ヘタレ投資家ヘタレイヤンの読書録

個人投資家目線の読書録

本物の大富豪が教える金持ちになるためのすべて

フェリックス デニス 文響社 2017年5月31日
読書日:2017年09月25日

著者のデニスさんのいう本物の大富豪のいうレベルは、資産は少なくとも数百億円であり、たぶん標準的には数千億円をさしているものと思われる。

このレベルの金持ちということになると、もう起業しかないわけで、もちろんデニスさんも起業を勧めているわけです。起業しても成功するとは限らないけど、失敗しても失うものが何もない状況なら、断然おすすめの方法ということになります。

で、起業したら所有することにこだわり、絶対に会社を売り払ってはいけないというのです。世の中には、頭が良くて仕事ができる人がたくさんいるというのです。しかしなぜかそういう人は人のために働くばかりで、自分のために働かない人がほとんどだというのです。もちろん優秀ですから高給をもらっていますが、彼らがどんなに稼いでも、せいぜい資産は10億円程度であり、会社を所有している自分には到底かなわないわけです。

デニスさんの不思議は、世の中にはお金はそんなにいらない、食べていける程度の収入があればそれでいいという人が世の中にたくさんいることで、というかほとんどがそういう人ばかりで、これが実に不思議なようです。とはいうものの、デニスさんはお金持ちになったら困ることもいろいろ書いているわけで、お金持ちになることへの覚悟も読者に説いています。

しかし普通の人にとっては、別に不思議でもなんでもないわけでして、普通の人は経営にまつわる面倒くさいことは背負いたくないわけです。デニスさんのお友達にうまくやっている夫婦がいるそうで、200万ポンドくらいの資産を築いてさっさと引退し、その利子だけで”つつましい”生活をして、世界中を旅して暮らしているそうです。

でも誰でもそうではないでしょうか。誰だって大富豪になりたいわけではなく、小金持ちになって、ちょっとだけ豊かな生活を一生遅れればそれで満足ではないでしょうか。でも、たぶんそのためにはやっぱり200万ポンド(数億円)が必要だと思いますよ。みんな憧れているのはその程度の小金持ちであって、デニスさんのいう大富豪ではないでしょうね。だって、そういうのって、どう考えても面倒くさいですよね。

起業したらどんな面倒くさいことに襲われるのか、私はそういう本を読むのが大好きなので、この本も楽しめました。でも大体、たどる経過はそんなに変わらない気がしますね。

「会社を興すだけならぜんぜん簡単だよ。わしも会社作ろうかな」とわしが言ったら、中学生の息子は、「いいね、ぼくを部長にしてよ」だって。部長でいいんだ(笑)。大富豪向きじゃないですね。

★★★★☆


本物の大富豪が教える金持ちになるためのすべて

99歳ユダヤのスーパー実業家が孫に伝えた 無一文から大きなお金と成功を手に入れる習慣

矢吹 紘子 マガジンハウス 2014年8月7日
読書日:2019年4月15日

トルコで製造業の会社の創業者として成功した99歳のババ(祖父)が、ロンドンで映画配給会社を経営している孫に、事業を行うことの極意というか、心得を伝えるという話。何となくアメリカ人が書きそうな本だけど、日本人の矢吹さんが友達のアダムの体験を本にまとめたというところが変わってる。

で、お金の話を恥ずかしいことじゃない、どんどん話せ、お金は最大の保険なんだ、といったお金に関する罪悪感を払拭する話とか、成功するには常識は捨てて非常識にならなくてはいけないとか、何でもルーティン化してずっと続けろとか、約束の30分前にいくことを心がけろとか、まあ、普通の創業者が言いそうなことが書いてあります。

書いてあること自体はそれを素直に受け止めればいいんだけど、そんなことよりも、このユダヤ人一族は、成功の度合いは別にして、祖父も父も孫も、それからおじさんとかの親戚も、ほとんど実業家で自分で事業を起こしているんだね。デフォルトが起業なの。

わしは起業なんて面倒くさいからしたいと思わないけど、その割りに、なんとか老後を安楽に暮らせるお金を貯めようとあくせくしてるわけだけど、デフォルトが起業の一族に生まれたら、そりゃ会社を起こすんでしょうねえ。

