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死にがいを求めて生きてるの

朝井リョウ 中央公論新社 2019.3.7
読書日:2019.10.9

あんまり小説は読まないのだけれど、読んでみた。ネタバレありますので、ご注意。

死にがい、というのは「これができれば死んでもいい、命を捧げてもいい」と思えるようなことですから、結局、普通の生きがいと同じです。そこにわざわざ、死にがい、という言葉を持ってきたところにセンスを感じますね。

実際、この小説には、生きがいという言葉がたくさん出てきて、登場人物は誰もが生きがいを求めています。生きがいというか、なんとか自分の人生に意味を与えたい、と思ってるんですね。でも、それがちょっと倒錯していまして、ここに出てくる人たちは、自分がしたいことをしているというよりも、他人から見て、あいつは生きがいを持って生きている、人生に価値を与えている、と思われることを目指しているんです。小説のなかでは、登場人物のひとりは、学校の知り合いから「目的と手段が逆転している」というふうに言われてしまうくらいです。

いまふうに言えば、SNSで自分がしたいことをしていることを発信するのではなく、人から「いいね!」と言われるだろうことをしている、という感じです。だから、このなかで登場人物がしている発言は、自分の本当の信念というよりも、人から見てどう思われるかという点だけから発信されるので、非常に薄っぺらです。韓国人留学生の知り合いが、明日徴兵されてお国のために身を捧げます、とひとこと言うと、負けたと思ってしまうくらいです。

さて、北海道に住んでいる智也と雄介という二人が主人公で、幼馴染なのですが、性格が真逆で、どうして二人は仲がいいんだろうとみんな不思議に思っています。雄介はどんなことにも積極的で、優劣をつけないと納得できないたちなのに、智也はどこか冷めた部分があります。

二人のうち、自分の人生に意味をつけることに懸命なのは、雄介の方です。雄介のやり方は独特で、まずは敵を設定して、その敵との戦いの運動に他人を巻き込んで、自分はそのリーダーなるという手法です。子供の頃には、そういうゲームに勝とうと熱中するタイプはリーダーシップを発揮して人気者になれるのですが、大人になるに連れて、その手法は使えなくなってしまいます。

実際には、雄介の人生は子供の頃から失敗の連続です。小学校のときには、運動会の棒倒しの競技に燃え、クラスを巻き込んで作戦を練ったり練習をしたりしますが、突然、運動会から棒倒しを含む危険な競技が全てなくなってしまい、挫折します。中学のときには、サッカー部に入って人気もあったのに、高校に入るとエリート高校のなかで目立たなくなってしまい、だんだん自分の人生の意味の付け方が狂っていきます。

大学に入るころには、彼はいろいろな運動をしてもことごとく空回りで、全てに失敗してしまいます。いっぽうの智也はアルバイトを淡々とこなして、生物化学者になるべく大学院を目指しています。

他の人は挫折しながらもそれなりの着地点を見つけていくようですが、雄介だけはさらに突拍子もない状況に身を投げ出し、世界を救うためだとか言って、大学を中退してしまうありさまです。

ここから本当に結末のネタバレになってしまうんですが、なんかやばい状況に自分から陥った雄介を助けようとした智也が、脳挫傷の怪我を負ってしまい植物人間になってしまうんですね。植物人間になった智也を見舞うために雄介は足しげく病院に通うんですが、(で、このシーンがこの小説の冒頭なんですが)、なんのために雄介は毎日見舞いに訪れていたのか。そして看護師の女性に、明日は絶対に復活すると信じていけば一日を過ごせる、とかなんとか格好いいことを言っていた雄介が、実はなんのために見舞いに来ていたのか。

それは、植物人間になった智也を自分の人生に意味を与えるための物語に取り込もうとしていたんですね。

そこまでして、人生に意味を与えなくてはいけないのか?

わしはかつて、ある女の子に「人間が生きていることになにか意味があるわけではない」と断言して、不興を買ったことがあるのですが、やっぱり何かの意味をつけたいんでしょうね。

雄介の最後の企みも、智也がずっと目を覚まさないことが前提の話で、智也が植物状態から復活するところが示唆されて、この先もろくも崩れる運命にあります。また雄介は挫折する、しかも今度はもうやり直しがきかないところに落ち込むかもしれません。

さて、物語の語り方としては、二人の話が直接語られることはほぼありません。必ず二人の周囲にいる別の人の視線から物語が語られます。しかも、その際、二人について読者に与えられる情報もそんなに多くありません。

このような構成の小説はけっこうあるのですが、この利点は明らかで、主人公二人の話だけをすると、たぶんこの半分以下のページ数で終わってしまいます。(笑) パワーポイントにすると3枚ぐらいかもしれません。

というわけで、周囲の人を中心にして話を進めることで、なにより読者を飽きさせないでページを稼ぐことができますし、しかも二人の関係を秘密のままに話を進めることができます。ほぼ全ての登場人物が、「自分の生きがいってなんだろう、生きがいって必要なの、自分の人生の価値は」みたいなことで悩んでいます。それで周りの人間の悩みを読みながら、ついついこの二人の場合はどうなんだろうと考えさせる、という構造になっています。

最後の方は、なんか日本の歴史の底に流れていた2つの民族の闘争の歴史みたいな、伝奇小説みたいな話が中心に出てくるのですが、これがさっぱり面白くないので、なんでこんな話が出てくるんだろうと思ったら、この作品はこういう架空の歴史をもとにした、いろんな作家が競作しているうちのひとつなんですって。この要素さえなければ、もっと面白かったのに。

そして、智也の属している民族は、なんか目の色が他の人と違うんですって(爆笑)。わしは昔、ファンタジー小説の書き方みたいな本を読んだことがあるのですが、そこには「異世界の人間が普通の人と違うとことを表すのに、すぐに目の色が違うという設定を使う人がいますが、あまりにそういう設定が多すぎるので、使うのはやめましょう」みたいなことが書いてあったのですが、朝井リュウのような素晴らしいプロの先生が堂々と使っているのをみて、びっくりしてしまいました。きっと、伝奇小説部分についての他の先生との約束事として使ってるんだと思いましたが、このくらいの存在になると、ベタな設定も素晴らしいものになるのかもしれません。(少なくとも、編集者に拒否られることはないんですね)。

★★★☆☆

 


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