ヘタレ投資家ヘタレイヤンの読書録

個人投資家目線の読書録

恐るべき子供 リュック・ベッソン『グラン・ブルー』までの物語

リュック・ベッソン 訳・大林薫 辰巳出版 2022.6.25
読書日:2022.11.15 

フランスの映画監督リュック・ベッソンが孤独な少年時代を過ごしたあと、グラン・ブルーを発表して、ようやく何者かになるまでの自伝。

わしは社会人になりたての90年代、年末には地方の実家に帰っていた。といっても何もすることがないから、大晦日にはおもにテレビで映画を観ていて夜を明かすことが多かった。そのときひどいと思ったのは、毎年、同じ映画が流されることだ。少しはバリエーションを増やせよ、と思うのだが、地方の放送局だから年末の深夜映画にそんなに力は入っていないのである。そしてなぜかグラン・ブルーが流されることが多く、結局わしは3回ぐらい観たんじゃないだろうか。

というわけでグラン・ブルーには親しみがあり、どちらかと言うと好きな作品である。わしはてっきりこれはアメリカ映画だと思い込んでいた。リュック・ベッソンがフランス人のクリエイターだと認識したのは、ニキータあたりからじゃないかな。そのときはフランスでこんな映画が撮れるんだと、驚いた。ぜんぜんフランス的じゃない。

この自伝は、前半と後半に分かれていて、前半は映画のクリエイターになることを決心して学校をやめるまでで、後半は映画をやることに決めて、フランスの映画界で悪戦苦闘する話である。

しかし、全編を通して漂っているのは、リュック・ベッソンの恐ろしいほどの孤独である。なにしろ小さい頃から父親クロードと母のダニエルのどちらからも気にかけてもらえず、友達もいなかった。普通、両親のどちらかは子供に気をかけるものじゃないだろうか。しかしふたりとも忙しくて、リュックはまったく相手をしてもらえなかったのだ。

父親のクロードはリゾートのアクティビティの仕事をしていたので、夏はギリシャの島などの海のリゾート地でヨットや水上スキーなどを客に教えていたし、冬は冬山のリゾートでスキーを教えていた。母親もダイビングの資格を取って客に体験させていたりしたり、冬山ではクレープを焼いたりして働いている。

特に父親はサービス精神が旺盛で、客にとても人気があり、常に客の相手をしていたから息子の相手をしている暇などないのである。リュックは、父親は神のような存在で、神様はみんなのものだから仕方がない、と自分を納得させている。父親の注目を集めたい一心でスキーの特訓をして、ついに父親を超えるところまで上達して、褒めてもらえるかと思ったら、逆に嫌な顔をされて、逆効果だったなんていう話もある。

そんな風にほったらかしにされていたので、自分ひとりで遊ぶしかない。季節ごとに移動し、しかも周りには同じ年頃の子供もいなかったので、就学前は他の従業員が飼っていた犬のソクラテスが友達で、いつも一緒にいたそうだ。

さらに素潜りをして、タコやウツボなどを飼いならして、一緒に遊んだりしている。タコが足を絡ませてじゃれてくると、とても慰められたと言ってるのだから、どれだけ孤独だったんだよ、と言いたくなる。もちろん、両親はリュックに食事を与えなかったというようないわゆるネグレクトのようなことをしたわけではなかったが、抱きしめるとかの愛情行為はほとんどしなかったんじゃないだろうか。なにしろタコに抱かれて感激するほどなんだから。ある意味、精神的なネグレクト状態だったといえるだろう。

しかし、後年のリュックを思わせるというか、行動力はものすごいのである。簡単な板の舟に犬と一緒に乗って、対岸のスイカ畑にスイカを盗みに行ったりしている。地上からは難しいが海からだと簡単に入れたからだ。うまく行ったが、スイカを食べたら眠ってしまい、夕暮れに慌てて舟を出したら急造のオールが壊れて遭難しかかったりしている。(父親のヨットに助けられた)。夏のリゾート地のハイライトはイルカと友達になった経験だろうか。それこそグラン・ブルーの原体験だ。この経験から将来はイルカの学者になりたいと思ったりしている。

そうこうするうちに、両親が離婚する。お互いに好きな人ができたのだ。リュックは母親の方に引き取られた。リュックは初めて母親を独占できたと喜んだが、再婚相手の元レーサーのフランシスに煙たがられて、歩いて通える学校だったにも関わらず、寄宿寮に入れられたりする。

そこでは新入生に対する伝統的ないじめがあって、それはむりやり陰毛を剃ってしまうというものだった。リュックはおとなしくやられるタイプではないので、夜中に部屋に侵入してきた上級生たちに椅子を振り回して応戦し、相手に大怪我をさせている。おかげでリュックに対するいじめはなくなったが、友達ももちろんできなかった。成績は落第寸前だったが、演芸会で爆笑のコメディを作って教師たちを感心させて、なんとか進級できたという。

芸術の才能は、父親の仲間たちから教えてもらった。トムという父親の仲間から、写真について勉強し、フレーミングなどを学んでいる。トムはレコードも集めていて、音楽についても教えてくれた。いっぽう、本を読んだという話はあまり書いていない。本で夢中になったのは、クストーの海の本だけだったらしい。だがマンガには夢中になったようで、マンガ雑誌を買う木曜日だけが現実逃避の瞬間だったという。どうりで、なんかマンガっぽい映画が多いと思った。