やっぱり雇われて金持ちになる人はいないってことですね。

それで、祖父はトルコにずっといるんだけど、父はシンガポールで、孫はイギリスと日本という世界中でばらばらに住んでるの。で、何かあると、気軽に飛行機に乗って集まるんだよね。ユダヤ人には国境はないというか、こういう国にとらわれいない感覚はさすが。

★★★☆☆


99歳ユダヤのスーパー実業家が孫に伝えた 無一文から大きなお金と成功を手に入れる習慣

「発想」の極意 :人生80年の総括

日下公人 徳間書店 2018年10月20日
読書日:2019年4月12日

日下公人の本はほとんど読んだことがない。でも、ちょっと気になっていた。それで、人生80年の総括、という副題がついているくらいだから、これを読めばいいのかと思って、読んでみた。そうしたら、これまで自分がやって来たことがだらだら書いてあるだけの本だった。とほほ。

で、結局、題名の発想の極意はなにかというと、「直感」ということになりそうです。えー? これを聞かせて、わしにいったいどうしろというのか。

それでもまあ、まったく役に立たなかったわけではなくて、たとえば、日本の未来にとても楽観的なところは、参考になったかも。

もしかしたら「日本への遺言」は読んだ方がいいのかもしれない。まあ、その程度の本でした。

★★☆☆☆


「発想」の極意 :人生80年の総括

FACTFULNESS(ファクトフルネス)10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣

ハンス・ロスリング, オーラ・ロスリング, アンナ・ロスリング・ロンランド 日経BP社 2019年1月11日
読書日 2019年4月10日

 

この本は、公衆衛生学の本でもあるけれど、どちらかというと行動経済学進化心理学の内容と近い。というのも、人間の脳にそもそも備わっているバイアスに起因する思い込みを主なテーマにしているからだ。だから例えば、「予想どおりに不合理」なんかの本と相性がいいんだろうなと思う。

この本では、人間の基本的な発想が世界という大きな世界を理解するのにまったく役に立たないことが次から次へと紹介される。具体的には、世界は分断されているとか、世の中はどんどん悪くなっていくとか、未来は過去の延長にあるとか、そういった10の思い込みにまとめられている。

結局、人間の感性は長い間続いた狩猟採集生活(石器時代)に培われたものであって、つまりせいぜい150人くらいの社会に起こることへの直感しか働かないということらしい。約1万年前に人類は農業を発明し、結果、人が何万人も集まる都市や国家が発達したが、それからの時間があまりに短すぎるために、それが遺伝子的に脳の思考方法に影響を与えるまでに至っていないのであろうと思われる。

とくに統計的な発想ができないのは大変痛い。そして、たとえ専門家が理解できても、それを一般の人に分かりやすく説明するのは至難のことではないだろうか。そして一般の人に理解されなければ、政策は進展しないのである。困ったことである。

わしは未来は常に希望にあふれていると考えるが(その理由は単純で科学技術がいまのところ常に発展しているから)、未来は暗く、過去の方が良かったと思う傾向があるのは困ったことだと思う。未来が暗ければ、投資なんかできないではないか。

似たようなことだが、世界は残酷で世の中は常に厳しい、という思い込み。進撃の巨人のミカサ・アッカーマンの「世界は残酷なんだから」というセリフを何となく思い出してしまう。でも、狩猟生活では、常に世界は危険だと用心を怠らない人間の方が生き延びたであろうから、そういう思い込みができたことは分からないでもない。

ここで、アフリカの発展の度合いがものすごく大きいことは、話に聞いていたが改めて感心した。とすると、中国がアフリカに大々的に投資を行っているのは先見の明にあふれているとしか言いようがない。中国の一帯一路は批判も多いし、必ずしもうまくいっているわけではないけれど、日本も絡めるところは絡んで行った方がいいと思う。いや、安部首相は実際にそうやっているから安心して見ているんですけど、もうちょっと積極的でもいいのではないかと思った。

世界は日々、よくなっている。絶対的貧困がなくなる日も近い。作者が言うように、誰も気がつかないうちにそれは達成できるでしょう。この本は作者の最後の本で遺書のようなものだそうですが、この本が世界中でベストセラーになって本当に良かったです。

 ★★★★☆

 


