ヘタレ投資家ヘタレイヤンの読書録

個人投資家目線の読書録

ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき

レイ・カーツワイル, 小野木 明恵 日本放送出版協会
読書日:2007年03月06日

原題は「シンギュラリティは近い」。

この本、2007年に出版されて、しばらくはほとんど反応がなかったのですが、2010年ごろからシンギュラリティという言葉が一般化してきました。で、原題で出版しなおされています。

2007年当時、わしはこの本を読んで、2045年までは絶対に生きて、この予想が実現するかどうか見てみようと思いました。

今のわしの予想では、AIの知能はもちろん人類を越えていると思いますが、あまりにも自然で、社会の裏方に隠れてしまって、誰もそれを意識しない状態になっていると思います。そしてそうなってこそ、シンギュラリティは来たと言えるのではないでしょうか。だから、わしはきっと一人でにやにや笑って、レイは正しかった、と感慨深げに社会を眺めているところでしょう。

わしは特に数学の分野に期待します。数学はAIと一緒でないと新しい進展は得られない状況になるでしょう。すでに数学の大きな定理の証明は、数千ページ、数万ページに達するものも出てきています。AIなしには理解することも不可能でしょう。

さて、2007年当時のわしの感想は、アマゾンのレビューに書きました。(下記リンク参照)

www.amazon.co.jp

すると、その後、わしのレビューがあちこちに勝手に転載されているのを発見しました。ある転載では、複数の人のレビューをうまくつないで、まるで自分の感想のように記載されていましたが、とても自然につながっていてびっくりしました。こんな才能があるのに、自分で感想を書く才能がないのでしょうか? 考える力がないとしたら、悲しいですね。まあ、単に本を自分で読むのが面倒なのかもしれませんが。

★★★★★

 


ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき


シンギュラリティは近い [エッセンス版] 人類が生命を超越するとき

「中国製造2025」の衝撃 習近平はいま何を目論んでいるのか

遠藤誉 PHP研究所 2018年12月22日
読書日:2019年5月23日

 遠藤誉の本は中国関連本の中でも独特な地位を築いていると思う。それは彼女が自分の頭の中で考えながら、試行錯誤で情報を集めているからだ。足でも稼ぐし、ネットなどの公開情報の収集にしても、そこまで入り込んで調べるかというレベルまで確認する。中国語ができるからではありますが、なにより子供時代、中国で強烈な体験をしていますから、中国の実情を探求する根性が他の人と違います(^_^;)。

 習近平の野望である「製造業2025」であるが、遠藤誉は中国はこの野望を達成するだろうと確信しています。それで、非常な危機感を持っていて、それを日本人に伝えようとしています。

 その中でも、遠藤誉が繰り返し述べているのが、半導体と宇宙です。宇宙の方は中国が世界の先端を走っているというのは、間違いない事実であるけれど、半導体の方はどうでしょう。

 ファーウェイの半導体設計子会社ハイシリコンが世界のトップ級の実力を持っているのは認めるけれど、でも、中国が世界から孤立してやっていける行けるとはとても思えません。半導体産業は、ものすごく幅広い裾野を持っているので、その全部を自前で揃えるのは不可能でしょう。

 2019年5月24日の報道になりますが、ハイシリコンの設計している通信用キーデバイスであるキリンが、実はアームのCPUを使っていることがわかりました。そしてアームはファーウェイとの取引を中止するというので、ファーウェイ不利との見立ての記事が多く見られます。

 これは単にスマホだけではなく、おそらく5Gの基地局関連のチップにもアームが入っているでしょうから、ファーウェイの5G関連は今後どうなるのか分からなくなってきたと思います。なぜ基地局にアームを使っていると予測できるかというと、5Gの基地局スマホ用と回路を共通化することで、コストを削減しようとしているからです。5Gは基地局を4Gよりもはるかに多く作らないといけませんが、基地局の値段が大幅に下がるので、じつは4Gよりも全体のコストが下がるんじゃないかと言われているんですね。

 しかし、単純にアームだけの問題ではありません。ハイシリコンはICの設計に世界標準の設計CADを使っているに違いなく、そのCADは例外なくアメリカ製でしょうから、最新のCADを使えなくなると、はたして今後も設計ができるのかどうか疑問です。自前でCAD作りができますかね。不可能とは言いませんが、それを半導体製造会社につなげ、普及させるのはかなり大変です。(マスコミは今後CAD会社がどうするのか、確認すべきと思います。)