ほかにも工作が得意な人がいたりして、お金はなくても、何でも自分で作ってしまうことを学んだ。そんな感じなので、火薬を分けてもらうと、それでロケットを作ったりして、ロケット発射の見学者が大勢集まったりしている。

いっぽうで、お金のかかるものはまったく買ってもらえなかったので、レコードをたくさん買ってもプレーヤーは人から借りるしかなかったし、写真に夢中になってもカメラは買ってもらえなかったからずっと人からの借り物でなんとかやっていた。

不思議なことに、映画監督なのに、映画を観た話はほとんど出てこない。TV時代が始まっていたのに、ドラマの話は1つしか出てこない。白黒の画質の悪いテレビだったが、観てもいいと言われたドラマがそれだけだったようだ。そんなわけで、子供の頃は、実際にほとんど映像作品は観ていないようなのだ。アニメの「ジャングル・ブック」を見て、動物に愛情を持って育てられた主人公を見て、自分も動物に育てられたいと思ったということが書いてある。そして母親にねだって「2001年宇宙の旅」を観たときには感動したとか、「スターウォーズ」を観にわざわざパリまで行ったという話も出てくる。だが、本当にそれくらいなのだ。

一方では、リゾートでは父親が演出するお芝居の舞台に立たなくてはいけなかったりして、どちらかと言うと実地の舞台で観客を喜ばせることを学んだようだ。リセ(高校)のときには爆笑のコメディを創って進級できたのはこのような経験のおかげだ。

では、映画もほとんど観ていない少年がなぜ映画の世界を目指すようになったのだろうか。リセでいよいよ将来何をするか決める必要ができたときに、リュックは好きなことと嫌いなことのリストを作ったのだという。そうすると、好きなものにはなにかを創造するものがずらりと並んだのである。写真が好きだったが、写真は動かないのが満足できなくなっていた。それで、映画を作ることを目指すことを決める。驚いたことに、そう決めると、学校が耐えられなくなっていたので、リセすらもやめてしまうのである。

大学を中退する話はよく聞くが、高校すらも中退してしまう人は初めて知った。よくこんな思い切ったことができると感心する。映画のことは何も知らないから、実地ですべて学ぶことにして、なんとか現場に潜り込んですべてを学ぼうとする。もちろん、経験させてくれるのなら無給でも大歓迎だった。仕事がないことが多かったが、そういうときには脚本をたくさん書いていたようだ。脚本の書き方もすらも知らなかったが、捨てられたボツ脚本を集めて学んだという。そんなわけで、なんとリュック・ベッソンは映画の専門学校すら行ってないのだ。このころに「フィフス・エレメント」の元になる脚本を書いている。

雑用をしているうちに、助監督として働くチャンスを得た。そのときには監督の思いつきを実現させるために悪戦苦闘しながらもなんとか実現させてしまうという離れ業を連発する。たとえば壊れた噴水から水を出してほしいと言われれば、ホースを見えないところに配置して噴水が上がっているように見せかけたり、群衆がほしいということになれば、アラン・ドロンに会えると嘘をついて人を集めたりする。お金がなくてもなんとかする臨機応変さは、やっぱりなんでも自分でやるという子供の頃からの習慣の賜物なんだろう。芸術のためなら何でもするという覚悟が必要なんだそうだ。

そして友達を集めて、「最後から二番目…」というSFのショートムービーを作ったあと、それを長編化した「最後の戦い」という映画を撮って、アヴォリアッツ国際ファンタスティック映画祭のグランプリをとるのが1983年、24歳のときである(本には21歳と書いてあるが間違いでは?)。商業映画「サブウェイ」を撮ったのが1984年、25歳で、「グラン・ブルー」を撮って文字通り映画界に刻印を押したのが、1988年、29歳のときだ。

というわけで、映画界で成功したのだが、あれだけ、孤独だ、自分を愛してくれ、と叫んでいた家族との関係はどうなったんだろうか。

どうやら映画を撮ると言って自立したあとは、けっこううまくやっていたようである。母のダニエルはリュックの決断にびっくりしたが、父のクロードは賛成していろいろ便宜を図ってやっている。(もともと冒険好きな人なのだ)。あれだけリュックのことを厄介者にしていたフランシスは、アヴォリアッツ映画祭で会場のアヴォリアッツが雪に閉ざされそうになったとき、「最後の戦い」の上映フィルムを、元レーサーのドライビングテクニックを駆使して山道を突っ走って運んでくれたりしている。それになによりたくさんの友達にも恵まれたし、結婚もして子供も作った。

というわけで、やっと孤独から開放されたのか、と思ったら、グラン・ブルーの成功のあと、お金は入ったが友達は少なくなったそうだ。あれま(笑)。

グラン・ブルー以降については本書には書いてないのだが、その後も、リュック・ベッソンは結婚、離婚を繰り返しており(その後も、というのは、その前もそうなのだ)、はたして彼の子どもたちは父親から十分な愛情をもらっているのだろうか、と心配になってしまう。自分が受けた孤独だけは子どもたちに与えていないと信じたいのであるが、親は子供の頃に受けた扱いを自分の子供に繰り返してしまう傾向があるからねえ。まあ、わしが心配してもしょうがないのだが。

