ヘタレ投資家ヘタレイヤンの読書録

個人投資家目線の読書録

狂伝 佐藤泰志 無垢と修羅

中澤雄大 中央公論社 2022.4.25
読書日:2022.12.10

1990年に41歳で自殺した小説家、佐藤泰志の一生を、作家の熱狂的な愛好家である著者が、できる限りの資料と関係者へのインタビューを通して明らかにした評伝の決定版。

わしは佐藤泰志の本は読んだこともなく、名前すら知らなかったが、なにかこの本を紹介する書評の熱量がそうとう大きかったので、読んでみることにした。佐藤泰志はどうやら一部の人を熱狂させるタイプらしく、死後、その作品を原作にした映画も次々に制作されているようだ。まあ、わしはこの映画のことも全く知りませんでしたが(笑)。

佐藤泰志はいわゆる私小説と呼ばれる、自分の人生に実際に起きたことを物語にする人だ。小説のモデルになった関係者が、まったく事実そのままでなんの創作も入っていないと呆れたくらいなので、その作品をたどればほぼその人生を追うことができる。また自分自身が題材なせいか、自分に関する資料、日記、手帳、手紙の類を捨てずに保存している。

著者の中澤さんは家族の信頼を得て、その資料を存分に使うことができた。こうした資料を駆使して、これまで知られていなかった人間関係(特に女性関係)を明らかにして、可能な限り本人あるいは関係者にインタビューを試みている。新聞記者出身の中澤さんの言うには、自分は文学論は語ることはできないが、できる限りその人生を追うことができる、と驚くべきストーカーぶりを発揮している。どちらかと言うと、佐藤泰史よりも著者の執念の方が印象深いくらいだ(笑)。

それはともかく、作家、佐藤泰史とはどういう人だったのだろうか。

佐藤泰志は1949年に函館で父・省三、母・幸子の長男として生まれている。両親の仕事は担ぎ屋と言って、米を連絡船で青森から運んで函館で売って差額を得るという仕事だったが、もちろんそんなに稼げないうえに省三はバクチ好きで、家は貧乏だったようだ。しかも祖母が置屋(娼婦を世話するところ)をしていたので、社会的にも蔑まれていたようだ。

というワケアリの家系で、あまり経済的にも社会的にも恵まれているとは言えず、作家本人もそれなりに苦しんだだろうが、私小説家としてはなかなか潤沢な題材があったといえるかもしれない。この辺の家族の歴史に関することも小説に多く書かれている。(「颱風伝説」など)。

高校に入ってから、旺文社とかの学習雑誌に投稿をはじめ、それが入賞するようになる。「市街戦のジャズメン」など高校生離れした作品を発表するようになり、北海道では名前が知られるようになる。こうして小説家になることを決意する。

1970年に國學院大學に二浪して合格、上京する。1971年、喜美子と出会って同棲を開始、同人誌『黙示』や『立待』などに作品を発表する。
 
作家になる予定だった佐藤泰志は就職活動に身が入らず、就職に失敗、アルバイト生活に入る。その後、マンションの管理人や、梱包会社などを転々として作品を作り続ける。

芥川賞には5回候補になるが、受賞には至らなかった。やがて自律神経失調症を病み、さらにはアルコール依存症になり、競馬にも夢中になる。女性関係もそれなりの数だ。自殺未遂も薬を多量に飲む方法で1回している。もちろんこういう人に経済能力はないから、家計は妻の喜美子が支えていた。子供が二人生まれていた。

そして1990年、41歳のときに首吊自殺をして死亡。作家としても、依存症など精神的にも行き詰まって死んだようにも見えるが、実際には妻の喜美子に「いつも死ぬ死ぬ言って死んだためしがないじゃないか。やれるもんならやってみな」とあざけられて、発作的に死んだらしい。妻の喜美子の方も本当に死ぬとは思わなかったという。あれま(笑)。

というわけで、結局、小さな賞はいくつか取ったが、芥川賞のような大きなものは取ることがなく亡くなってしまったわけだが、その後、再評価がされて現在ではかなり有名な作家になっているらしい。特に、函館を架空の町に置き換えた「海炭市叙景」が映画化もされて有名なようだ。

