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東大金融研究会のお金超講義 超一流のプロが東大生に教えている「お金の教養と人生戦略」

伊藤潤一 ダイヤモンド社 2022.3.15
読書日:2022.10.7

東大を卒業して20年以上ヘッジファンドのマネージャーをしていた著者が、東大の学生に頼まれてマネーについて教える金融研究会を開くとたちまち人気となった内容を書いたもので、人生の本質について考える力が大切と主張する本。

この本の初めの方に、知らない知識であっても自分である程度推定することが可能だといい、例として日本に理容師(+美容師)が何人いるか推定してみるという話があった。いわゆる地頭力を見るというたぐいの問題だ。わしはこの手の推定がなぜか得意で(たとえばここ)、答えを見る前に自分で考えてみた。と言っても、30秒ぐらいだが。

1人の理容師が1日5人の髪を切るとして、1ヶ月に20日働くと、1ヶ月に100人ぐらいだろうか。だから1ヶ月に1億2千万人の国民全員の髪を切るには、100万人ぐらい必要だろう。しかし、毎月髪を切る人は少ないだろうから、平均2ヶ月に1回とすると、50万人ぐらいか?

答えは53万人だそうで、ほぼ合っていたので笑ってしまった。

しかし、合っているかどうかは問題ではなく、自分でロジカルに考えることが重要なんだそうだ。たとえば「円高になると景気が悪くなるというのは本当か」を自分の頭で考えろというのだ。どうも東大生は知識を得るとそれ以上考えることをしない人が多いのだそうだ。べつに東大生に限らず、そういう人がほとんどじゃないかと思うけれど。

まあ、こういうところは普通だし、他にも書いてあることはだいたいいいと思うが、どうしてもわしが引っかかるところがある。それは著者の時間に関する考え方だ。

著者は長年ヘッジファンドの運用をしていたせいか、シャープレシオを重視している。シャープレシオというのは、リスクをあまり取らずに安定的に運用するという発想だ。リスクというのは変動幅(ボラティリティ)のことだから、つまり同じ運用成績なら資産の変動が少ないほうがいいというのだ。

だが、これは著者が毎期成績を問われるファンドの運用者だからで、個人投資家はこういう発想をする必要はまったくない。別に株価がどんなに変動して、資産総額がどんなに変動しても個人投資家ならぜんぜん構わないのだ。

また、ある銘柄を平均どのくらいの期間持っているかという話では、ファンド運用者はどうも2期(6ヶ月)を基準に考えているようだ。それは平均でありもっと持つ場合もあるというが、どちらにせよ数ヶ月という単位での発想は、ファンド運用者の発想だろう。個人投資家なら、同じ銘柄を何年も持ち続けていてもいいのだ。わしなんか10年以上持っている銘柄もある。成長を続けている限りは持ち続けてもいいのだ。本当は銘柄の変更をせずにずっと持ち続けるのが理想なのだ。

とは言っても、この本は別に実践的な投資の話ではなく人生の考え方を述べるのが主眼らしいから、別にいいと言えばいいのだが、しかしどうも他の点についてもファンド運用者的な発想が強すぎるように思う。たとえば人生の時間に関する発想もそうなのだ。

著者は若者に時間を有効に使ってほしいという。体感時間では歳をとるほど時間は加速して感じられるので、人生80年と仮定すると、20歳で人生の半分は終わっているという。だから時間を大切にしてほしいというのだ。

わしはこういう考え方は好きではない。わしの考えでは無駄と思えることに人は時間をいくらでも使っていいのだ。シャープレシオとか効率とか考えなくてもいい。

それで、20歳でもう半分過ぎているとすると、歳を取ってからの人生は短いと著者は思っているのかというとそうでもないようだ。人生100年時代では、定年後の人生は意外と長いという。そして定年後に限られたお金でだらだら長生きするのは幸福ではないなどという。

結局、人生の時間は(歳によって)長いのか短いのか?

もちろん、それは主観によるのである。主観によるのだったら、20歳で半分過ぎているとか、定年後の人生は長いとか、そんなことをわざわざ計算して考えるなんてばかげている。というわけで、わしはこういう発想には反対だ。

わしの時間に関する考え方は、「人生の短さについて」で書いた。

そこで書いたように、わしは時間は無限にあると考えるのが好きだ。実際には有限かもしれないが、なにか考えるときには時間は無限にあると仮定して決定する。だから、投資だろうが人間関係であろうが、どんなに変動が大きくてもいいし、人が無駄と思えることにどれだけ時間を費やしても後悔する必要はない。

著者は金融的な発想で人生戦略を構築してほしいという。具体的には先程のシャープレシオの発想で人生にアプローチするべきだというのだ。同じリターンをもたらすにも、リスク(変動)を抑えるべきだという。例えば、人間関係が幸福をもたらすと考えるならば、人間関係の多様性を確保して変動を抑えるべきだというのだ。

どうやら著者は現在、人間関係の構築にものすごく力を注いでいるようだ。これはきっと社会資本の蓄積に役立ち、著者の嫌いな変動を下げることにつながるだろう。しかも人間関係の構築も図式化して評価し、無駄のない人生を送れるのだろう。

しかしわしが目指す社会は、一見無駄と思えることに誰もが存分に時間を費やすことができる社会なのだ。効率も無視だ。言ってみれば、水木しげるが無駄なことにさんざん時間を費やしてきた、そんな時間の使い方である。もしくは何もせずに2000日過ごすことである。こういう時間の使い方が無駄だとはわしは思わない。そして人間関係も同じで、変動が大きくてもちっとも構わないと思っている。時間が無限にあると発想できれば、人間関係なんてどうとでも可能なのだ。そしてこういう世界を実現したいものだとわしは思っているのだ。

わしはこの本は60%はいいことを言っていると思うが、どうも残り40%は気に入らないのである。それもかなり気に入らない。

★★★★☆

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