatter」を続けて読んだ。

偶然、同時期に読んだのだが、これを読んで思ったことがある。

じつはずっと、わしには大きな悩みがあった。その悩みというのは、昔のことが突然思い出されて、心が苛(さい)まされるという悩みである。

まあ、たぶん、誰にでもこういう事はあることは理解している。しかし、どうもその頻度が自分でも呆れるくらいに多いのである。なんだか数分おきに起きていたような気がする。そして、そのたびに声をあげてしまうほどに心が苛まされた。

その内容は、直近に自分が起こした恥ずかしいできごとはもちろんだが、もう何十年も前のちょっとしたことも思い出される。そのちょっとしたことって、どのくらいちょっとしたことかと言うと、なにか言ったりやったりしたときの相手の目付きとか、反応なんかが思い出されてしまう。すべてもう会わないような人ばかりだし、一度しか会ったことがない人も多いし、その人達自身はぜったいに気にしていないような、ほんのちょっとしたことなのである。

こういうちょっとしたことが頻繁に思い出されて、そのたびに、叫びだしたくなる。(一人でいるときには実際に声に出てしまう)。

そのたびに、わしは、「これはずっと前の過去に起きたことです。どうしようもないことですし、しかも当時も今もそれが原因でなにか問題が起きているわけではありません」と自分に言い聞かせなければならなかった。

これはまさしく「反応しない練習」や「Chatter」に出てくるような症状である。まあ、「Chatter」のように負の連鎖に陥っていないから、重症ではないだろうが、個人的には大変困ったことなのである。

ところが、どうも最近、たぶん数ヶ月前からこのような症状に悩まされなくなった。過去のいろいろなことが思い出されるのは同じなのだが、苛まれなくなった。一体どういうことなのか?

どうも人生がうまく行っていないと感じるときで、しかもそれがなにかはっきり分からないようなときに、こういう症状が出る気がする。たぶん、こういう状態でははっきりしないから、わしの脳はいろいろ過去にさかのぼって、いろいろ原因を探求しようとしているのではないだろうか。こういう状態では、ちょっとだけ思いだしたことすら、それなりに真剣に捉えてしまうのだ、という気がする。

じつは最近、ぼんやりしていた不安が、実際に問題として目の前にはっきり出てくるようになったのだ。つまり現実の問題が、なんとなくの不安を吹き飛ばしてしまった、というのが、今のわしの状態ですね(笑)。

それにしても、「反応しない練習」の考え方はいいですね。わしも心に浮かんだどうでもいい悩みについては、今後、反応しない練習をしようと思います。真剣に相手にするからだめなんですよね。(現代からみてもブッダの悩みに対する発想はとても素晴らしいと思う)。

 

 

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