なぜ佐藤泰志は作家として成功しなかったのだろうか。

これにはいろいろこの本にも書かれているが、個人的には時代が悪かったとしか言いようがないと思う。佐藤泰志は、私小説というかなり日本の伝統的なスタイルの作家である。しかし、1970、80年代は、村上龍の「限りなく透明に近いブルー」や村上春樹の「風の歌を聴け」のような、小説の枠を広げるような新しい作家が注目された時代である。正統派には厳しい時代だった。

文才があるのなら、エンターテイメントの方に進んで、小説で稼ぐという手段もあっただろう。だが、私小説家であればあるほど、自分の経験と関係ない空想の世界を描くことなどあり得なかったのだろう。

そうなってくると、本当に賞を取るしか道はなくなる。だが、賞を取るというのは、他人の評価次第ということになり、自分ではコントロール不可能なものである。このようなコントロール不能性は、なんとも神経によろしくないのは当然だ。

わしはそもそも芸術家とこのような賞とは相性が悪いと思う。芸術家の場合は、これまでの常識を疑うような革新性が必要なのに、それを評論家に認めてもらわなくてはいけないという矛盾が生じる。本当に革新的なら理解できないかもしれないではないか。

もしも評価されなくても、自分の好きなもの、実現したいものを創り上げて満足できればいいのだが、どうしても認められたいという、承認欲求を抑えることができないなら悲劇でしかない。

佐藤泰志の場合、賞をもらいたいがために、ついには審査員の安岡章太郎に自分の友人のふりをして、佐藤泰志をよろしくと電話をしてしまい、安岡章太郎を怒らせ、やぶ蛇になってしまう始末だ。それはまるで太宰治が受賞を懇願する手紙を書いたことを思い出させる。

結局、時代が巡って自分に脚光が当たるのを待つしかなくなり、多くの場合、それが死後になってしまうのは、なんともなあ、と言う気がする。それは、「掃除婦のための手引書」のルシア・ベルリンにも感じたことだ。それにしても、私小説家にはアルコール依存症が多いのだろうか。

私小説家のばあい、自分の身に起きたことだけが題材なので、それが本人の私生活にも影響を及ぼさざるを得ない、というのがなんともつらい。なにか小説のネタにならないかと、常に周囲に目を光らせているような状況なので、いるだけで佐藤泰志の周囲には独特の緊張感が漂っていたという。そんな状況だったせいか、子どもたちは父親が死んだあとのほうがのびのびと生活したそうだ。なんとも気が滅入る話である。女性関係も恋愛が多いというより題材探しの一環だったのかもしれない。

認められようが何しようが、自分の好きなものを創って満足する、と言うふうにはならないのかなあ。たぶん、世の中にはそういう人もいっぱいいるんでしょうね。そして、そういう人はきっと世間に知られることなく死んでいくんでしょうけれど。

承認欲求、なんとも手強いですねえ。

まあ、この作家の場合、中澤さんのような熱狂的なファンもでき、こうしてきちんとした評伝も作られているのですから、良かったと言えるでしょう。

★★★★☆

防衛大学校 知られざる学びの舎の実像

國分良成(第9代防衛大学校長) 中央公論社 2022.8.10
読書日:2022.12.1

日本唯一の士官学校防衛大学校第9代校長の國分が、大好きになった防衛大学校を語りつくす本。

中国の拡張主義や北朝鮮のミサイル、そしてウクライナ戦争以降、日本でも防衛というものが真剣に語られるようになってきたような気がする。そのほとんどは予算や武器の話になってしまうが、人材の方はどうなっているのだろうか。でも、それは大丈夫かもしれない。世界トップ10に入る士官学校防衛大学校があるのだから。

士官学校のランキングってどんな基準でやっているのかは知らないが、ともあれトップ10に入っているのは本当らしいし、2021年3月まで校長だった國分良成は本気で世界トップの士官学校になることを目指していたのだそうだ。