 でもまあ、CADはいままで買った分が使えるでしょうし、最悪、違法コピーでなんとかなるかなんとかなるかもしれません。でもチップの製造はどうでしょうか。

 現在の最先端である7nmプロセスはTSMCサムスンしか供給できません。インテルも最近諦めたというくらいの技術なので、中国が追いつくのは相当無理があります。TSMCはファーウェイへの供給を止めないと言っていますが、ファーウェイが製造を中国の外部に頼っていることに違いはありません。中国は自前で最先端チップを製造できるでしょうか。

 遠藤誉は半導体装置も中国は猛追しているということを書いていますが、ここで出てくるのはエッチング装置に関してだけで、半導体プロセスはあまりに幅広いために、一部の装置を自前でできたからといって、全部自前で揃えるのは無理なんじゃないですかね。

 たとえば回路をシリコン基板に転写する露光装置は、最先端を供給できるのは、ほぼ1社に限られているので、それを自力で開発できるかどうか。露光技術には、単に露光装置だけでなく、現像装置、レジストなどの化学製品などの総合力が必要です。これらを中国が自力で揃えられるかどうか。

 ほかにも高誘電体膜とか最先端の専用の化学薬品を揃えられるのか。そして、それらの代替品は、すべて米国の膨大な特許に抵触せずに作らなくてはいけないのです。

 宇宙は確かに、中国が勝てる要素はあると思いますが、半導体に関しては、今後そうとう長い年月が必要でしょう。

 でもまあ、わしが言ってるのは、直近の米中貿易戦争の行方という面で話しているだけで、長い目で見たら中国が半導体で単独でトップに立てる可能性は皆無ではありません。しかも、中国人には10年単位の長い目で見るという、実によい習慣があります。宇宙でトップに立っているように、最後に勝つのは中国かもしれません。

 宇宙の量子暗号通信の話ですが、システムがわしにはよく理解できないところがありました。本当に宇宙空間と地上で光子のやり取りができるのかしら。しかもたぶん単一光子のやり取りができないといけないと思うですけど、光ファイバを使っても難しいのに大気を通してやり取りできるのかしら。実際には、なんらかの「なんちゃって量子暗号通信」になってるんじゃないかという気がする。

 まあ、システムはあとで確認するとして、そもそも量子暗号通信って本当にそんなに重要なのかしらね(^_^;)。

 5月に入って米中の貿易摩擦は加熱して、中国も激しく反応していますが、直近は中国に勝ち目はないでしょう。問題はそのあと中国はどうするかということですね。遠藤誉にはまだまだ頑張ってもらわないといけませんね。

 まあ、技術以前に、ドルで盛んに外債を発行している時点で、中国に勝ち目はないと断言できるんですけどね。

★★★★☆

 


「中国製造2025」の衝撃 習近平はいま何を目論んでいるのか

逃れる者と留まる者 (ナポリの物語3)

エレナ フェッランテ 早川書房 2019年3月20日
読書日:2019年5月17日

ナポリの物語」の第3弾。この話むちゃくちゃ面白いのだが、世間的にはまったく話題になってません。実に不思議。日本人にはこういう話は訴えないのかしらね。

****以下、ネタバレがありますので、注意。****

今回は、前半はちょっと憂鬱。最初は語り手のレヌーの結婚までの話だから、それなりにほんわかしてるんだけど、もう一人の主人公、リラの方が非常に厳しい生活状況に追い込まれて、苦労するからだ。

リラは子供を抱えながら、セクハラが蔓延するブラック工場で働き、しかも共産党の労働運動に関係したので、経営側からもファシストからも狙われてしまう。彼女は貧困と暴力と疲労の中に閉じ込められてしまうのだ。

しかも、リラが生涯悩まされることになる、精神疾患を発症してしまう。見ている物体の輪郭が崩れてばらばらになるという妄想で、だぶん統合失調症の一種なのだろう。リラ自身はこれを周縁消滅(ズマルジナトウラ)と呼んでいる。あまりにストレスフルな生活が原因なのは明らかだ。でもリナは目一杯活動するのを止めようとはしない。

そんな中で一緒に暮らしているエンツォと毎夜、コンピュータのプログラミングの勉強をすることだけが救いになっていて、どんなに疲れていてもエンツォを励まして、フローチャートを作成する練習を一緒にするのだ。もちろん、60年代のことなので、パソコンなんてないから、二人ともコンピューターの実物を見たことはない。しかし、誰もが理解できないことをやってるということが慰めになるのだろう。