FACTFULNESS(ファクトフルネス)10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣

賭博者

1969 新潮社 ドストエフスキー, 原 卓也
読書日:2019年4月3日

登場人物のほとんどがギャンブル依存症(ただしロシア人のみ)で、ほとんどの人が破産寸前(ただしロシア人のみ)の状態にある話。

わしはギャンブル依存症に興味がある。また、ドストエフスキーにもまあ普通に関心がある。なので、ドストエフスキーギャンブル依存症で、しかもそれをテーマにした小説(本書)を書いたことを知っていたので、ぜひ読んでみたいと思っていたが、なかなか読むタイミングが訪れなかった。今回、たまたまほかに読む本がなかったので、本書を手にとってなんとなく読み始めたのだが、これが大正解だった。

ドストエフスキーの文体は特殊で、1行1行がなにかヒリヒリとした変質狂的なしつこさがあって、ほかにこのような文体の作家が存在しないため、慣れると中毒性を発揮する。そういうわけで、読み始めるとたちまち夢中になって読んでしまった。ドストエフスキーはすごいなあ。

ドストエフスキーに関しては、持病の「てんかん」との関係が語られることが多いが、このヒリヒリした文体はギャンブルにおける食事も忘れるほどの集中、独特の興奮や焦燥感にぴったりで、てんかんの影響よりも、ギャンブル依存症により脳に不可逆的な変化が起きたからと考えた方がいいのではないかと思う。

ドイツの一角にあるルーレンテンブルグ(ルーレットの町)という町のリゾート・ホテルがほとんどの舞台で、ここには世界中からギャンブル好きが集まってくる。この小説では、国ごとに登場人物に明確に役割が与えられていて、ドイツ人は真面目で、ギャンブルなどせずに、堅実にお金をためる。イギリス人は事業を行い、投資はするが、ギャンブルはしない。一方、ロシア人はほとんどがすぐにルーレットに夢中になってしまい、しかも一攫千金しか狙わない。フランス人はそんなロシア人にお金を貸したり、色気で手玉に取ったりする。ポーランド人は、ロシア人のそばにベッタリついて、小銭を掠め取ろうとする役割。

主人公のアレクセイは、将軍の付き人をしていて、将軍の義理の娘のポリーナを愛している。どのくらい愛しているかというと、ドイツ人の公爵に喧嘩を売れと言われれば本当に売ってしまい、ホテル中のひんしゅくを買ってしまうくらいだ。この結果、アレクセイは付き人を首になってしまう。そして彼はギャンブル依存症であり、ギャンブルで儲けたら仕事をやめて、お金がなくなると、また仕事をするという感じだ。

アレクセイの人生はポリーナとギャンブルで成り立っていて、この小説のテーマのひとつは恋が勝つのか、それともギャンブルかという点。

どちらが勝つと思いますか。それは、当然、ギャンブルが勝ってしまうんですね。ポリーナは彼の元を去り、アレクセイはまたギャンブルをするわけです。ギャンブル依存症はしょうがないね。

で、まあ、小説の結論を言ってしまったわけで、ここで株と依存症について考えてみたい。

株式市場で取引をするのはギャンブルでしょうか。やっているほとんどの人はギャンブルではないと言うでしょうね。これは投資であると。一方、やっていない人はギャンブルと言うでしょう。やってない人は、ほとんどの人は株で損をすると信じているからです。

実際には株取引はギャンブルでもないし、純粋な投資でもない、なにか中間的な存在です。デイ・トレーダーをやっている人のなかには、ほとんどギャンブル感覚でやっている人もいるかもしれませんが、しかし、その中にも、押したり引いたりといった心理の波のようなものを市場に感じて、それに乗ろうとしているわけで、0か1かの単純なギャンブルをしているわけではありません。

しかしながら、依存症という視点では、株式市場には強烈な依存症があると言わざるを得ないのではないでしょうか。

では、依存症かどうかはどうしたら分かるでしょうか。

それは稼いだ金額や損した金額に関係なく、市場に居続けるかどうかで分かるんじゃないでかと思います。

賭博者のアレクセイは大儲けもするし、逆にほとんど文無しにもなりますが、唯一やらないのは、賭博場から退出することです。

わしも、この先何百億円儲けても株式市場にいるだろうし、たとえほとんどの財産を失ったとしてもやっぱり株式市場にいるんじゃないかなと思いますね。なのでやっぱり、自分は依存症に違いないと思うのです。