でも、そもそも防衛大学校は大学ではないんだそうだ。大学とは文部科学省所管の学校のことで、防衛省所管の防衛大学校は大学を名乗れない。「大学校」という名称には規定がないため、文部科学省以外の省庁の学校は大学校を名乗るっているんだそうだ。

防衛大学校は大学ではないから、学位を授ける権限がない。それではいろいろ困るので、学位授与機構という役所を1991年に作り、学位授与機構が審査の上、学位を授与する仕組みを作ったという。なんとそれまでは、防大を出た人の最終学歴は、高卒だったということになる。

まあ、制度的な話はいろいろあるんだろうけど、わしの興味はやっぱり防大生の日常生活にある。日々、どんなふうに暮らしているんだろうか。なにしろ、他国の士官学校と同じように、防大は全生徒が寄宿生活を送ることになっているのだ。

それは、4つの大隊に別れているんだそうだ。それぞれ大隊ごとに学生舎(寄宿寮)がある。そして大学校内の競争はこの大隊単位で行われるのだ。これって、まるでイギリスの有名な例のファンタジー小説に出てくる魔法学校みたいだね。それも当然で、防大のモデルはイギリスのパブリック・スクールなんだそうだ。

学生は8人ごとの共同生活で、8人は1学年から4学年まで、さらには留学生も一緒に共同で生活する。女子も同じ学生舎の片隅で生活している。なんでも、女子だけだとけっこうきついので、この方がいいという話もあるというが、いま5棟目の学生舎を作っているのだそうで、それが女子寮になるのかしら?

で、学生の生活はびっくりするくらいびっしり詰まっていて、ほとんど自由時間がない感じだ。

朝は6時にラッパで起床。5分で着替えて学生舎前に整列、点呼を済ませて乾布摩擦を行う。清掃、朝食を済ませて、8時半から授業。12時から1時間の昼食の後、課業行進という行進で教場(教室のある建物)まで行進して、17時15分まで授業がある。その後、校友会という部活動が18時30分まであり、この校友会には全員がどこかに所属することが求められる。

17時30分から19時30分までが入浴と食事。そして19時45分から22時15分までが自習時間。この時間が唯一の自由時間ということになるでしょうか。そして22時30分に消灯。

うーん。本当に自由時間がない。卒業生で学生時代にもっとやっておけばよかったというのが、英語と読書なんだそうだ。こんなに時間がびっしりだと読書をする時間もないんじゃないの、って思う。

ちなみに、学生の食事は一日3400キロカロリーだそうで、予算は千円以下だそうだ。普通の成人としては多めだけど、防大生にとっては足らないらしい。学内のコンビニの売上はおかげで地区で一番なんだそうだ。

ともかくこんなふうに4年間一緒に暮らす防大生の縦と横の繋がりは大変なものらしい。慶応大学も卒業生の繋がりが濃いことが知られているが、その慶應出身の國分良成が、慶應に負けず劣らずと言っているのだから、相当なものなんだろう。

1年間の行事も盛りだくさんだし、海外への留学や派遣もあるらしいから、忙しい。

さらに留学生だ。世界中から留学生を受け入れていて、特にアジアの各国軍の中心部には防大出身者が多いということだ。国を越えた横のネットワークも良いようだ。

まあ、卒業後、任官拒否する人もいるようだけど、それはともかくとして、防大出身者の皆さんには立派な人格者になっていただきたいと心から願うものです。

この本では、初代校長の槇智雄のことがくわしく書かれてある。防大の校風、ひいては戦後自衛隊の精神はこの人が打ち立てたものらしい。第8〜10期生の学生が槇の教えを3つの言葉にまとめた。「廉恥」「真勇」「礼節」だそうだ。なるほどねえ。

ちょうど防衛大学校に興味が出てきた頃にこの本が出版されたので、非常にタイムリーなことでした。防衛大で教えている防衛学ってどんな内容なのか興味があるので、こんどはそっちの方の本を読んでみようかしら。教えている内容は秘密らしいけど、たぶん、手に入るでしょう。

★★★★☆

 