一方、語り手のレヌーの方は、結婚しフィレンツェで暮らすようになる。相手は若くしてフィレンツェ大学で教授になったピエトロ。ピエトロはイタリアでも有名な一族の一員なので、レヌーは一種の権力も手にいれる。この権力を使って、リラを助けることもする。二人にIBMへの伝手を与えるからだ。コンピューターの分かるものが少なくて困っていたIBMは喜んで二人を採用する。二人はIBMの大型コンピューターのシステムエンジニアになる。

しかし、リラとレヌーが直接人生の物語を共有するのはここまで。この後は連絡を絶やさないものの、お互いに何をやっているのか深いところで理解できなくなってしまう。レヌーはフィレンツェで、そしてリラはナポリにとどまり、電話でしか話すことがなくなるからだ。

そして、ここで明らかになるのは、レヌーの才能には明らかな限界があるということだ。レヌーのインスピレーションの源泉はリラであり、リラから離れたために、レヌーはつまらない文章しか書けずに、才能の枯渇に陥ってしまうのだ。夫のピエトロが言うように、「どこかで聞いたようなことばかり」しか書けない状況になってしまう。

それはずっと子供のころからレヌーが自覚してたこと。レヌーは努力家でずっと頑張って人並み以上にはなったけど、天才のリラにはかなわないのだ。

そこにずっと好きだったニーノが現れると、再びレヌーは書くことができるようになる。ニーノが今度はレヌーのインスピレーションの源泉になるのだ。そして、レヌーは夫も子供も捨てて、ニーノと一緒にフィレンツェを離れる決心をする。

ここまでが、第3部の話。残されたのは第4部だけとなった。この先、いったいどうなるの? ニーノと一緒に行ったレヌーは? そして物語の出だしで語られた、リラが自分という存在を全て消そうとする、その過程が明かされるはず。

この物語の構成でうまいのは、平凡なレヌーを語り手にしていること。もっとも天才でエネルギーの塊のリラの視点から書くのは不可能で、できたとしても誰も理解できない話になってしまう。シャーロック・ホームズの話を書くワトソンのように、語り手は読者に近い平凡な存在でなくてはいけないわけだ。しかも、その平凡なはずのレヌーにも常に波乱の人生が待っているわけだから、なかなかよろしいわけです。

次の第4弾は、いつ出版されるのかしら? 早めにお願い致します。

★★★★★


逃れる者と留まる者 ナポリの物語

日本再興戦略 (NewsPicks Book)

落合 陽一 幻冬舎 2018年1月31日
読書日:2019年5月13日

気鋭の若手研究者の落合陽一が幻冬舎の箕輪厚介と組んで作った日本再興戦略。箕輪厚介なので、いつもどおり話を聞いてまとめただけだろうから深いところを期待してはいけないのかもしれないが、最初はいいが最後の方はかなり雑な作りになっているような気がした。

落合さんの日本という国と日本人に対する直感は鋭いものがあって、人口減少はチャンスだとか、士農工商の世界はインドのカースト制度と相性がいいとか、これからは士農工商のうち農の時代で、つまり専門バカではなく何でもできて臨機応変に対応できる方がいいとか、自由貿易よりも保護貿易だとか、移民に否定的なところとか、男女平等はあり得ないとか、近代的なヨーロッパの思考を超越しろとか、民主主義をアップデートしろとか、なかなかよろしいのである。

落合さんはテクノロジーに絶大な信頼を置いていて、テクノロジーの発展がすべてを解決する、みたいなところがある。わしも、付加価値とは究極的にはテクノロジーのことだと思っているので、この考え方には賛成である。

こういう基本的なものの見方にはなかなかいいところがあるが、それを実行していく具体的な方法というところがかなり弱い。まあ、そこは戦略ではなく戦術論になるから、本書の担当外になるのかもしれない。

たとえば、会社でくすぶっているおじさんをどうするかというと、ベンチャー企業に派遣すればいいという。こういうおじさんがいなくてベンチャー企業は困っているのだそうだ。なので、あちこちに派遣すれば、本人も頼りにされて生き生きと輝くという。一案ではあるかもしれないが、なんとなく、喫茶店でだべって考えたような解決策である。実際、そうなのかもしれないが。

なので、結局、自分がいま一生懸命にやっているプロジェクトみたいなことをやれということのようである。いま、落合さんは、大学をいったん辞め、自分で研究所を作って、それを大学の組織にしているんだそうだ。研究費はすべて自分で集めて、100ぐらいのプロジェクトを並行的に進めていているのだそうだ。こうやって何100人のミニ落合を作って日本を変えようというのである。人間への投資がもっとも利益率が高いと信じていて、それを実践しているのである。

