ヘタレ投資家ヘタレイヤンの読書録

個人投資家目線の読書録

無人の兵団 -AI、ロボット、自立型兵器と未来の戦争

ポール・シャーレ 伏見威蕃・訳 早川書房 2019.7.20
読書日:2019.11.6

この本は1983年に起こった衝撃的な話から始まる。

まだソ連が存在し、米ソ冷戦が現実だったとき、ロシアの早期警戒システム・オコ(目)は米国が核ミサイル5発を発射したことを捉えたのだ。このとき現場を仕切っていたペトロフ中佐は反撃するかどうかの判断を迫られた。

ペトロフ中佐は考えた。もしも米国が攻撃してくるのなら、5発だけということはありえない。徹底的に相手を粉砕しないと、反撃を食らうからだ。彼は常識的な判断をした。システムが不具合を起こしているに違いない、と。

それは正しい判断だった。衛星が雲に反射した太陽光をミサイルの発射と誤認したのだった。

ここで作者のポール・シャーレは問いかける。もしも、このシステムが人間の判断を介しない完全に自動的なシステムだったらどうなっていたか。当然、システムはプログラム通りに反撃を行い、世界は全面核戦争に突入しただろう。常識的な判断を行う人間がいたから危機は避けることができた。

本書のテーマは、AIやロボット工学はますます発展し、兵器は自動化、自律化が進んでいるなかで、人間がどのように関わるべきか、というものである。端的にいうと、人間でなくAIに人を殺すことを判断させていいのか、ということである。

普通の人間の感情として、ほとんどの人はAIに判断させるべきでないと考えるだろう。だが、敵がそのような非情な機械を作ったときに、対抗措置としてこちらもそのような機械を作らなくていいのだろうか? そうしないと肝心の戦争で負けてしまうのではないだろうか。

しかも、人間には判断できないようなスピードで攻撃されたら? たとえば、超高速のミサイルが多数攻撃してきたら、人間には対応できず、機械に任せざるを得ないだろう。

味方との通信が途絶し、兵器が自分で判断せざるを得ない状況に追い込まれるときもある。そのとき、機械は自分の判断で敵を攻撃していいのか。

いろんな場合があり得るが、結論として、著者は人間が決定から外れることを否定する。ではどうすればいいのだろうか。

人間が関与しない自動機械による殺人は非人道的であるとして認めない、という戦争のルールを作るしかない、というのが作者の結論である。これまでにも、非人道的であるという理由で禁止に成功した兵器(たとえば地雷)もあるから、ありえない話ではない。

さて、この本ではもちろんAIについての現状も報告されている。いま碁などのゲームでは人間を打ち負かす程のAIが出現している。しかし、常識的な判断ができる、つまり全面核戦争を防いだペトロフ中佐のような判断ができるような汎用的なAIは、当面出現する見込みがなさそうである。

また、AIは非常に騙されやすいという話も出てくる。画像認識でも簡単にごまかすことができる例が多数出てきて、画像認識で確認したから攻撃、というわけにもいかないことは明らかだ。わしは画像認識がこんなにごまかされ易いと知って大いに驚いた。

ポール・シャーレはアフガニスタンイラクに従軍した本物の軍人で、軍人らしい文章に非常に好感がもてた。なんかごつごつと現実を手で触って、ちぎり取ってくるような、そんな文章なのである。

★★★★★


無人の兵団 AI、ロボット、自律型兵器と未来の戦争

捨て本

堀江貴文 徳間書店 2019.7.31
読書日:2019.10.28

全ての物、人間関係その他のことに執着することはなく、全て捨てていいと主張する本。

いや、そのとおりだと思うんで、全く異論がありません。(苦笑)

いま住んでいるマンションにモノがあふれていますが、別にモノに固執しているわけじゃなくて、誰でもそうだと思いますが、捨てようと意識しないと次第に溜まっていく性質のものだからというだけのことです。捨てるにもエネルギーがいる。困ったことです。いま、少しずつ捨てようとしていますので、なんとかなると思います。

いっぽうで、中学生の息子に小学校時代のモノを捨てていいかというと、たいてい駄目というので、たぶん子供時代は自分の存在をものと結びつける傾向が高いのではないかと思う。自分のことを振り返っても、子供時代はモノにいまよりも固執していたと思う。これもホリエモンと同じ。

人間関係も捨てられるというのですが、そもそもわしは人間関係に興味がないようです。子供のときから友達を作ろうとしなかった。小学校のときに、もしかしたらこういう傾向はまずいのかと思った少し努力してみたが、どうもうまくいかないので、やっぱり無理のようです。

