ヘタレ投資家ヘタレイヤンの読書録

個人投資家目線の読書録

なぜ働いていると本が読めなくなるのか

三宅香帆 集英社 2024.4.22
読書日:2024.6.16

仕事を始めると本どころかあらゆる趣味をする時間的余裕がなくなってしまう、という著者が仕事に全身全霊を捧げることを止めるよう主張する本。

読んでいて困ってしまった。

著者はとても真面目な人らしく、就職すると仕事が頭から離れず、時間があってもじっくり本を読むことができなくなり、スマホで動画を見て暮らすようになったんだそうだ。そしてそれをつぶやくと多くの賛同が得られたのがこの本を書くきっかけになっているのだという。

な、なんて真面目な。

なにしろ自分の過去を振り返ってみると、残業はまったくせず、仕事中も仕事していない時間が多かったからなあ。当然、本はたくさん読んでいた。通勤電車でも重たいハードカバーだって持ち歩いてずっと読んでました。いままでで一番重たかったのはアイン・ランドだったかしら。当時は文庫版がなく、分厚いハードカバーを持ち歩くしかなかったから。(わしの仕事ぶりは下記リンク参照)

www.hetareyan.com

著者の三宅さんは本が読めないことに悩んで、3年で仕事を辞めたそうです。そしていま30歳くらいですが、すでに12冊の本を出版しています。半年に1冊は出しているということでしょうか。すごい働き者です。まあ、今の仕事はたくさん本を読む仕事なので、別にいいのかもしれませんが。

というわけで、著者はなんと本が活字で出版されるようになった明治時代にまでさかのぼって、それぞれの時代の読書がどうだったか、出版業界の戦略なんかを調べているのですが、このへんのところはよくお勉強しましたね、という感じです。

明治から1990年代のバブル崩壊までは、細かい違いはあったかもしれませんが、教養や自己啓発といういちおうポジティブな読書なんだそうです。知的な部分で他の人と区別したいとか、出世したいとかの前向きな感情があります。

ところが、著者によれば、バブル崩壊以降、読書は変節してしまうのです。本は単なる情報となり、読書という行為はノイズという位置づけになるというのです。

バブル崩壊以降に何が起きたかと言うと、いろいろ書いてありますが、結局、精神的な余裕がなくなった、ということに尽きるようです。経済的にも余裕がなくなり、自己責任が異常なほど強調され、さらには自己実現もしなければいけない。すべてのことが全身全霊を尽くす方向に向かっていると。ところが、読書というのは役に立つか立たないかなんとも判断できない類のものです。つまり、読書というノイズに含まれている未知の文脈を受け入れる精神的な余裕がなくなったのだそう。

まあ、ものすごく単純にいうと、新自由主義的な、あるいは能力主義的な世の中が、人の精神エネルギーのすべてを搾り取っているということでしょうか。

きっと著者は、バブル崩壊以降にすべてが変わったといいたいのでしょうが、しかしですねえ、それ以前だって、ひとはそんなに読書なんかしなかったんじゃないですかねえ。昔は休暇も少なかっただろうし、いまよりもっと長時間労働が当たり前だったんだから。昔も今も読んでいる人は読んでいる、というだけじゃないかしら。

まあ、余裕を作るには食料と住居は無料になる社会がいいんじゃないでしょうか。いつもこればっかりですが(笑)。

面白いと思った点をいくつか。

戦後の昭和では全集を買うことがやたら流行って、それは棚に飾るためで本人は読まなかったが、その家の子供なんかは結構読んでいたというところ。というのは、わしの父親も百科事典や文学全集や哲学全集とか、やたら全集を買って、全然読んでいませんでしたもの。そのうちのいくつかは、わしがありがたく読ませていただきました。たぶん家族で読んだのは、わしだけ(笑)。

それから、iPadが電子書籍を読むのにいいと書いてあるけど、わしも8インチのタブレット(アマゾンのFireだけど)が読書にいいと思う。わしはスマホで済ますことのほうが多いですが。雑誌なんかは10インチ以上でないとちょっと厳しい。だからわしが持ち歩いているのは、10インチのFireです。なによりFireは安いですからね。

★★★★☆

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