この本は出版から1年以上経つのにまだ売れているようだ。大変な人気である。なかなかいいことが書いてあるし、さくっと読んで未来をインスパイアされるには、ちょうどいい本なのかもしれない。

★★★☆☆

 


日本再興戦略 (NewsPicks Book)

民主主義の死に方:二極化する政治が招く独裁への道

ティーブン・レビツキー, ダニエル・ジブラット 新潮社 2018年9月27日
読書日:2019年5月8日

この本が書かれて、日本語訳もされたのは、間違いなくトランプ政権の誕生の衝撃のせいだろう。丸々1章をトランプ政権に割いている。著者らは独裁かどうかの4つの基準を示しているが、トランプはすべてに当てはまるという。

しかも著者らによれば、トランプは結果にすぎず、その芽は90年代の共和党の元下院議長ニュート・ギングリッチまで遡るという。民主党と妥協を一切せず、戦争と称して手段を選ばず徹底的に戦う姿勢がそれだという。民主主義は一度に崩れるのではなく、少しずつ侵食されていくのだ。

この本を読めば、民主主義はとてもか弱く、簡単に独裁に陥ることが分かる。少し考えてみれば、世の中に成熟した民主主義国家は、驚くほど少ないのだ。イギリス、フランス、オランダ、ベルギーなど、たぶん10カ国程度だろう。

ヨーロッパの中にも、とくにEUに加盟しているような国でも、独裁的な国家が存在していることを知って、とても驚いた。わしはハンガリーというのは東ヨーロッパの中でも文化の発達した成熟した国のようなイメージを持っていたが、ヴィクトル・オルバンという男が独裁政治を行っているのだ。彼はEUのユンケル委員長をバカにするような行動をとって、EU議会の会派から資格停止処分を受けている。ユンケルに「もうがまんできん、うんざりだ」と言わせた男なのだ。なにか独裁国家は国家として破綻しているような印象があるが(ベネズエラとか)、ハンガリーはヨーロッパの中でもGDP成長率が高いのだ。

こうなってくると、自分の国のことが心配になってくる。日本は独裁的な国だろうか。野党から見ると安倍政権は間違いなく独裁的だというだろう。確かに長期政権なのだから、独裁的に見えるかもしれないが、わしにはそれほど独裁的とは思えない。どちらかというと、野党の方が、独裁的に見える。相手を犯罪者と決めつけたり、まったく妥協の余地のない闘いかたをしたりと、独裁的な気質を持っているように見えるのだ。

では日本の周りはどうだろうか。中国、北朝鮮とまぎれもない独裁国家が存在する。曲がりなりにも民主主義国家と言えるのは韓国ぐらいだろう。

ところが、ハンガリーの話を読んでいて、おもわず韓国を思い出してしまうのだ。両国は、よく似ている。つまり、現大統領ムン・ジェインは、司法に自分のいうことを聞く人間を次々送り政権に取り込む、マスコミを脅していうことを聞かせる、ライバルを犯罪者扱いにしてつぎつぎと投獄する、周辺の国に「もううんざりだ」と言わせる、などを行っている。経済成長率が2%台と比較的高いこともそっくりだ(国民の暮らしは悪くなっているようだが、とりあえず国としては成長している)。たぶん、本書の4つの独裁の基準はすべて当てはまるだろう。

妥協を許さずに、同じ国民同士で徹底的に戦う気質から見て、韓国に本書に述べる民主主義を根付かせるのは難しいだろうなあ、と思う。民主主義には相手を尊重する態度が求められるからだ。付き合いは最小限にして、あまり関わり合いになりたくない国です。

(なお、本書では、韓国を独裁国家でではなく、民主主義国家と扱っています。この本がか書かれた頃は、ムン・ジェインはまだ目立ってなかったからでしょうなあ)。

★★★★★

 


民主主義の死に方―二極化する政治が招く独裁への道―

街場の平成論 (犀の教室)

内田樹, 小田嶋隆, 釈徹宗, 白井聡, 仲野徹, 平川克美, 平田オリザ, ブレイディみかこ, 鷲田清一 晶文社 2019年3月29日
読書日:2019年5月5日