これでときどき困るのは、その時の人間関係が切れると、すぐにその人のことを忘れてしまうこと。いっぽう、向こうは覚えていて、ときどき話しかけられると、誰だったか思い出せないことがしばしば。今でも、学校の同級生や昔の同僚で忘れてしまったひとはすごく多い。というかほとんど覚えていない。そういうわけで同窓会には興味がないけど、向こうはこちらに興味津々らしく、来るように厳しいお誘いが来きます。ほとんど行きませんが。

ときどき同期との関係をずっと維持している人がいてびっくりするけど、そんなものメンテナンスして一体何があるのか理解できない。そういうひとの頭のかなには、入社年次でマップを頭の中で作ってるみたいで、あいつは自分より何年あとに入社して、誰々と同期です、なんてスラスラ出てきてびっくりする。入社年次いうタグで整理してるわけだ。ときどき、私はあなたと同期です、と言われることがあるけど、ああ、そうですか以上の感想はない。

そういうわけで会社で異動になると同僚には、皆さんのことはすぐに忘れますから、みなさんもわしのことは忘れてください、といつも言っています。

同じマンションの人も全く覚えられず、街を歩いていると、息子に、いま何号室の誰々さんとすれ違ったよ、なんであいさつしないの、と聞かれるけど、そもそも覚えていないから(苦笑)。でも管理人さんのことは覚えていて、街ですれ違ってもすぐにわかる。彼のことは必要な記憶だから(笑)。

子供が独立して出ていってしまうと、もしかしたら子供のことも忘れてしまうかも。自分自身は独立したら、家族のことも忘れてしまって、ほとんど実家に帰っていないけど、息子もわしと似ているので、独立したら帰ってこず、向こうもこちらもお互いに忘れてしまい、それっきりになるかもね。いや、ふつうの動物はみんなそうなので、人間もそれでいいと思いますけど。

いっぽうでそのときに必要となる人間関係はすぐに構築するみたいです。なにかにはまって取り組んでいるときもそうで、そのへんの友達が自然にできるものホリエモンの言ってる通りです。むかしお芝居の観劇にハマっていた頃は、観劇仲間ができました。彼らはいろんな入手困難チケットの入手方法に熟達しており、そういう仲間に入っているだけで、自然とチケットが回ってきました。そういうわけで、ホリエモンのいうとおり、そのときに最適な人間関係をその都度構成すればいいのだと思っています。

この本を読んでいると、ホリエモンの妻が持ち家志向の強い人だったと書いていましたが、これも一緒で、わしと妻もたびたびマンションを買う買わないの議論になり、悩まされました。しかも彼女には新築、角部屋という、わしには理解不能な特有のこだわりがあり、近所に条件に合うマンションが出たときには、買いたくなかったけど面倒くさくなって買うことにしました。このときは財政的に厳しいときだったんですけどね。

ホリエモンとの違いは、時間の使い方ですね。ホリエモンはなるべく時間を有効に使いたいと思っていますが、わしはなるべくだらだらしたいと思っています。何か目標をもっても、それに期限を設けて自分を追い込むようなことはしません。いつもなるべく気楽に目標を達成したいと思っています。だから人を使ったり巻き込んだりしようとせずに、気楽に一人でできることを選んでしまうのですね。このブログのように。そういう意味で、自分をブランド化するような手法も避けたいです。自分をブランド化するひとは、知らない人が自分を知ってることが煩わしくないんですかね。

この本は発熱して仕事を休んで寝ているときに読みました。そのとき読んでいた別の本は、分厚くて寝ながら読むには不適切で、しかもちょっと考えることが必要なやつで、ぼんやりしている頭ではちょっと無理でした。なので、読んでいてストレスのあまりないものをスマホでダウンロードしようと思って、この本を選びダウンロードしたです。

ホリエモンの本は人によってはストレスのもとになるかもしれませんが、以上述べたように、わしにはほとんど違和感のない考え方で、読んでても全くストレスになりません。逆にいうと、これを読むことで刺激を受けて、ライフスタイルが一新するということもありませんが(笑)。

たまたまわしは、似たような考えだから違和感ないけど、実際この本を読んでどれだけのひとが自分の人生のやり方を変えるのか相当疑問ですね。結局、変えられないんじゃないの。

★★★★☆

 


捨て本

原点 THE ORIGIN

安彦 良和, 斉藤 光政 岩波書店 2017年3月11日
読書日:2017年09月11日

出版社が岩波だったことにびっくりでしょうか。(笑)

