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個人投資家目線の読書録

リバタリアンが社会実験をしてみた町の話 自由至上主義者のユートピアは実現できたのか

マシュー・ボンゴルツ・ヘトリング 訳・上京恵 原書房 2022.3.1
読書日:2022.10.15

リバタリアンたちが自分たちの理想郷を作ろうと、ニューハンプシャー州のグラフトンという町に移り住んだ顛末を描く本。

リバタリアンと言えば作家アイン・ランドである。アイン・ランドの「肩をすくめるアトラス」では、リバタリアンの経営者たちが、人間の創意を否定する政府から逃れて、秘密の町を作る話が出てくる。そこは魔法のような科学技術が使用され、誰もが思うがままに活動し、豊かに暮らしている。リバタリアンの理想郷である。

こんな町を実際に作ることができるのだろうか。無謀な試みのようにも思えるが、そこはアメリカであるから、実際にそれを作ろうという人たちがいるのである。

最初、リバタリアンたちはいちから新しい町を作ろうとした。当然ながらそれには土地を買う必要があり、さらにインフラ整備も必要だ。するとお金がたくさん必要になる。でもお金がないので、戦略を変えた。どこか小さな町に大量に移住して、その町を乗っ取ってしまえばいいのではないか。でもどこに?

見つけたのがニューハンプシャー州のグラフトンという町だった。ニューハンプシャー州は植民地時代に最初にイギリスに税金を納めることを拒否した州らしく、気質的にリバタリアンに近いらしい。その中でも、グラフトンという町の住民は税金を納めることを毛嫌いしていて、町の予算もいつも削ろうとする。そしてあらゆる規制に反抗的らしい。

これなら住民とも仲良くできそうだし、実際すでにリバタリアンの住民が何人かいたので、この町をリバタリアンの理想郷にしようと決めて、フリータウン・プロジェクトというのを起こした。ウェブにプロジェクトのホームページを作ってリバタリアンに移住を呼びかけたのである。その結果、それに共鳴したリバタリアンたちが移り住んできた。2004年のことである。

だが、これがどうも違うのである。これじゃないもん、状態なのだ。

アイン・ランドの秘密の町で政府に対抗したのは、皆とても優秀な経営者たちであり、彼らは町の中でもいろんな事業を展開して、民営の各種サービスで町は豊かである。したがって行政サービスは必要ない。

ところが、グラフトンに集まった自称リバタリアンたちは自由を求めているが、それは要するに自分勝手に暮らしたいという人たちのようで、お金もあまり持っていない人も多く、貧乏そうである。コミュニケーション能力も低く、社会不適応者の集団とでも言ったほうが合っている気がするほどで、そもそもビジネスに向いていない。社会から遊離しているということで、彼らのことをフリー・ラジカル(化学の遊離基と自由急進派をかけた言葉)と著者のヘトリングは呼んでいるくらいだ。

というわけで、集まったリバタリアンたちの多くはお金を持っていなかったので、森の中に(たぶん自然発生的に誕生した)キャンプ場に、キャンピングカーなどの移動式の車や、テントで暮らすようになる。これでは単なる浮浪者との違いが難しい状態である。

しかもフリータウンという言葉に引かれて集まってきたのは、リバタリアンだけではなかった。

資本主義が崩壊することを望む急進的な左派も政府の規制を嫌っているのでやって来たし、自由な信仰を求める宗教家も来た。じつは宗教に関しては、カルトの統一教会(安倍首相のテロ事件にまつわり有名になったあの宗教)が1990年代に研修所をグラフトンに作ったこともある。

こういうわけで、2009年までに有権者800人だった町に200人の移住者がやって来たらしいが、いろんな人が集まったので、そのうちリバタリアンが何人いたのかはっきりしていない。(どうでもいいが、移住者は圧倒的に男性の比率が高かったので、この結果、町の男女比率は大きく崩れた)。

面白いのは、思想は異なるのに、リバタリアンとほかの急進的な人たちの間で共通していることがあり、それは銃の所持率の高さである。もともとニューハンプシャー州では銃の数は住民の何倍もあるらしいんだが(苦笑)、集まってきた人たちも銃を普通に所持しているのである。食べ物やガソリンの調達に苦労しているにもかかわらず、銃は持っているのだ。リバタリアンは政府が警察権力を持つことに反対し、自分の命は自分で守るという方針らしいから、まあ、それは理解できないこともない。

しかしグラフトンの住民には銃を持つ切実な理由が別にあるのである。それは熊で、ニューハンプシャー州は熊が多いらしいのだ。グラフトンはまったく土地の管理をしていないので、鬱蒼とした森が生い茂るままになっており、熊はグラフトンの森をうろついて、森の中にまばらに建っている住宅のすぐそばに来るような状況なのだ。いつ住民が襲われるかわからない。著者のヘトリングも最初は熊の取材でグラフトンに来ていたくらいなのだ。

こうしてリバタリアンたちが大量に移ってきたが、そのせいか、もともと少なかった町の予算はどんどん削られていき、住民はどんどん生活に苦労するようになる。火事になっても、消防隊員は当直一人だけで何もできないし、警察は自前の車もないし、図書館は100年前のものを使っている。そんなわけで、警察や消防、救急車などの行政サービスは事実上近隣の町がやってくれているようなのだ。貧乏なグラフトンでは携帯電話すらサービス圏外だそうで、住民たちは緊急時になかなか助けを呼ぶことも難しいようだ。

ちなみにこんなにケチケチしてるのに、周囲の快適な町に比べて税金は3割ぐらいしか安くなっていない。行政サービスの劣化とまったく見合っていない。

町にはやる気のない雑貨屋が一軒だけあったが、それすらも閉店してしまうと、わざわざ隣町までいって、買い物をしなくてはいけなくなる。お金があるリバタリアンはもっとサービスのいい町に移っていき、それにともなってリバタリアンの活動も州都など他の町に移っていき、グラフトンは寂れていくのである。

グラフトンのフリータウンプロジェクトはいまも完全に消えたわけではなさそうだが、ちょっとやっぱり、行政サービスをぜんぶやめるというのは無理があるんじゃないかなあ。

リバタリアン的には、行政がやらないと、それを代替する民営会社のビジネスが花開くはずだったんだろうけど、住民が税金を払うことを拒否するグラフトンでは、民間企業にだってお金を払うはずはないのでした。なにしろみんな貧乏なんだから。加えてビジネスに不向きな人たちばかりでは、なんとも話は先に進みようがないのでした。

わしはリバタリアンには精神的に親近感が湧くけれど、リバタリアンの作る町はなんか持続可能性の点で、ちょっと無理そうです。

★★★☆☆

 

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