**** 追記 *****
この本を読んだあと、気になったので映画「サブウェイ」を観てみた。イザベル・アジャーニの美しさは別として、まったく面白くなかったので困惑した。まあ、せいぜい才気あふれると言える程度だ。この作品のあと、リュック・ベッソンは本当にグラン・ブルーを撮ったのか。あまりにグラン・ブルーとの差がありすぎる。

どうもこの頃、リュック・ベンソンは脚本の力が足りなかったようだ。グラン・ブルーも何度も書き直しをしても、脚本がビシッと決まらなかったらしい。それで映画会社の社長のアドバイスをうけて、フランシス・ヴェベールというベテランのアドバイスを受けることにしたのだという。

ヴェベールは、脚本を読んで弱いところを見つけると、「どうしてそうなったのかな?」と聞くのだという。それに答えても、また「どうして?」と聞いてくるので、リュック・ベッソンはどんどん追い込まれていったという。

結局、ストーリーの構造がまだ弱く、しっかりしたものになっていなかったのだ。シーンがいくつも移動され、おかげで主要登場人物、ジャック・マイヨールとエンゾ・モリナーリのライバル関係が鮮やかに浮かび上がってきたという。

ヴェベールとの10日間は最高に勉強になったと、リュック・ベッソンは書いている。

★★★★☆

なぜ宇宙は存在するのか はじめての現代宇宙論

野村泰紀 講談社ブルーバックス 2022.4.20
読書日:2022.11.6

カリフォルニア大学バークレー校教授の野村泰紀が、ビッグバンからマルチバース宇宙までを解説する本。

わしは現代宇宙論についての本をときどき読むことにしている。量子力学に加えて、わけがわからない学問の筆頭ですからのう。この本では個々の理論の解説については、まあ、通常のものと変わりはなかったが、いろいろ細かい表現のところがわしには面白かった。

例えば、星が無限個あるのなら宇宙はなぜ暗いのか、という問いがある。普通は宇宙は膨張しているからとか、そういう説明がされることになっているが、野村泰紀さんによれば、宇宙はぴかぴか光っているんだそうだ。ただし宇宙背景放射マイクロ波で(笑)。まあ、確かにね。

別のところでは、例えば人間原理に関する説明がちょっと気になった。

普通、人間原理といえば、なぜ私たちの宇宙の物理的パラメータはこうなっているのか、という疑問に対する説明で、このようなパラメータでないと人間が誕生しないから、とされているものである。こんなの聞いたら、だれだって、そんなの説明になっていないじゃん、と思うだろう。

しかし、野村さんによれば、人間原理というのはそういうものじゃないそうだ。人間原理というのは、人間が誕生しないような膨大な数の宇宙の可能性を論理的に示しているというのである。つまり、10の120乗とかそういう桁違いの数の宇宙(マルチバース)が存在していることを示しているというのだ。そのくらいのスケールでマルチバースの宇宙が存在していないと、人間が誕生する宇宙ができる可能性はゼロになってしまうから、というのである。

言わんとしていることはわかるけど、人間原理を認めると本当にマルチバースが論理的に認められることになるのかしら? せいぜい示唆しているぐらいじゃないかなあ。

マルチバースを補強するほかの根拠は、超弦理論だそうで、超弦理論はパラメータ設定で多くの異なった世界ができるからという。でも、これも単に実験データが足りないだけかもしれない。

わしはマルチバースの可能性は認めるが、やはり何らかの観測データがほしいところだ。

で、マルチバース内の泡宇宙は別の宇宙だから、わしらの宇宙から見えないかと言うと、見える可能性もあるんだそうだ。別の宇宙はわしらの宇宙に接して存在している場合、見えている可能性があるという。それは宇宙背景放射の中に、例えば特徴的な円形の形で見える可能性があるという。

なるほど。もしそういう物が見えたら面白いね。そして、いまの系外惑星のように、たくさん発見されたらもっと面白いね。マルチバース理論が観測によって確認できる日がきたらとても面白い。きっとブラックホールが情報をホーキング放射で吐き出しているように、マルチバースの泡宇宙も観測から内部の情報が得られるのではないかしら。

マルチバースの泡宇宙内の時間が、外から見た時間とは異なるという説明も面白い。もしかしたら、わしの長年の疑問の答えになっているかもしれない。

ほら、よく宇宙誕生から何秒後に何が起きたとか述べてるじゃない。わしはそこで述べられている時間って、なんなんだろうっていつも思ってるの。あれって、わしらの宇宙を外から見た時間じゃないかしら。だってさあ、宇宙の始まりの超高密度とか超高温とかそういう世界の時間の進み方が、いまのわしらの感じている時間と同じとはとても思えないでしょう? わしはなんかその辺がいまいち理解できないの。宇宙学者の皆さんは、とても普通に語ってらっしゃるんですけど、どうも納得がいかない。