冗談はさておき、安彦良和がこれほどまでに全共闘の人間だったことにびっくり。ただデモに参加したっていうくらいじゃなくて、弘前大学全共闘の(ちょっと気弱な?)リーダーだったんだから。

弘前大学からは、東大の安田講堂立てこもり事件で、安彦良和以外の仲間が参加して、逮捕されている。(安彦良和は電車賃がなくて不参加)。歴史的事件には参加できなかったけど、自分の弘前大学バリケード築いて占拠して逮捕、退学処分。

これだけどっぷりだったんですから、この経験が作品に影響を与えないはずがないというか、がんがんに影響しているというか。意外だったのは、逮捕されたとき、すでに今の妻と同棲していたこと。「ちょうど兄の結婚式に出ていて、逮捕されるところを見られなくてよかった」とか。少なくともオタクみたいな引きこもりでは全くなかった(笑)。

注目すべきは、すでにこのころには、学生運動はマイナーだったこと。そこにあえて飛び込むところに、その後のマイナー人生、いやサブカル人生まっしぐらが約束されていたと言えましょう。

で、東京に出てきて、食べるためにアニメの世界に。あっという間に、原画担当になり、フリーになって、宇宙戦艦ヤマトのコンテにかかわった後、ガンダムに。(ヤマトの西崎プロデューサーのことを「完全にヤクザ」と表現。そうじゃないかと思っていたけど、やっぱりそうだったのか(^_^;)

でもアニメで頂点を極めたものの、居心地の悪さみたいなものを感じたのか、漫画に転身。以来ずっと描き続けるものの、常にマイナー雑誌に。何はともあれいままで生き延びたそうだ。
富野由悠季に、「絵が描けるからいいなあ」とうらやましがられる)

漫画のテーマはほぼ戦争。ずっと戦争。これからも戦争。

安彦良和の漫画を全部読みたくなりましたが、ほとんど電子化されていません。

★★★★☆


原点 THE ORIGIN

全国民が読んだら歴史が変わる奇跡の経済教室 戦略編

中野 剛志/著 -- ベストセラーズ -- 2019.7
読書日:2019.10.25

基礎知識編に続く戦略編だが、中身はこれからどうするかという話ではなくて、平成の経済政策はなぜ失敗したかを、しつこく語る内容だった。それはもう何度もあちこちで読んだので、今後どうするのかという話をもっと聞きたかったが、それは叶わなかった。

まあ、それでももう一度、政治の話を聞くのも悪くないかもしれない。わしも国のエリートの皆さんと同じように、新自由主義に浸りきっていて、それが正しいと思っていた方だった。中野さんのおかげで、すっかり保護主義に対するアレルギーはなくなった。

しかし、中野さんのいうことをこのまま聞くと、中国のやり方がもっとも賢い方法ということになりそうなんだが、そんなことはないだろう。中国に対する言及がほとんどなかったけど、中国のやり方も限界に達するでしょ?

いっぽう、EUは最悪のシステムということになりそうだ。ブレグジットは影響も大きいかもしれないが、きっとEUにとどまるよりはマシという結果になるだろう。

そして意外にアメリカのトランプは、本人がどれだけ分かっているのかは知らないが、結構いい線を行っているということになる。

韓国は、IMFの言ったとおりにグローバル化をまい進し、非常に多くの国とFTAを結びまくって、国のGDPは上がるかもしれないが、国民の下層階級の暮らしはますます悪くなりそうです。(ジム・ロジャーズは、まだ韓国に投資してるのかしら?)

とりあえず、MMTは正しいことは間違いないので(たぶん)、中野さんには政治にもっと働きかけていただきたい。よろしくお願いいたします。

★★★☆☆

 


全国民が読んだら歴史が変わる 奇跡の経済教室【戦略編】

なぜ世界は存在しないのか

マルクス・ガブリエル 講談社 2018年1月11日
読書日:2019.10.21

マルクス・ガブリエルの「なぜ世界は存在しないのか」を読んだ。いろんな意味で、非常に好ましい。経済学でMMTを知ってスッキリしたように、哲学でこの本を読んでかなりスッキリした。完全にスッキリしないのは、この議論には反論の余地があるように思えるからだ。

まず、題名になっている、なぜ世界は存在しないのか、について説明をしよう。

マルクス・ガブリエルによれば、存在する、ということは世界の中にそれが存在することを意味する。例えば、ボールペンが目の前にあれば、世界の中にボールペンがここにあると言える。しかし、世界自体が世界の中で突然出現して、世界はここにある、とはわしらは言えない。世界は世界のどこにも存在できない。だから、存在しないのである。

