草薙龍瞬 KADOKAWA 2015.7.27
読書日:2024.1.14
心は常に何かに反応しているが、そのほとんどは実際にはムダなもので、ムダな反応をしないようにすれば悩みがなくなり心が軽くなると主張する本。
この本は2015年の本だが、未だに売れ続けているベストセラーである。多くの人が、この本に感銘を受けたことが分かる。わしも感銘を受けた。
そもそも、わしは仏教が宗教だと聞くと違和感を覚える。たしかに法華経以降の大乗仏教はそうだと思うが、本来のブッダがとなえた仏教は、哲学とか心理学、あるいはカウンセリングに近いものだと思う。現実をどのように見るかという考え方の一種なのだ。
ブッダのいうには、我々の苦しみとか悩みとかというのは、現実そのものではないのだそうだ。わしらは現実そのものではなく、現実を良いとか悪いとか判断して、判断した内容を現実だと勘違いしている。それはその判断した現実(妄想)には、わしらのこうあってほしいという欲望や、こうなるべきだという怒りの感情が含まれている。だからわしらの悩みや苦しみは、現実そのものにではなく、現実に対して自分が行った判断に苦しんでいるのである。このような判断をおこなわず、むき出しの現実をそのまま見ることができることが解脱(げだつ)なんだそうだ。
悩みや苦しみがあったら、まずは自分が判断しているということに気がつき、なぜそんな判断をしたかという自分の欲望や感情を理解すると、それだけでかなり苦しみが軽減されるのだという。
そのような悩みや苦しみのメカニズムを考えると、むやみやたらに判断しないことが大切で、それが反応しない練習なのである。
しかしそうは言っても、やっかいなことに、人間の脳は絶えず判断するような仕組みになっている。人間は1.2秒ごとに新しいことを考えているのだそうだ。こんな状況なのにどうすればいいのだろうか。
どうも一番簡単なのは、別のことをして気をそらすことのようだ。歩いて散歩をするというなどというものもあるが、いつどこでもできるのが自分の身体の発する感覚を観察することだ。目を閉じて、手や足の伝える感覚、内蔵、特に心臓や肺の呼吸する様子、そういうのを観察する。そうすることは、実はとても面白くて、慣れると何時間でも時間を過ごせるのだそうだ。
これはもちろん瞑想そのものだ。
瞑想というものについて、わしはいまいちどういうものか理解できなかったが、それは反応しない練習なのである。まあ、もちろん、わしらがやっても、それは本物の瞑想ではないかもしれないが、しかし身体の感覚に集中するというのはなかなかいいアイディアだと思った。身体さえあれば、いつでもどこでもできる。こういうことを考えた昔のインド人はものすごく賢い。
こうして未来の不安も、過去の後悔や怒りも、すべて妄想だと分かれば、今やっていることに集中する。お寺なんかで掃除などの単純作業(作務(さむ))を修行としてやるのは、今という時間に集中する練習なんだそうだ。
なるほどねえ。仏教の根本の考え方をこんなに簡単な言葉で教えてくれて、とても納得感がある。これは超おすすめ。
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