でもそれについて語ってくれた本には未だに出会っていません。いつか分かるのかしらね。

まあ、なんであれ、宇宙開闢当初の時間なんてのは何桁ずれていようが、野村泰紀さんの言うように、対数で考える限り、誤差の範囲なのかもしれませんが。

★★★★☆

人口革命 アフリカ化する人類

平野克己 朝日新聞出版社 2022.7.30
読書日:2022.10.31

アフリカの人口増加率は1950年代から2%以上であり、世界のどの地域よりも高く、未曾有の人口膨張を続けており、21世紀の後半には人口の半分がアフリカ人になってしまい、人類はアフリカ化すると主張する本。

アフリカの人口が増え続けているというのは知っていたが、人類の半分がアフリカ人になるということは大変なことである。人類がアフリカ化するというのは具体的にどんなふうになるのだろうか…という答えを知りたくて、本書を手にとったのだが、実はこれが結論であって、どうなるかまでは書いてないのだった。あれま。(苦笑)

その代わり、書いてあるのは、世界人口が増加してきた歴史(ブリテン島から始まったそうだ)だったり、人口増加が起きるプロセスの理論などが書かれてあり、アフリカではこれまでの理論とは合わない状況で人口が増えているということが記載されている。

これは非常に不満だが、著者はアフリカの専門家でしかなく、人類全体の影響を考えるには当然アフリカを超えた人類全体の文明の知識が必要になるから、著者には荷が重すぎる話なのだろう。誰か考察してくれないかなあ。

ちょっと残念な結果だが、人口が増加するアフリカ特有の事情はそれなりに興味深いので、その部分を書くことにする。

ヨーロッパや日本などの人口増加率は年率1%台だったそうで、それでも数十年後には人口が倍になる。1.5%で47年、2%では35年、2.5%では28年で倍になる。アフリカでは1950年代で世界人口に占める割合は10%以下だったが、それ以来、2%以上の人口増加率で増え続けており、アジアの人口増加が頭打ちになったいまでも増え続けている。

ヨーロッパやアジアでは、人口が増えたあと、生活水準が向上し、産む子供の数が減っていき、人口増加は頭打ちになり、高齢化社会が訪れている。ヨーロッパはゆっくりとそれが進み、アジアでは急激にそれが進んでいるという違いはあるが、流れとしては同じである。

アフリカでは人口増加の様相が異なっており、子供の数が多いまま人口がどんどん増えているのだそうだ。しかも、そのたくさんの子供は親がそれを望んでいるので、計画的に大家族になっているのである。

これは子供が多い方が豊かになれるという、現代では理解しにくい状況が起きているからだ。アジアなどでは緑の革命が起きて、品種改良、化学肥料、機械化で、単位面積あたりの収穫量を増やしていった。農業は効率化され、少ない人数でたくさん作るということになり、そのあまった人口は他の産業に流れて、より付加価値が高くなり、生活水準が上がっていった。

アフリカでは単位収量は上がっておらず、たんに耕作地の面積をどんどん増やして収穫量を増やすということが行われているらしい。この場合、労働力が多いほど、収穫量が増えるので、人数が多いほうが歓迎される。労働力が多いほうがいいから、一夫多妻も歓迎される。(妻自身、夫が第2妻や第3妻を取ることを歓迎する)。もちろん子供の価値も高くなる。子供は純粋な労働力としてだけでなく、とくに女の子は多くの持参金が期待できる。だから子供をたくさん持っているということは富があるということなのだ。

うーん。こんな記述を読むと、アフリカ経済の発展段階っていまどのへんなのさ、という気がするよね。日本なんか江戸時代には開墾できる土地は相当開梱しつくされたという感じなのに、アフリカはまだまだ開墾できるところがあるというわけだ。なぜこれまで開梱されなかったのか、そっちのほうが不思議である。農業自体がまだ新しい産業なのだろうか?

なお、アフリカでは穀物の輸入も多く、ウクライナ戦争でアフリカが食糧危機に陥りつつあるという話がされていますね。やっぱり効率が悪いんじゃないだろうか。

こういう人口の増え方なので、アジア経済で話題になる、人口ボーナスや人口オーナスという現象は起きていないんだそうです。人口ボーナスというのは、人口が増えて働き手が増えるものの、産む子供の数が減る結果、養う負担が減り、その分消費が爆発的に増える現象です。そのあと、そのたくさんの労働人口が高齢化して反対に労働人口が減るので養う負担が増えて人口オーナス(負担)となるわけですが、ともかく急速な経済発展には人口ボーナスは有効です。だからそれがないアフリカの経済成長は人口の増えた分に見合った成長で、なんの加速効果もないってことですね。

まあ、人口が増える分だけ影響力が増すのは理解できるけど、なんかアフリカから人類全体に影響を与える文明が誕生する気があまりしないんだよねえ。でも、人数はやっぱり力だから、アフリカで流行ったものが世界中で流行るみたいなことは、それはやっぱり起きるんでしょうね。

まあ、ともあれ、アフリカの人口は無視はできませんので、今後とも関心を持っていきたいところです。

★★★☆☆

プーチンのユートピア 21世紀ロシアとプロパガンダ

ピーター・ポマランツェフ 訳・池田年穂 慶應義塾大学出版会 2018.4.25
読書日:2022.11.5

2006年から2010年までロシアのテレビ局に勤めてドキュメンタリーを制作した著者が経験したロシアでのプロパガンダの実際を述べた本。

著者のピーターはロシアからイギリスに亡命した一家で育ったが、プーチン政権下のロシアにチャンスを見出してロシアに渡り、TNTというテレビ局に入る。なにしろ当時のモスクワでは、ロンドンから来たというだけでありがたがられ、何の実績もない著者がいきなりディレクターになって、制作の予算がついたそうだ。西側的な感性があるはずと重宝され、いろんな会議に招かれて意見を求められた。