こちらもどうぞ

掃除婦のための手引書

ルシア・ベルリン 訳・岸本佐知子 講談社 2019.7.8
読書日:2022.11.25

高校教師、掃除婦、電話交換手、看護婦などをしてシングルマザーとして4人の子供を育てつつ、アルコール依存症に苦しんだ、ルシア・ベルリンの自分の人生を題材とした私小説

実際に起こったことを題材にフィクションを創ることをオートフィクションと言うのだそうで、ルシア・ベルリンの作品はその典型なんだそうだ。つうか、日本人なら単にそれを私小説と呼ぶだろう。

この本ではルシア・ベルリンの子供時代から初老の頃までのほぼ一生に渡る、そのときどきの話を描いたものを集めてあり、一冊読めばルシア・ベルリンはこんな人生を送ったんだなあ、ということが何となく分かるような構成になっている。

この辺が私小説の凄さなのか、一話一話は短いんだけど、読んでいると彼女がじわじわ自分の中に入ってくる。なんとも、この浸透力、半端ない。

でも、それはあんまり愉快というものではない。なぜなら、彼女のぽっかり空いた心の空虚さというか、寂しさというか、孤独というか、そういうものがそのまま入ってきてしまうから。でも、そんなむき出しの心に触れていると、癒やされる面も確かにあると言えばある。この辺がこの作家の魅力なんだろうな。

そんな空虚さを埋めるのは、お酒しかなかったんだろうか? アルコール依存症から抜け出すためのデトックスの話がたくさん出てくる。そして、彼女だけでなく、母親も祖父もアルコール依存症だったようだ。そういう家系だったとしか言いようがない。

アルコールが切れた朝、こんな早朝の時間に酒を売っている店は限られるので、高い代金を取っていて、ぼられるのだが、なんとか家中からそれだけの小銭を集めて酒を買いに行く話がある。悲惨な状況なのかもしれないが、なにか乾いた笑いのようなものがある。

アルコール依存症になってもアルコールが入っているだけの酒を欲しがるのは、まだ程度が軽いんだそうだ。行き着くところまで行くと甘い糖分がたくさん入ったお酒が飲みたくなるという。そんななまなましい話も出てくる。アメリカでは甘くて安いワインが売られていて、それを飲むようになると、その域に達したということらしい。へー。

まあ、外側からの乾いた目で表現してくれて、笑いもあるので、べつに湿っぽくはないんだけど、そのせいで彼女の寂しさがより際立っているような気もしないでもない。

写真を見る限り、彼女は小柄で美しい人だったようだ。きっともてたんだろうね。でもお嬢様ではない。彼女がいるのは下町。彼女はとても頭が良かったようだから、どんな仕事も手際よく片付けたんだろうね。亡くなった人の家を掃除するのは数時間で終わると言ってる。

ルシア・ベルリン、ありそうで、なかなかないタイプの作家なのかもしれないなあ。

父親は鉱山技師で彼女はアラスカで生まれている。(母親が結婚のためアラスカに船で旅立つ話がある。)

北米のあちこちの鉱山の町を点々とし、ときには歯科医の祖母ともエルパソの貧民街で一緒に暮らしたらしい。(祖父が自分の歯を全部抜いて義歯に変える話があるが、本当にあったのかしら)。

けっこう上流の私立学校に行くこともあったようだが、全く馴染めずに、孤立していたようだ。(そもそもプロテスタントの家系なのにカトリックの学校なので合わないのだが。ここでは生徒間の関係もそうだが、先生との関係もかなり微妙)。

チリの鉱山に勤めることになった父に従って、チリに行き、ここでは豪邸で女中に囲まれて暮らしていたらしい。(なぜか変な共産主義の女教師がいて、デモに参加する話がある。)

その後、ジャズミュージシャンなどと結婚、離婚を繰り返しているが、自分の不倫の時の話をそのまま書いてる。

シングルマザーとして4人の子供を教師、掃除婦、電話交換手、看護師をしながら育てる。(初めての家を掃除するときに自分を優秀に見せる方法は、わざと物を少し動かしてやった感を出すことだそうだ、(笑))この頃、アルコール依存症になる。

