エレナ フェッランテ 早川書房 2019年3月20日
読書日:2019年5月17日
「ナポリの物語」の第3弾。この話むちゃくちゃ面白いのだが、世間的にはまったく話題になってません。実に不思議。日本人にはこういう話は訴えないのかしらね。
****以下、ネタバレがありますので、注意。****
今回は、前半はちょっと憂鬱。最初は語り手のレヌーの結婚までの話だから、それなりにほんわかしてるんだけど、もう一人の主人公、リラの方が非常に厳しい生活状況に追い込まれて、苦労するからだ。
リラは子供を抱えながら、セクハラが蔓延するブラック工場で働き、しかも共産党の労働運動に関係したので、経営側からもファシストからも狙われてしまう。彼女は貧困と暴力と疲労の中に閉じ込められてしまうのだ。
しかも、リラが生涯悩まされることになる、精神疾患を発症してしまう。見ている物体の輪郭が崩れてばらばらになるという妄想で、だぶん統合失調症の一種なのだろう。リラ自身はこれを周縁消滅(ズマルジナトウラ)と呼んでいる。あまりにストレスフルな生活が原因なのは明らかだ。でもリナは目一杯活動するのを止めようとはしない。
そんな中で一緒に暮らしているエンツォと毎夜、コンピュータのプログラミングの勉強をすることだけが救いになっていて、どんなに疲れていてもエンツォを励まして、フローチャートを作成する練習を一緒にするのだ。もちろん、60年代のことなので、パソコンなんてないから、二人ともコンピューターの実物を見たことはない。しかし、誰もが理解できないことをやってるということが慰めになるのだろう。
一方、語り手のレヌーの方は、結婚しフィレンツェで暮らすようになる。相手は若くしてフィレンツェ大学で教授になったピエトロ。ピエトロはイタリアでも有名な一族の一員なので、レヌーは一種の権力も手にいれる。この権力を使って、リラを助けることもする。二人にIBMへの伝手を与えるからだ。コンピューターの分かるものが少なくて困っていたIBMは喜んで二人を採用する。二人はIBMの大型コンピューターのシステムエンジニアになる。
しかし、リラとレヌーが直接人生の物語を共有するのはここまで。この後は連絡を絶やさないものの、お互いに何をやっているのか深いところで理解できなくなってしまう。レヌーはフィレンツェで、そしてリラはナポリにとどまり、電話でしか話すことがなくなるからだ。
そして、ここで明らかになるのは、レヌーの才能には明らかな限界があるということだ。レヌーのインスピレーションの源泉はリラであり、リラから離れたために、レヌーはつまらない文章しか書けずに、才能の枯渇に陥ってしまうのだ。夫のピエトロが言うように、「どこかで聞いたようなことばかり」しか書けない状況になってしまう。
それはずっと子供のころからレヌーが自覚してたこと。レヌーは努力家でずっと頑張って人並み以上にはなったけど、天才のリラにはかなわないのだ。
そこにずっと好きだったニーノが現れると、再びレヌーは書くことができるようになる。ニーノが今度はレヌーのインスピレーションの源泉になるのだ。そして、レヌーは夫も子供も捨てて、ニーノと一緒にフィレンツェを離れる決心をする。
ここまでが、第3部の話。残されたのは第4部だけとなった。この先、いったいどうなるの? ニーノと一緒に行ったレヌーは? そして物語の出だしで語られた、リラが自分という存在を全て消そうとする、その過程が明かされるはず。
この物語の構成でうまいのは、平凡なレヌーを語り手にしていること。もっとも天才でエネルギーの塊のリラの視点から書くのは不可能で、できたとしても誰も理解できない話になってしまう。シャーロック・ホームズの話を書くワトソンのように、語り手は読者に近い平凡な存在でなくてはいけないわけだ。しかも、その平凡なはずのレヌーにも常に波乱の人生が待っているわけだから、なかなかよろしいわけです。
次の第4弾は、いつ出版されるのかしら? 早めにお願い致します。
★★★★★