そこで知ったのはロシアでは、ニュースやドキュメンタリーには最初からシナリオがあるということだった。テレビ局の男たちが会議室に集まって、タバコを吸いながら、今度は誰を悪者にしようかなどと話し合っているのだ。つまりはすべては作り話であり、プロパガンダということである。もちろんこのショーの主役はプーチンである。

プロパガンダの元締めは元大統領付補佐官、副首相、外交問題大統領補佐官のウラジスラフ・スルコフという人物。別名「ロシア史上最高の政治工学者」でPRの達人だ。オリガルヒ企業のキャンペーンで名をあげた人物で、じきに政治家のキャンペーンもするようになり、ついには大統領プーチンのPRをするようになったという。複雑な人物で、ベストセラー小説「オールモスト・ゼロ」の作者と言われている。

スルコフは単純な大統領キャンペーンはしない。反体制派を取り込んで、政治ショーを演出する。スルコフの部屋には各反体制派につながる電話が並べられていると言われ、各派のリーダーに直接指示をするのだそうだ。つまり政治的なニュースは反体制派の動きも含めてすべてはショーであり、スルコフはまるでリアリティ・ショーのように政治を演出するのだという。そうしたひと目をひくショーの中で、プーチンによる「安定」とそれに反対するものとの対立のイメージを繰り返す。プーチンを資本主義的な「効率的な経営者」のイメージで売り込み、資本主義的な言葉を使って、独裁を正当化するPRをするのだという。

スルコフが取り込んでいるのは政治的な反体制派だけではなく、ロシア正教などの宗教や、ロシア版の「ヘルズ・エンジェルズ」と呼ばれるバイカー集団「ヌチニイエ・ボルキ(夜の狼)」なんかも含まれる。愛国的かつ宗教的なこのバイカー集団は、機械の部品で十字架を作り、クリミアでバイクショーやコンサートを開いて、クリミアを取り戻そうという運動をする(2014年のクリミア併合前の話)。スルコフはプーチンレイバンのサングラスを着けさせ、ハーレーに跨がらせる演出(ただし三輪(笑))をしたのだそうだ。どうやらバイクギャングのボスというイメージはロシアでは肯定的なイメージのようだ。なるほど。

というわけで、当時のロシアは、「本当のことは何もなく、何でもあり(本書の原題)」という状況だったそうだ。まあ、いまもそうでしょう。

こういうポストモダンともいえる状況は、とても興味深い社会的、文化的状況のようにも見え、なにか怪しげな魅力を感じないでもない。しかし、はたから見ている分にはいいかもしれないが、実際そういうところで暮らしているロシア人自身はどうなんだろう。

それがけっこう適応しているようなのだ。

これにはロシア人がソ連時代からいくつものペルソナを使い分けるという訓練を受けていることが大きいように思われる。つまり政治的、社会的なさまざまな局面で彼らは演技をしなければならなかった。ソ連崩壊後のロシアでは、国の制度が解体され、役人も軍も腐敗し、資本主義の強欲の洗礼を受け、オリガルヒ(政商)がばっこする、というようにつぎつぎと時代が切り替わったが、ロシア人はこの技術で、なんとか目まぐるしく変わる時代の変化を乗り切ったのだろう。

読んでいて、わしはなんだかロシアはファンタジーランドという点で、アメリカにとても近いように思えた。アメリカも宗教や陰謀論にまみれたファンタジー国家だから。(参照「ファンタジー・ランド」)。違いと言えば、アメリカ人はファンタジーを信じているが、ロシア人は演じているという点か。

一方、著者のピーターの方はこういう状況には結局はなじめなかったようだ。ロシアのドキュメンタリーには悲惨さは求められず、最後には救われるというエピソードや笑えるエピソードが必須だったという。しかし自殺したモデルを追いかけたピーターは、楽観的なエピソードを捻出できず、結局はイギリスに戻ったのである。

イギリスではうまく適応したようで、ロシア時代の経験を生かし、いまではプロパガンダの専門家として、LSE(London School of Economics)でなにか教えているらしい。

ロシア時代に結婚して娘ができたが、娘はロンドンになじめずモスクワに帰りたがり、夏休みには妻の親のダーチャ(別荘)で過ごすために空港から送り出すのだが、本人もなんだかロシアに未練たらたらに見えるのは気のせいか。