メキシコにいる妹ががんに罹って、その最後の面倒をみる話がある。著者は妹のほうが母親の愛を受け取っていると思っていたらしく、そのことが何度も出てくる。

やがて刑務所で小説の書き方を教えるようになる。(受刑者が創作をする話が出てくる)。

で、最後はコロラド大学で教えるようになり、准教授までなったそうだ。

★★★☆☆

じじい最強伝説


この前、図書館に本を取りに行こうと自転車に乗っていたとき、あるけっこう大きな横断歩道で信号が赤になったので止まった。

歩行者が全員いなくなったので、まだ赤信号だったが、まあいいかと思って自転車を漕ぎ出した。すると突然、目の前に人が現れたので、びっくりしてあわててブレーキを掛けた。

それは高齢の男性だった。

その男性はわしの方をビシッと指さして、
「赤信号だろ!」
と言った。

この男性、いったいどこから現れたのかと思ったが、どうもわしに注意するために、渡っていた横断歩道をわざわざ戻ってきたらしい。なんというか、正義の人なのだ。

で、そんなことをしているうちに、歩行者用の青信号は点滅し赤になった。しかし、そのご高齢者の方は、赤信号を気にする様子もなく横断歩道を悠々と渡っていった(笑)。もちろん、その間、すべての自動車は老人が渡り終わるのをおとなしく待っていた。

わしは感嘆してしまった。

(すげー。じじい、最強じゃん)

わしもそろそろじじいと呼ばれるような年齢になってきたが、まったくもって若輩者であることを痛感した。将来的には、ぜひ何でも許される、最強のじじいを目指したいと思います。(笑)

今年もよろしくお願いいたします。

 

やっぱり円安に賛成! 「どうすれば日本人の賃金は上がるのか」をさらに考えた

どうすれば日本人の賃金は上がるのか」で野口悠紀雄は日本人の賃金が上がらず、しかも最近の円安がその賃金の下落を加速しているとして嘆いているが、やっぱりわしは円安に賛成である。円安に賛成なことはここに書いた。

www.hetareyan.com

バブル崩壊以降、日本の企業は30年間に渡って日本国内に投資してこなかった。その代わり、海外に投資している。その結果が、経常収支の所得収支の黒字になって現れている。つまり、日本で作って輸出するよりは、海外の現地に投資していたということである。

なぜこんなことをしていたかというと、そのほうが儲かったから、としか言いようがない。つまり、端的に円が高すぎたのである。円が高すぎたから、日本で作っていたのでは儲からないから、そうしていたのだ。

ところが、いま、日本企業の国内への投資意欲はものすごく強い。今年度の日本企業の投資は昨年の25%増しの30兆円だという。たぶん、もっと行くんじゃないだろうか。

www.nikkei.com

これは、またしても端的に、日本に投資をしたほうが儲かるようになったからである。これで、日本の機械は最新になり、非常に生産性が上がるだろう。望むところである。つまり、これが円安の効果ということになる。

国内投資が伸びるもうひとつの理由は、グローバル化の呪縛が解けたからである。ウクライナ戦争のお陰で、世界は再ブロック化し、サプライチェーンも再構築することなった。もう中国には投資することなど考えられないのである。

一方、ウクライナ戦争で意外に弱かったというのが、米国と英国の経済である。こんなに経済が弱いとはびっくりである。これは米国も英国も、国内に供給能力が著しく欠けているからとしか言いようがない。つまり、国内の製造業が弱すぎて、海外からの供給が欠けた瞬間に経済が回らなくなったのである。グローバル化が行き過ぎたのだ。

日本はどうだろうか。

日本のインフレが米欧に比べて非常に低いのは、日本の供給力が高いからである。値上げ分は原材料費の上昇分に限られている。供給過剰な現実は変わらないから、インフレはそれ以上にならないのである。ここに設備投資ががーんと行われると、効率がアップして、日本にとって悪いことはなにもないのである。