別の言い方をすれば、これはわしらが世界の外に出て世界自体を見ることができないことと同じである。わしら自身が世界に取り込まれているのだから、不可能なのである。世界自体を見れないので、世界は存在しないのである。

意味論的にも世界は存在しないという。存在するというのは、他のものと違うということを説明できることである。例えば、目の前のボールペンは場所やインクの減り方や傷などで他の全てのものと違うと言える。つまりそのボールペンに備わっている性質や特徴で区別できている。存在するというのは、他と区別できるということである。

では、意味のうえで世界とは何かというと、世界は全ての意味を含んでいる、ということである。世界の定義上、そう言わざるを得ない。すると、世界はすべての意味を含んでいるので、世界以外の何かと区別することは不可能である。したがって世界は存在しないのである。別の言葉で言うと、世界にはなんの特徴もないと言っているのである。

以上が世界が存在しないとマルクス・ガブリエルが言っている内容である。

いまいち釈然としないのは、これは世界が存在しないことを証明しているのではなくて、世界が存在していることを証明することは不可能であると言っているだけではないのか、といことである。世界が存在しているのか、あるいはしていないのか、明言することができないという、明言不可能状態なのではないだろうか。何はともあれ、わしらは自分が世界の中にいるという感覚を持っているのだから、なおのこと釈然としない。(このような明言不可能状態は、ある意味、数学における「ゲーデル不完全性定理」に似ている。)

まあ、わしらが思い描いているような世界は存在しないことはたぶん本当だろう。思い描いてる世界のイメージ自体が存在しているだけである。

とりあえず、世界は存在しないということにして、ここからどういうことが言えるのだろうか。マルクス・ガブリエルの主張の続きを追いかけよう。

哲学には昔から形而上学という言葉があって、これは世界について説明する、ということである。このとき何をしているかというと、観察している自分を世界から消滅させて、世界を説明しようとしているのである。わかりやすくいうと、観察している人間がいようといまいと、存在するものは存在する、という立場である。だからたとえ人類は滅んでも、地球は存在し続けるだろうと考える。

しかし、世界は存在しないとすると、世界を説明するようなことはそもそも不可能だから、形而上学の考え方は間違っている、ということになる。

もう一方で、マルクス・ガブリエルが構築主義と呼んでいる考え方がある。これはひとことでいうと、全ては幻想ということである。われわれは目で見て、ボールペンがそこに存在していると思い込んでいるが、しかし、脳が目に入った光線を解釈しているだけで、そこに本当にボールペンが存在しているかどうかは確信できないという。それどころか映画マトリックスのように、電子的に構成された幻影を現実と思っているだけではないのか、つまり全ての形而上的な存在を否定し、ただ存在するのは人間の主観のみではないのか、と考えるのである。この立場の場合、人類が滅んだら、それを観察するものはいないから、地球は存在していないかもしれない。

ところが、この立場は矛盾をはらんでいる。たとえば、上記の説明では、少なくも人間の脳は実在していることになる。そこでさらに自分の脳も幻想かもしれないと考えると、いったい幻想を見ている主体がわからなくなり、なんの言明もできなくなってしまう。したがって、構築主義の立場をとるにしても、最低限のなんらかの存在を仮定しないと成り立たないので、自己矛盾に陥ってしまう。(もしくは無限の後退を強いられる。ボールペンを見ていると幻想している自分の脳があると幻想していると幻想している、、、のように)なので、構築主義の立場も間違っている。

形而上学的にも構築主義的にも間違ってるとすると、マルクス・ガブリエルの立場はどのようなものだろうか。

世界が存在しない、ということは、これは世界以外のあらゆることが存在可能であることを意味しているという。だから形而上学的な存在も、構築主義的な存在も等しく存在するのだという(世界以外は)。繰り返すと、

・観察者がいようがいまいが、存在するものは存在する。
・人間の思考などの意味の世界も存在する。(幻想の世界も存在する。ただし幻想として存在する)

ということになる。これがマルクス・ガブリエルのいう、新しい実存主義の立場である。すると、わしらが生活上で出会う存在すると思っているものは、全て存在するということになり、つまり、これはわしらの普段の実感と同じということである。