****メモ****
ピーターが取材した人々。
(1)オリオナ
大金持ちのパトロンを捉える方法を伝授する専門学校「ゴールドディッガー・アカデミー」の卒業生で愛人をしている。
(2)ヴィタリー・ジョーモチカ
極東の町ウスリースクのギャング。ソ連が崩壊したあとはギャングの天下となり、町を支配した。その後、本物のギャングと銃を使って6時間のドラマ「スペッツ」を制作し、評判になるが、ギャングの時代が去ると、風刺を利かしたユーモア作家に転身し成功する。
(3)ベネディクト
西側の国際開発コンサルタント。ロシアを教育するはずだったが、逆にロシアに取り込まれてしまう。
(4)ジナーラ
チェチェン出身のムスリムの売春婦。妹がイスラム過激派に心酔し、自爆テロを行うんじゃないかと心配するが、やがて過激派から離れて、同じ売春婦になったことを喜ぶ。
(5)ジャムブラト
7歳なのに体重が100キロもあるので人気者の子供。
(6)ヤーナ・ヤコブレバ
34歳の女性経営者で、突然逮捕されて会社を乗っ取られそうになる。
(7)アレクサンドル・モジャーエフ
壊されていくモスクワの普通の町並みを残そうと運動をしている。なのに外国に出ることを夢見ているらしい。
(8)NGO「ロシア兵士の母の委員会連合」
ロシア軍から脱走した兵士を助けている。ピーターは4人の18歳の元兵士にインタビュー。
(9)グリゴリー
タタールスタン出身の大金持ち。ピーターの大学時代の女性が恋人だったので知り合った。スクリャロフという半分狂人の男を拾って、本を出版させた。
(10)ルスラナ・コルシュノワ
カザフスタン出身のトップモデル。21歳のときにニューヨークで飛び降り自殺したが、ピーターはそれが「ザ・ローズ・オブ・ザ・ワールド」というセクト(カルト的な集団)の心理トレーニング(自己啓発セミナー)の影響だったことを突き止める。
(11)ヴァサリオーン
新興宗教の教祖。
(12)アレクセイ・ヴァイツ
イカー集団「ナチヌイエ・ボルキ(夜の狼)」のリーダー。
(13)ジェイミソン・ファイアストーン
ロシアに弁護士事務所を開いたアメリカ人。雇っていた弁護士セルゲイ・マグニツキーが逮捕され、拷問で殺された。ロシアを脱出して、ロンドンでクレムリンと戦っている。

★★★★☆

 

 

リセットを押せ ゲーム業界における破滅と再生の物語

ジェイソン・シュライアー 訳・西野竜太郎 グローバリゼーションデザイン研究所 2022.6.20
読書日:2022.10.30

アメリカのゲーム業界では、制作スタジオの誕生と破産が日常茶飯事で、ほとんどのゲーム制作者は2、3年に一度レオオフを経験しており、その不安定なキャリアの現状を報告する本。

本を読んでいて、この話は本当にアメリカか、と何度も思った。それくらい日本のアニメ産業のアニメーターたちの不安定な生活とオーバーラップした。

ゲームクリエイターたちは本当にゲームが作りたくてこの業界に入ってくるが、長時間労働と低収入にあえいでいて、しかも作品が完成すると、その作品が成功しても失敗してもレイオフされる運命にある。なぜならゲーム作りにはたくさんの人間が必要だが、完成したあとはそのたくさんの人数を抱えている余裕がスタジオにないからだ。余裕がある場合でも、上場企業の場合には決算をよく見せるためだけにレイオフをする。

というわけで、全員が集められる会議に招集されると、ベテランのクリエイターは嫌な予感がするそうだ。

レイオフされても実績がある場合はそれほど再就職は心配ないらしい。大きなスタジオが閉鎖されると、他のスタジオが大挙してやって来て、クリエイターたちを雇おうとすることもある。さらに業界仲間の結束は高くて、レイオフされた仲間を救おうとする。しかし再就職できても、スタジオはアメリカ全土に散らばっていて、引っ越しが大変になる。何度かそれをすると、特に家族を持っているひとはうんざりする。

長時間労働も問題で、特に作品の終盤に差し掛かると、クランチと呼ばれるひたすらゲームを作って寝る時間しかないという状況に追い込まれる。休日も返上される。たまに休みが取れても、なにもやる気が起きず、独身なら掃除もしないので部屋は荒れ放題になるそうだ。しかし、仕事中毒の人間があふれている業界では、なかなか改善されない。

このように長時間一緒に仕事をしていると、仕事仲間には強烈な連帯感が生まれるから、レイオフされてなにがつらいと言って、仲間と分かれるのが一番つらいらしい。しかし、ほとんどのレイオフは突然告げられるので、仲間と最後の時を過ごす時間もなく、そのまま会社を追い出される。荷物の持ち出しも制限されるので、荷物をあまり仕事場に置かないようにする習慣がつくらしい。

作品制作が終わって成功してレイオフされる場合は、まだ退職金が出る場合が多いのでましだが、スタジオが資金調達に失敗して破産する場合は、レイオフの通知の前に給料が振り込まれなくなることで気がつく場合が多いそうだ。仲間どおしの間でメールやスラックが飛び交い、やがてアカウントが閉じられ、やり取りもできなくなる。

クリエイターたちの中でも特にプログラマーはいろいろ思うところがあるらしい。同じプログラマーでも、IT業界にいる人は桁違いの収入を得ているのに、いっぽう自分はいつもレイオフの危機に怯えている状況なのだから。そこまでしてもこの業界にいるのはゲームが好きだからで、暇な時間があるとついゲームをしたりするような人たちなのだ。どうしてもゲームから離れられず、いつも凄いゲームを作ることを夢見ているわけで、業界はほぼ「やりがい搾取」の場になっている。