日本はグローバル化に遅れた、生産性を上げるためにアメリカのようにどんどん製造をアウトソースするファブレス化を進めなければいけない、と言われてきたが、それは間違いだったのである。

というわけで、製造業はまあなんとかなりそうだ。ここはぜひ、政府は、大学等の研究力を回復させるように投資を行ってほしいものである。いま、ここが一番日本の弱いところなのだから。

今後の世界経済では、当面、金融やITのようなバーチャルなものよりも実物経済のほうが重要になるだろう。日本に追い風が吹いてきている。

懸念があるとすれば、欧州のみならずアメリカの経済が予想外に弱そうなことだろうか。この辺がちょっと心配なので、FRBには早々に利率を引き下げてもらいたいものである。

2023年は日本にいい年になると信じたい。まあ、御存知の通り、わしはずっと楽観論ばかり言っているんですがね(笑)。

 

どうすれば日本人の賃金は上がるのか

野口悠紀雄 日経BP 2022.9.8
読書日:2022.11.17

日銀や政府のやっている通貨緩和政策は日本の安売りであり、賃金を上げるには一人あたりの創出する付加価値を上げる以外はないと主張する本。

野口悠紀雄はこれまでも日銀と政府の通貨緩和政策を非難してきた。この本でも野口は、円安政策は日本の安売りであり、経済成長と高付加価値企業化政策を行わなかったことが間違いだったと指摘している。わしは円安政策が間違いだったとは思わないが、高付加価値企業がほとんど生まれなかったことは確かだろう。

そこで成長を促し、高付加価値企業が誕生するために野口が提唱するのが、
(1)変化対応型社会にするために、年功序列や退職金制度を改革し、転職しても損にならない社会に変える。
(2)変化に対応できるように、高等教育改革を行い、リスキリングを勧める。
(3)労働力の減少に対応するために、女性の活用を。パートタイマーからフルタイム雇用へ転換する。そのためには103万円の壁のような税制を改革。
(4)報酬体系を年功序列からジョブ型に変える(特に経営者)。
(5)ファブレス製造業とビッグデータ活用する高付加価値企業の創出する。
などだ。

言いたいことは分かる。だが、これらのことは、言葉を変えて、いろんな表現で、これまでさんざん言われてきたことではないだろうか。

そうすると、なぜ分かっているのにできないのか、という問題に踏み込まないといけない。だが、それはあまりに広すぎる問題だから、単なる経済学者である野口の手には余る話である。そういうわけで、もちろん、本書ではそんなことには踏み込んでいない。

日本社会は本当に変われないのだろうか。

思い返すと、日本社会がガラリと変わった例が近代に2回ある。明治維新と第2次世界大戦である。明治維新は革命かつ内戦であり、第2次世界大戦も戦争だから、戦争級の危機的状態ならば、日本は変わるのである。逆に言うと、そのくらいの危機にならなければ、日本は変わらない。(年功序列は1940年代の戦争中にできた。野口は1940年体制が今も続いているという)。

野口は日本は変わらないとこのままでは停滞を越えて衰退に陥るという。でも、きっとちょっとした衰退では変わらず、徹底的に、極端に衰退しないと、日本は変わらないだろう。

野口は、賃金の議論をすると、「賃金だけでは幸福は決まらない」とか、「足るを知ることが大切だ」、などという反論を受けるという。野口は、人間の幸福が賃金だけで決まらないのは確かだが、賃金や給与の議論にこのような議論や意見が安易に持ち込まれることに強い違和感を感じるという。

それは分かる。

しかし、どうもこの高賃金の議論は日本人の感性にフィットしない気がする。

日本人の発想に近いのは、高賃金を得る、という問題ではなくて、「生き残る」とか「生き延びる」とか、そういう感覚ではないだろうか。

わしはどうも日本人が金持ちになってどんどん豊かになるというイメージがあまり浮かばない。でも日本人が、しぶとく生き残ったり、生き長らえたりするというイメージははっきり思い浮かぶ。それには、なにか確信のようなものがある。