哲学はなにかわしらの生活からかけ離れたものになってしまったような印象を受けていたが、どうやらぐるっと一周して、非常に受け入れやすいものになったようだ。

わしにとって特に好ましいのは、
(1)大嫌いなポストモダン哲学(構築主義のこと)を否定してくれたこと。
(2)認識論の問題、(森で木が倒れても、それを誰も見ていなかったら本当に木は倒れたのか、問題)に明確に決着をつけてくれたこと。(つまり誰も見ていなくても木は倒れた、ということ)。
というところでしょうか。

非常に好ましいです。

★★★★★


なぜ世界は存在しないのか (講談社選書メチエ)

人生の諸問題五十路越え

小田嶋隆 岡康道 清野由美 日経BP 2019.7
読書日:2019.10.15

日経ビジネスオンラインは、今は改装してほとんど雑誌の拡販に特化した内容になってしまいましたが、その前はなんでもありのサラリーマンが時間を潰すにはもってこいの企画がたくさんありました。この人生の諸問題もその一つで、この本になった部分もわしはウェブで読んでいます(会社で)。読んでいるのに、本になったらまた読んでしまうのが、困ったところです。

内容としては、コラムニストの小田嶋とCM制作会社社長の岡が与太話をして、ときどき編集の清野さんが鋭い突っ込みを入れるというだけの内容で、しかもなぜか話のほとんどがいつのまにかスポーツの話題になってしまうという、おなじみの構成です。

今回は、70年代の高校時代の話をたくさんしているので、もしかしたら将来は、東京都立高校の状況に関するよい資料になるかもですが、まあ、だらだら続く話をだらだら読めばよい本です。家で読むとすぐ眠くなりますので(笑)、電車の中でだらだら読むのに最適ではないかと思います。

ウェブが改装してしまったので、今後はどこに発表するのかという問題もありますから、まあ、これが最後かもしれませんし、どこかで再開しても、わしの所には知らせが届かないかもしれません。

★★★☆☆

(追記 2022.6.25)

本日、信じられないことに、小田嶋さんが昨日(2022.6.24)、65歳で亡くなられたというニュースが入った。病気ということだそうだ。

岡康道さんが2020.7.31に63歳で亡くなられているので、人生の諸問題のお二人が相次いで亡くなられたことになる。

あまりのことに呆然としているが、亡くなるタイミングもあまり変わらずほぼ同じで、いまの基準では若くして亡くなられるとは、仲が良すぎるにしても程があるだろう。

ご冥福をお祈りいたします。

 


人生の諸問題 五十路越え

野生化するイノベーション 日本経済「失われた20年」を超える

清水洋 新潮社 2019/8/21
読書日 2019/10/11

イノベーションは飼いならすことができない、イノベーションを起こすときにも、起きたあとでも。

という内容を書いていて、たしかにそのとおりなのですが、きっと企業の開発の現場では誰もが身に沁みていることなのではないかと思います。そのせいか、書かれている内容を見ても、特に新規な感じはしませんでした。こういった開発の現場をまったく知らない人には有益なのではないかと思いますが。

でも、この本は各種の研究論文をもとに実証的に書かれていることから、意外な日本の事実について教えてくれるので、その点はとてもいいと思います。なので、わしが意外と思った事実の部分をメモとしてここに書いておこうと思います。

(1)日本では富の集中は起きていない
1980年代以降、アメリカでは金持ちがより金持ちになる富の集中が起きた。トップ0.1%の富が2%から8%まで上がった。ところが日本では2%のまま変わっていない。つまり富裕層がより富を手に入れているわけではない。しかしながら格差は広がっていて、それは低所得層の所得がさらに下がる形で広がっている。これは日本独特の格差拡大だという。

そうすると、富裕層の富も増えず、低所得者層の富は減ってるから、全体として日本は貧乏になったということですね。大金持ちになって話題を振りまく起業家が目立ってる気がしますが、そういった新興の富裕層を勘定に入れても、富裕層に富が集中しているわけではないというのは結構意外ですね。

(2)日本の流動性は低くない
日本は転職などの職の流動性が低いと言われてきました。ところが、世代間の移動率(つまり子供が親と違う職業を選ぶということ)で見ると、日本はアメリカよりも高く、日本はむしろ開かれた社会と言えるのだそうです。逆にアメリカは1990年代から移動率が低下し、階級が固定化されてしまって、低所得者層に生まれると、そこからの脱出が非常に難しいのに対して、日本では現状では開かれた社会のままだといいます。ただ、階級の固定化といった傾向が見え始めているので、要注意の状況なのだそうです。

まあ、この2つがわしにとって意外な事実で、この本の最後の方にちょろっと出てくるだけです。

★★★☆☆

 


野生化するイノベーション―日本経済「失われた20年」を超える―(新潮選書)

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