コラムニスト小田嶋のファンなのでなんとなく読んだ本。

9人がそれぞれの立場から平成を振り返り、今後を展望するという体裁だが、面白かったのは、小田嶋と平田オリザ平川克美中野徹内田樹と5人だったので、なんとなく当たりだったのかもしれない。がっかりしたのは、白井聡、ほか3人はピンと来なかった。

それぞれの論考を批評してもいいのだけど、せっかくだから自分の平成論をここで少しのべるのも一興かと思うので、そうする。

多くの人がいうように、日本は昭和の終わりのバブルが頂点で、その後の平成は日本は落ちるばかり、という印象はあると思いますが、わしは平成という時代を高く評価する。

内田樹がいうように、昭和は最初はガチに戦争を行って負け、戦後は経済戦争という2度目の戦争を行い、また負けて、両方で負けてしまった(2度目もアメリカに潰された)ということになりました。それで平成は何をしていいのか分からなくなった、漂流した時代と言えるでしょう。国家全体が低迷したのも当然でしょう。

しかし、国ではなく個人という目で見ると、その解放度というか自由度は飛躍的に高まり、強くなったと思うしかありません。わしがどこにそれを見るかというと、特にスポーツの世界です。

スポーツはもちろん、競技している個人の闘いですが、かつてはそれは国家の威信を賭けた戦争でもありました。選手の皆さんには国を背負っているかのような、悲壮感も感じられました。

しかしながら、いま、いろんなスポーツに日本人の皆さんが挑戦し、そして大きな実績をあげているのを見ると、昭和の時代よりもはるかに軽やかさが感じられるのです。もちろん、誰もが応援してくれた人たちに感謝の念を伝え、周りの期待に応えようとしているのは分かりますが、一方、彼らは個人としてそれらをしっかり受け止めて、自分の考えを自分の言葉として表現できていると感じるのはわしだけでしょうか。

こう考えると、日本人は個人として強くなった、と思うのです。

日本という国は、方向性を失い、迷走して、いったん落ちるところまで落ちたのです。国全体として、これはまずい、というところまで来てしまいました。何をやたらいいか分からないけど、ともかく何かしなくちゃ、ともがいているうちに、なんとなく次の時代が見えてきたような、そんな薄明かりの中にいるような気がします。そして、きっと世界との繋がりの中に日本は次の立ち位置を見つけられることでしょう。

それがなにかははっきりとは言えませんが、あちこちで立ち上がっている、強くなった個人としての日本人の皆さんがそれぞれの所でブレークスルーを果たすと信じています。

そしてわしはそういうところに投資したいと思いますので、どうかわしも連れていってください(笑)。

★★★☆☆

 


街場の平成論 (犀の教室)

富国と強兵ー地政経済学序説

中野剛志 東洋経済新報社 2016年12月9日
読書日:2019年5月2日

もしかしたらここ数年でもっともインパクトがあったと言えるかもしれない本。こんな本が2016年に出版されていたとは。ちっとも知りませんでした。

もともとは、いま流行っているMMT(Modern Monetary Theory、現代貨幣理論) の参考になるかと思って読もうと思いました。MMTに関しては、まだ日本語で専門の解説する本がなく、この本の説明がよいと、どこかで読んだからです。MMTについては実際3章に書かれてあって、内容はよく分かったのですが、この本についていうと、それは出発点に過ぎませんでした。なにしろ地政学と経済学を融合させるという目的の本なので、経済学として信用貨幣説とそれを用いた現代貨幣理論を採用している、というのにすぎないのでした。

したがって、本の内容は、領土、通貨、資本主義、帝国主義、民主主義、国民国家などといった国家にまつわるそれぞれにについて、詳細に語っており、下あごをつかまれてぐらぐら揺すられるようなショックを受けました。はっきり言って、世界を見る目がまったく変わってしまったという気がします。そのくらいのインパクトがありました。おそらく、この本は、何かある度に、折に触れて読み返すような気がします。

とくに、グローバリゼーションはデフレを起こす結論にしかならないこと、保護貿易は悪ではないことについては、考え方が100%変わってしまいました。

この本の通りだとすると、いまトランプのやっている保護主義的な政策は正しいし、中国のやっている外国の影響をシャットアウトする政策はさらに正しいということになります。たぶん日本のやっているTTPだけが間違っていることになるでしょう。MMT的には、今の日銀のやっているリフレ政策は間違っていることになるし、面白いことにリフレ政策を批判している側も間違っていることになるでしょう。