生き残ることが大切なのだとすると、戦略は変わるのではないだろうか。

それは多様性である。いろんな日本人がいることが、日本人が生き延びるコツであろう。わしは日本は異様に多様性が確保されている社会なのではないかと思っている。変な人間や会社が存在できる隙間がたくさんあるのではないか。

そして多様性があるということは、ある意味、非効率なことである。

日本の生産性が低い(と言われている)のは、もしかしたら極端に多様性が確保されていることの裏返しなのではないだろうか。

日本人がマイナンバーなどのデジタルによる管理を極端に嫌うのも、多様性が損なわれることを本能的に悟っているからではないだろうか。

日本人は政府が無能であってほしいと願っている、そういうようなことをわしはここに書いた。いまもそう思っている。


**** メモ ****
野口悠紀雄は統計の1次資料に当たって分析をする人だから、その分析結果はとてもためになる。そして、ときどき、驚くような結果も披露してくれる。ここでも驚いた分析について少し述べよう。

(1)日本人で働いていない人は6割。
高齢者が多いということもあるが、あまりにパートタイマーが多いので、フルタイム換算(1日4時間勤務なら、0.5人とカウントする)で日本人の4割しか働いていないのだそうだ。なので、フルタイム労働力を増やすだけで、経済成長が実現する。それには、103万円の壁のようなパートタイマーを優遇する税制を改革する必要がある。(それにしてもこの4割はもしかしたらむちゃくちゃ効率がいいんじゃないだろうか)。

(2)大企業と中小企業の賃金格差は資本装備率の差
賃金は一人当たりの資本装備率に比例しているそうだ。簡単に言うと、機械やパソコンなどの固定資産である。ほんとうにそれだけの違いなら、ちょっと驚きである。そうすると、その固定資産を増やすような政策をすればいいということになるから。しかし、逆に言うと、中小企業は少ない予算で効率的に稼ぐことができているんだそうだ。

★★★☆☆

モテるために必要なことはすべてダーウィンが教えてくれた 進化心理学が教える最強の恋愛戦略

ジェフリー・ミラー タッカー・マックス 監訳・橘玲 訳・寺田早紀 河合隼雄 SBクリエイティブ 
読書日:2022.11.13

進化心理学者のミラーとモテ男のマックスが協力して、モテるためには進化心理学の知見に従うのが最強と主張する本。

原題は「MATE:What Women Want 」である。つまり女性がパートナーとしてどんな男性を選ぶかという話である。それを知っていれば、男性としてはそうなるように努力すればよい。ここで進化論が入ってくるのは、女性は自分の子供が生き残ってさらに子孫を残すようにパートナーを選ぶからだ。そのような選択を女性は何十万年も繰り返してきて、その結果生き残ったのがわしらなので、女性がパートナーを選ぶ基準は遺伝子に刷り込まれているわけだ。

でも、女性がどんな男性を選ぶかは、常識的に考えても明らかではないだろうか。つまり収入があって(生活の安定)、頭が良くて(話が面白い)、優しくて(自分を気にかけてくれる)、清潔で(生活環境に気を配る)、誠実で(裏切らない、嘘をつかない)、身体能力が普通以上で(健康)、できればイケメンといったところだろうか。

まあ、概ね予想通りのこうした特性を進化論的にはどういう意味があるのかを述べながら話は進んでいくのだが、特筆すべきは女性の立場からこの世界がどう見えるかということを中心に述べていることだろう。女性から見ると、なかなかこの世界で生き抜いて子供を育てるというのは大変だということがわかる。

まずは女性から見て、男性は恐怖でしかないという。体力では勝てないし、危険でサイコパスのような異常な性格かもしれない。女性はそのようなぞっとするような男性から付きまとわれかねない生活をしているから、一目見ただけで危険を検知する技術を自然と身に付けているのだ。そういうわけで、第一印象で危険を感じさせるような雰囲気を漂わせているようでは、出会った瞬間に恋愛対象の候補から排除されてしまう。