こうした状況を改善するにはどうしたらいいのだろうか。

ゲームの制作は映画の制作と似たところがある。映画では労働組合が機能して、組合員の待遇が不利にならないように報酬水準と労働時間などの環境を守っている。だから、ゲームの業界でも労働組合を結成するのが現実的な解のひとつだ。労働組合についてはいろいろ話し合いが行われているが、まだできていない状況だ。

別の方法ではインディーズで自分たちでゲームを作るという方法がある。ほとんどのクリエイターは大きな会社の歯車となってゲームを作るのにうんざりしている。完成しても、自分には何の権利もないからだ。小さなゲームで売上は少なくても、自分と小さなチームだけなら十分に食べていける可能性がある。かつては不可能な選択だったが、スマホゲームのプラットフォームができてきたので、十分可能な選択肢になった。あまりお金がかけられないので、クランチとなり、自分の時間のすべてを制作に捧げる状況に陥りがちだが、自分のゲームを作っていると耐えられるようだ。

別の選択肢としては、助っ人専門の会社を作るという方法がある。会社がたくさんの人数を抱えてゲーム完成後にレイオフするのは、開発のマンパワーが特定の期間だけ必要になるからだ。しかし、足りないマンパワーアウトソーシングできれば、必要なときに必要な分だけ調達すればいいから、レイオフのような悲劇は起きない。アウトソーシングを請け負う会社の社員も、レイオフや引っ越しなどの煩わしさから開放される。また、一定の仕事をするだけなので、クランチという理不尽な慣行からも開放される。自社以外の会社にアウトソースすると、発注側もこれが本当に必要な仕事なのかもう一度考えるので効率的だ。自社の社員に対しては気軽に思いついたアイディアをやらさせがちだからだ。ただし、アウトソースの会社では言われたとおりに仕上げるだけなので、ゲームを作るという喜びはない。

仲間と別れたくない場合、チーム単位で転職するという選択肢もありえる。しかし、そのチームでリーダーシップを取ってくれる人がいないとなかなか難しそうだ。しかし、チーム単位での転職というのは、ソフトウェア業界でも比較的よく聞く話だから、悪くない気もする。

ゲームの開発ではなくて、ゲームを開発するプログラムの開発を行うという手もある。金を掘るのではなく、スコップを売るという戦略だ。みんな楽をしたいので、よくできたプログラムはあっという間に広まる傾向があるようだ。

さて、わしが分からなかったのは、どうしてゲームの開発がこんなに非効率なのかという点である。

映画の場合は、実際の制作に入る前に、脚本や絵コンテの段階で十分検討する時間を作るではないか。ところがゲームの場合、ディレクターが思いついたことを何ヶ月もかかって実際に作ったのに、たった数分間の検討を行っただけでその案を廃棄するなんてことがよくあるようだ。なぜ実際に作らなくては行けないのか理解に苦しむ。完成度が低くても簡単に試せる仕組みや、あるいは全体の構成を仕上げることを優先すべきじゃないだろうか。どうもゲームの場合は操作したときの感触や面白さは、実際に作らないとわからないということらしいけど。

こう考えると、やっぱり分業というのがもっともいいような気がするなあ。全体の構成を考える人、ぞれに絵を付ける人、動きを考える人、対戦や問題解決の小さなアイディアを考える人、それぞれ専門の分野に特化して、別会社にするのがいいように思える。こうすれば、プロジェクトごとに集まって解散するというのがやりやすいだろう。

コロナのパンデミックで、ゲーム業界もご多分にもれずにリモートでの在宅勤務になった。そしてこれでもけっこうゲームは仕上がった。一方では、仲間が集って議論しないとなかなかいいアイディアは出ないという人もいる。しかし、きっとリモートが今後の標準になって、引っ越しのトラウマからは開放される方向に行くんじゃないかな。

わしはゲームをしない。どうも他人の限られた世界観の中で遊ぶのはバカバカしいと思ってしまうたちなのだ。ゲームの世界がどんなにすごくても、現実のほうがもっとすごい、というのがわしの意見だ。そんなわけで、この業界のことはまったく知らないのだが、日本のゲーム開発会社の状況はどんな感じなのだろうか。

★★★★☆

押井守のサブぃカルチャー70年

押井守 東京ニュース通信社 2022.4.20
読書日:2022.10.25

押井守が映画以外の70年間のサブカルチャーエンタメ遍歴を語る本。

押井守に映画を語らせるとむちゃくちゃ面白いのは分かっているが、それ以外のサブカルチャーにも耽溺しているから、こっちもむちゃくちゃ面白い。

しかし、さすがにラジオドラマのことはへーとしか言いようがない。赤胴鈴之助が好きで、どんなに外で遊んでいても、家に帰って聞いていたんだそうだ。もうそれしかエンターテイメントがなかったから。赤胴鈴之助は、元祖メディアミックス作品でマンガ、映画も作られている。そして元祖「友情・努力・勝利」の物語でもあるそうだ。

押井守の父親はテレビ放送が始まるとさっそくテレビを買った人だそうで(私立探偵だったんだって)、おかげでほぼすべての重要なテレビ番組を観ている。この辺は聞き手の渡辺麻紀さんが地方出身で昔は放送局が限られていたから、うらやましがっているところだ。わしも地方出身で、少ないチャンネルの中でみていたクチだからこの羨望は理解できる。