とりあえず、私が知りたかったMMTについてだけ、ここでは述べたいと思います。

わしが知りたかったことは、経済について次の2つのようなことが言われていますが、本当でしょうか、ということです。

1)現在の日本は借金がGDPの200%を越えているが、これを解決しないと、借金が累積的に増えて財政が破綻し、その結果ハイパーインフレが発生し、経済が崩壊する。
2)いまに日銀は再現なく通貨を供給しているが、このようなことを行うと、ハイパーインフレが発生し、経済が崩壊する。

この2つはちょっと経路が異なっていますが、結局世の中にお金があふれると、ハイパーインフレが起こり、経済が破綻するという結論に至るということを言っている点では同じです。

MMTのもっともエキサイティングな結論は、国家が自分の通貨を発行していて、その通貨建てで国債を発行している限りは、その国債がデフォルトすることはないというものです。国債を自分の通貨建てで発行している限りは、お金を刷りさえすれば、返済はできるからです。(実際には刷る必要さえないのですが。さらにいうと、政府はお金を発行するのではなく国債を発行し、日銀がそれを引き受けるというかたちになるのですが、まあ同じことです)。

ここまでは、誰もが認めると思いますが、確実に正しいです。ここから見解が分かれるところなのですが、普通は、そんなことはできないという結論を出す人が多いのです。そんなことをすれば、ハイパーインフレが発生し、国家財政も日本経済も破綻するというのです。

しかし、インフレと国債の発行量には何の関係もないとMMTは考えるのです。そもそもインフレが起こる場合はどういう場合でしょうか。

インフレは単純に物の値段が上がることです。どのような場合にそれが起きるかというと、需要が供給を上回ったとき、つまり需要にたいして物が不足したときに値段が上がります。

紛らわしいのですが、インフレとは貨幣的な現象、つまりお金の価値が下がることであるという表現もされます。この表現では、お金が物に対してたくさんありすぎると、インフレが発生することになります。しかし、これはやはりおかしいです。いくらお金があっても、誰も物を買おうとしなければ、インフレになりようがないからです。お金が需要を引き起こす限りにおいて、インフレは起きるのです。

こう考えると、いまの日銀のリフレ政策は間違っていることが分かります。いま日銀は銀行から国債を買って、日銀の当座預金の残高をひたすら増やしていますが、このお金は銀行が貸し出さない限り国民にお金がいかず、そもそもインフレになりようがありません。ご存知のように、貸し出しは増えず、お金は日銀の当座預金口座に滞留したままです。

なので、インフレを起こすためには、お金を国民に直接配るか、あるいは政府が使って需要を増やす以外にあり得ません。そして、政府が使うためには、国債を発行するしかないのですから、借金を気にせずに、国債を発行すべきなのです。

この先は、微妙な議論になります。(微妙というか、人の感覚的には受け入れるのが難しいというべきか)

普通、借金をすると返済のためにさらに借金を行う、ということになり、歯止めが利かなくなるのではないか、という不安があるとは思います。サラ金地獄という言葉があるくらいです。返せなければ個人破産するしかありません。が、国の財政の場合はそんなことは起こりません。なぜなら、仮にインフレになるとしたらそれは好景気ということであり、税収が増えますし、かつて借りた国債の利率よりもインフレが増えるとすれば、それは借金がチャラになることを意味しているからです。そして、国債のデフォルトは起きようがありません。

もしも問題が起きるとすれば、需要が供給を上回ってインフレが実現したときに、そこで需要を膨らませることを止められるかどうか、でしょう。際限なく需要を膨らませたら、それはハイパーインフレになるかもしれません。しかし、好景気になり、税収が増えれば、国債の発行も減ると考えるのが自然でしょう。国内の供給力は非常に大きいので、この供給力を大幅に上回る需要を引き起こせるのかどうか疑問。戦争直後の供給力のない時代なら別ですが、デフレを引き起こしている過剰な供給力がある状況で、そんなことができるんでしょうか。

ともかく、GDPの何100%になったかなどという話は忘れることです。かつてイギリスはGDPの300%まで借金が増えましたが、国家は破産しませんでしたし、国は繁栄しました。国債の発行量と経済の破綻には何の関係もないのです。

冒険投資家として知られる某氏も、国債が発行され過ぎている日本の将来はないと踏んでいるようですが、MMTでは、それはあり得ない、ということになります。

いまのところMMTはゲテモノ扱いされていますが、議論は間違っていないので、世間が慣れるだけの問題なのではないかなという気がします。

 ★★★★★

 


富国と強兵―地政経済学序説

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