ヘタレ投資家ヘタレイヤンの読書録

個人投資家目線の読書録

リセットを押せ ゲーム業界における破滅と再生の物語

ジェイソン・シュライアー 訳・西野竜太郎 グローバリゼーションデザイン研究所 2022.6.20
読書日:2022.10.30

アメリカのゲーム業界では、制作スタジオの誕生と破産が日常茶飯事で、ほとんどのゲーム制作者は2、3年に一度レオオフを経験しており、その不安定なキャリアの現状を報告する本。

本を読んでいて、この話は本当にアメリカか、と何度も思った。それくらい日本のアニメ産業のアニメーターたちの不安定な生活とオーバーラップした。

ゲームクリエイターたちは本当にゲームが作りたくてこの業界に入ってくるが、長時間労働と低収入にあえいでいて、しかも作品が完成すると、その作品が成功しても失敗してもレイオフされる運命にある。なぜならゲーム作りにはたくさんの人間が必要だが、完成したあとはそのたくさんの人数を抱えている余裕がスタジオにないからだ。余裕がある場合でも、上場企業の場合には決算をよく見せるためだけにレイオフをする。

というわけで、全員が集められる会議に招集されると、ベテランのクリエイターは嫌な予感がするそうだ。

レイオフされても実績がある場合はそれほど再就職は心配ないらしい。大きなスタジオが閉鎖されると、他のスタジオが大挙してやって来て、クリエイターたちを雇おうとすることもある。さらに業界仲間の結束は高くて、レイオフされた仲間を救おうとする。しかし再就職できても、スタジオはアメリカ全土に散らばっていて、引っ越しが大変になる。何度かそれをすると、特に家族を持っているひとはうんざりする。

長時間労働も問題で、特に作品の終盤に差し掛かると、クランチと呼ばれるひたすらゲームを作って寝る時間しかないという状況に追い込まれる。休日も返上される。たまに休みが取れても、なにもやる気が起きず、独身なら掃除もしないので部屋は荒れ放題になるそうだ。しかし、仕事中毒の人間があふれている業界では、なかなか改善されない。

このように長時間一緒に仕事をしていると、仕事仲間には強烈な連帯感が生まれるから、レイオフされてなにがつらいと言って、仲間と分かれるのが一番つらいらしい。しかし、ほとんどのレイオフは突然告げられるので、仲間と最後の時を過ごす時間もなく、そのまま会社を追い出される。荷物の持ち出しも制限されるので、荷物をあまり仕事場に置かないようにする習慣がつくらしい。

作品制作が終わって成功してレイオフされる場合は、まだ退職金が出る場合が多いのでましだが、スタジオが資金調達に失敗して破産する場合は、レイオフの通知の前に給料が振り込まれなくなることで気がつく場合が多いそうだ。仲間どおしの間でメールやスラックが飛び交い、やがてアカウントが閉じられ、やり取りもできなくなる。

クリエイターたちの中でも特にプログラマーはいろいろ思うところがあるらしい。同じプログラマーでも、IT業界にいる人は桁違いの収入を得ているのに、いっぽう自分はいつもレイオフの危機に怯えている状況なのだから。そこまでしてもこの業界にいるのはゲームが好きだからで、暇な時間があるとついゲームをしたりするような人たちなのだ。どうしてもゲームから離れられず、いつも凄いゲームを作ることを夢見ているわけで、業界はほぼ「やりがい搾取」の場になっている。

こうした状況を改善するにはどうしたらいいのだろうか。

ゲームの制作は映画の制作と似たところがある。映画では労働組合が機能して、組合員の待遇が不利にならないように報酬水準と労働時間などの環境を守っている。だから、ゲームの業界でも労働組合を結成するのが現実的な解のひとつだ。労働組合についてはいろいろ話し合いが行われているが、まだできていない状況だ。

別の方法ではインディーズで自分たちでゲームを作るという方法がある。ほとんどのクリエイターは大きな会社の歯車となってゲームを作るのにうんざりしている。完成しても、自分には何の権利もないからだ。小さなゲームで売上は少なくても、自分と小さなチームだけなら十分に食べていける可能性がある。かつては不可能な選択だったが、スマホゲームのプラットフォームができてきたので、十分可能な選択肢になった。あまりお金がかけられないので、クランチとなり、自分の時間のすべてを制作に捧げる状況に陥りがちだが、自分のゲームを作っていると耐えられるようだ。

別の選択肢としては、助っ人専門の会社を作るという方法がある。会社がたくさんの人数を抱えてゲーム完成後にレイオフするのは、開発のマンパワーが特定の期間だけ必要になるからだ。しかし、足りないマンパワーアウトソーシングできれば、必要なときに必要な分だけ調達すればいいから、レイオフのような悲劇は起きない。アウトソーシングを請け負う会社の社員も、レイオフや引っ越しなどの煩わしさから開放される。また、一定の仕事をするだけなので、クランチという理不尽な慣行からも開放される。自社以外の会社にアウトソースすると、発注側もこれが本当に必要な仕事なのかもう一度考えるので効率的だ。自社の社員に対しては気軽に思いついたアイディアをやらさせがちだからだ。ただし、アウトソースの会社では言われたとおりに仕上げるだけなので、ゲームを作るという喜びはない。

仲間と別れたくない場合、チーム単位で転職するという選択肢もありえる。しかし、そのチームでリーダーシップを取ってくれる人がいないとなかなか難しそうだ。しかし、チーム単位での転職というのは、ソフトウェア業界でも比較的よく聞く話だから、悪くない気もする。

ゲームの開発ではなくて、ゲームを開発するプログラムの開発を行うという手もある。金を掘るのではなく、スコップを売るという戦略だ。みんな楽をしたいので、よくできたプログラムはあっという間に広まる傾向があるようだ。

さて、わしが分からなかったのは、どうしてゲームの開発がこんなに非効率なのかという点である。

映画の場合は、実際の制作に入る前に、脚本や絵コンテの段階で十分検討する時間を作るではないか。ところがゲームの場合、ディレクターが思いついたことを何ヶ月もかかって実際に作ったのに、たった数分間の検討を行っただけでその案を廃棄するなんてことがよくあるようだ。なぜ実際に作らなくては行けないのか理解に苦しむ。完成度が低くても簡単に試せる仕組みや、あるいは全体の構成を仕上げることを優先すべきじゃないだろうか。どうもゲームの場合は操作したときの感触や面白さは、実際に作らないとわからないということらしいけど。

こう考えると、やっぱり分業というのがもっともいいような気がするなあ。全体の構成を考える人、ぞれに絵を付ける人、動きを考える人、対戦や問題解決の小さなアイディアを考える人、それぞれ専門の分野に特化して、別会社にするのがいいように思える。こうすれば、プロジェクトごとに集まって解散するというのがやりやすいだろう。

コロナのパンデミックで、ゲーム業界もご多分にもれずにリモートでの在宅勤務になった。そしてこれでもけっこうゲームは仕上がった。一方では、仲間が集って議論しないとなかなかいいアイディアは出ないという人もいる。しかし、きっとリモートが今後の標準になって、引っ越しのトラウマからは開放される方向に行くんじゃないかな。

わしはゲームをしない。どうも他人の限られた世界観の中で遊ぶのはバカバカしいと思ってしまうたちなのだ。ゲームの世界がどんなにすごくても、現実のほうがもっとすごい、というのがわしの意見だ。そんなわけで、この業界のことはまったく知らないのだが、日本のゲーム開発会社の状況はどんな感じなのだろうか。

★★★★☆

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