押井守川内康範の作品を作っていた宣弘社のことも熱く語っている。「月光仮面」で有名な会社だ。どうも「愛の戦士レインボーマン」と「シルバー仮面」がお気に入りらしい。

レインボーマンは、わしは2000年代にケーブルテレビで子供と一緒に観ていたな。あまりにぶっとんだ設定で驚愕した。敵の組織、死ね死ね団が最高だった。ぜったいにいまでは放送不可の番組だな。いまではケーブルテレビでも無理かも。なんか死ね死ね団の幹部のお姉さんたちが色っぽいの。この点に押井守が触れていないのは解せない。シルバー仮面についてはよく知らない。兄妹が放浪する話で次男がシルバー仮面になるんだって。まあ、ともかく、宣弘社の番組はイデオロギッシュなんだと。確かに死ね死ね団も日本軍にひどい目にあわされた人たちが日本に復讐する設定だものね。

川内康範手塚治虫もヒーロー像は戦後の平和主義の価値観を引きずっていたけど、それを打ち破ったのが石ノ森章太郎で、アンチヒーローの物語を確立した。なんといっても押井守が好きだったのは、サイボーグ009なんだそうだ。009はいまでもキャラクターを描けるほど模写しまくったそうだ。サイボーグ009は自分が監督をする話もあったそうで、準備していたが、残念ながら没になったらしい。

外国ドラマも好きで、戦争者のコンバットとかはもちろん観たけど、ちょうどSFにはまっていた頃だったので、ミステリーゾーンのむちゃくちゃファンだったそうだ。まあ、これはわかる。もっともわしはミステリーゾーンは映画版しか観たことないけど。

これを日本でやろうとした円谷プロウルトラQも評価していて、途中で怪獣ものになって、結局ウルトラマンになったことを怒っている。でもウルトラマンシリーズを嫌いかと言うとそんなことはなくて、特にウルトラマン桜井浩子ウルトラセブンひし美ゆり子については熱く語っている。

わしはまったく知らないが、熱く語ってるのがイギリスドラマの「プリズナーNo.6」という作品で、不条理ドラマなんだそうだ。毎回毎回脱出しようとして失敗するという作品だそうで、でもものすごく面白かったらしい。これでイギリスドラマの虜になり、戦争ドラマはアメリカ、SFはイギリスなんだそうだ。

そういう意味で謎の円盤UFOの評価も高くて、どこが高かったかというと秘密組織シャドーの女性隊員の制服(苦笑)。ちょうど大学の頃で、友達の部屋で一緒に見ていたそうで、オープニングで一瞬出てくるメッシュの服を着ている女性隊員が下着をつけているかどうか、毎回激論だったらしい。うーん、確かにユーチューブでオープニングをみると、一瞬しか映らないね。司令官はゲイっぽいし、兵器はみなエロチックだそうです。

この本のカバーイラストは梅津泰臣さんが描いているんだけど、押井守の要望でものすごくエッチに描いたらボツになって、カバーの裏面に回されたらしい。わしは図書館で借りたので、カバーはラッピングされて見れないので、本当に残念。

★★★★☆

習近平最後の戦い ゼロコロナ、錯綜する経済ーー失策続きの権力者

福島香織 徳間書店 2022.6.30
読書日:2022.10.23

習近平はなんら功績のない凡庸なリーダーで、その政策は失策ばかりであり、第22回党大会で3期目のトップの党書記になれないかもしれない、と主張する本。

これを読み始めたのは、ちょうど中国共産党の党大会が始まった頃で、書いているいまは結果がどうなったのか知っている。習近平が3期目の党トップになり、しかもトップのチャイナ7を自分の子飼いの部下でそろえて、盤石な体制を築いたわけで、福島香織の願いは外れたどころか最悪の結果になったわけだ。

福島香織によれば習近平プロパガンダ自家中毒にかかっているのだそうだ。

なので、プロパガンダと異なることを言う人はすべて処分する。単なる揶揄も許さない。そうすると誰もプロパガンダ通りのことしか言わないから、誰が自分に忠誠を誓っているのか言葉だけではわからなくなる。

そこでどうするかというと、常識に反する、一見非合理な決定をしても、それをきちんと実行するかどうか、その行動で判断するのだという。自分の決定に官僚、軍、人民が粛々と従う様子を見ることでようやく安心できるのだ。

そうならば、習近平はつぎつぎとへんてこりんな時代錯誤的な政策を行い、国民に強要する可能性がある。

こうして習近平は中国を混乱の極みに持ち込み、中国共産党を破壊するかもしれない。皮肉にも、その結果として、中国に民主化をもたらすかもしれない、などという逆説すら囁かれているという。

というわけで、福島香織習近平が3期目の5年間を全うできない可能性を示唆しているのだ。

巷には、中国が崩壊するという陰謀論めいた話がたくさん落ちている。にわかには信じがたいが、毛沢東大躍進政策文革で中国を大混乱に陥れたのはつい半世紀ほど前のことである。習近平が十分愚かなら、ありえない話ではないと思うのは、福島香織だけではないだろう。

ちょうど、いま、ゼロコロナに抗議するデモが中国全土で起こっているところなのだが…。

★★★☆☆

にほんブログ村 投資ブログへ
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