そして第1関門を突破したあとも、女性の厳しいチェックは続くわけだが、ここで著者たちが何度も強調するのは、健康に関することだ。ともかく健康であることは重要で、見た目に関係するのはもちろん、それ以外の例えば知性にもおおいに影響するという。心理的な安定やユーモアのセンスなどにも健康が必須なのだ。健康であるためには、食事に気をつけて十分な栄養を摂り、適度な運動をして、そして繰り返し強調されるのが睡眠のことで、8時間から10時間のたっぷりの睡眠を取るべきだという。

あと、社会的評判とかも大事で、その男と付き合うことで自分の評判が上がるのか下がるのかなどということももちろん女性は計算の対象とする。

しかし、まあ、これらはなんかモテるという語感からはちょっと違う気がする。だって、これって夫としての条件じゃない? たくさんの女性と関係を結ぶたぐいのモテるとは違う気がする。まあ、MATEという原題自体が、人間のつがいを作るときの話なんだからしょうがないのかもしれないが。

しかし著者によれば、一時的な(たとえ一夜限りの)関係だろうが、長期的な結婚だろうが、どんな男性に魅力を感じるかの基本は同じなのだという。男性が短期の関係を望んでいるのと同様に、女性も短期の関係を望んでいる場合があるので、そのような女性を見つけることが可能なのだという。

そうなんだ。でもどうやってそれを見分ければいいんだろう。非常に困ったことにその辺は書いてない。それどころか、短期的な関係はリスクが高いなどと脅かしにかかってる(苦笑)。

ともかく、うまく付き合いが始まっても、どう思っているか自分の気持ちは相手に正直に述べたほうが良さそうだ。付き合いはじめてしばらくしたら、結婚をふくめた真剣なものなのか、それともセックスがしたいだけで結婚は考えていないのか、その辺の気持ちを正直に話せば、女性に選択肢を与えることができる。また自分がその気がないのに、相手が長期的な関係を望んでいることが分かったら、すぐに彼女から離れてあげることが大切だそうだ。なんかとっても倫理的(笑)。

そしてたとえセックスしたあとでも、違うと思ったら、女性から離れることも必要だという。女性にも選択権はあるけれど、男性にもあるのだ。なるほど。

ところで、誰かと長期的な関係を結んでいるのに、他の女性と短期的な関係はだめなのかしら。端的にいうと不倫や浮気のことなんですけど。

この本は長期的なパートナーを得ることが目的なので、得たあとのことは書いてありませんが、しかし、倫理にうるさいこの本の著者から見れば、もちろんそんなことは考えるまでもなくNGなんでしょうね。それは裏切りであり、誠実さに欠ける行いということになるでしょうから、パートナーを失うだけでなく社会的な信用も失墜するというところでしょうか。

興味深いアドバイスとしては、女性と付き合いたいなら女性のたくさんいるところにいないとだめだと、明言していることです。そりゃそうだよね。

わしがミュージカルを夢中で観ていた時期(こちら参照)、個人的な知り合いは女の子のほうが多かったです。なにしろ当時はミュージカルを観劇するような男性はほとんどいませんでしたから。というか、もっと正直に言うと、現在の妻はその頃の観劇仲間です(苦笑)。だから、まあ、どこにいるかが大切というのはそうだと思います。

原著には、どの都市が女性が多いかのリストすらついているそうです。ただし、もちろんアメリカの都市の話ですが。

原著は600ページの大著だそうで、訳者のお二人が訳したあと、橘玲が大胆に日本では関係ないところをカットしたんだそうです。訳された方は大変ご苦労さまでした。

****メモ****
モテを実現する5つの原則
(1)(進化心理学などの)科学的に基づいて決める。先入観は排除。
(2)女の子の視点を理解する。
(3)自分の魅力を装備する。
(4)正直であること(自分に対しても相手にも)
(5)ウィンウィンの関係を築く。

5段階のプロセス
(1)(デートやセックスについて)頭の中を整理する。
(2)魅力を身につける。
 身体の健康(シェイプアップ)、心の健康(メンタルヘルス)、賢さ(知性)、意志力、優しさ男らしさ
(3)魅力を示す(シグナリング
(4)女の子のいる場所へ行こう
(5)行動して経験から学ぼう

★★★★☆

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