リスクコントロールは投資の基本ですが、わしの場合、破産しないためというよりも、実際にはここに居続けたいからなんですね。種銭を失いたくないということなんです。この場に居続けたいという気持ちがリスクコントロールさせるという、なんともアンビバレントな状態です。

依存症は悪いわけではありません。誰だってどうしても止められないものがあるはずです。しかし、人生を壊滅させてもやるというのは、やっぱり自殺に等しいですから、なんとかそこで留まらないとね。

この本に出てくるロシア人のギャンブルのしかたは、ともかく全財産を失うまで、とことんやってしまうというひどいもので、食事代だけを残してやめようとするが、気が変わってそれすらも賭けてしまうような賭け方です。こうしたロシア人の気質(とドストエフスキーが信じている)が見所のひとつで、特に「おばあちゃん」と呼ばれる将軍の母親の負けっぷりは素晴らしいですけどね。おばあちゃんは賢明にも、破産する前にギャンブルをやめます。

ドストエフスキーの賭博者は、あまりにリアルすぎて、この分野の古典の座は揺るがないでしょう。とても口述筆記で書いたとは思えません。

★★★★★


賭博者(新潮文庫)

今こそ、韓国に謝ろう

百田尚樹 飛鳥新社 2017年6月8日
読書日:2019年3月28日

 

右派の百田さんによる、韓国をディスる本。基本は、「日本は勝手に朝鮮を良くしてごめんなさい」、という主張。

一昔ならともかく、おそらく今の日本人で、韓国を併合したことに対するなんらかの罪悪感を持っている人は皆無でしょう。出版は2年前ですが、出版当時にこの本を読んでいたら、内容に多少眉をひそめたかもしれないけど、いまやそんな感情はありえません。韓国に関しては、すべてスルーです。反応するのもばかばかしい。政府は粛々とできることは全部やって対応してほしい。(制裁を含む)

しかし、この本を出版した飛鳥新社にとっては、いまの状況はちょっとまずいかもしれませんね。この本は日本人に韓国についてのばかばかしさを啓蒙する目的なのだと思いますが、すでに韓国自身がその役目をすでに存分に発揮していますから。それに比べたら、この本に記載してある事項は、あまりショッキングではないです(苦笑)。文庫版が出てますが、売れ行きが悪いかも。

しかし、併合前の朝鮮の状況はひどいですね。この状況から100年たって、どこまで国民の意識が高まったのか、韓国人の態度を見ていると疑問です。

特に、法律を作るときにさかのぼって処罰する、後出しじゃんけんだけは、放置国家、じゃない法治国家してあまりにひどいと思うので、改善してほしいですね。他のことはともかく、これだけでも徹底できれば、少しはましになるんじゃないでしょうか。

韓国の大統領がすべて引退後にひどい目にあっているのは、目を覆うばかりですね。自分の正統性を主張するためには、それ以外のすべてを認めるわけにはいかないという、中華思想的な発想のような気がします。中国みたいに大きな国なら、そのくらいのことをしないといけないというのも分からないではないですが、そんなに大きくない韓国でそんなことをやったら、国中がギスギスするんじゃないですかねえ。

 ★★★☆☆

 


今こそ、韓国に謝ろう


今こそ、韓国に謝ろう ~そして、「さらば」と言おう~ 【文庫版】

歴史で読む中国の不可解

岡本 隆司 日本経済新聞出版社 2018年10月10日
読書日:2019年3月27日

中国に関して、何か事件が起きるごとに、歴史学の著者が言葉を求められ、それに応えて書いた文章をまとめたアンソロジー。うまく編集ができていて、いちおう、読むと中国人の捉え方が少しはわかったような気になれる。

この本のまとめをいうと、結局のところ、中国の行動には長ーい過去のいきさつがあり、その歴史と19世紀に突然現れた西洋文明との間には齟齬が生じるのは仕方がない、ということろだろうか。

例えば領土である。

かつては中国は世界の中心で、周辺国との間には国境なんてなかった。そんなものはどうにでもなったからである。ところが近代になって西洋の列強に分割されそうになって、慌てて国境を定めた。それは死守すべきラインであり、中国人の考える自分たちの権威が及ぶと考える範囲よりもかなり狭かった。彼らの意識の中では、沖縄も台湾も東南アジアも入っていた。意識の上では属国全部を含む、とても広い範囲になるので、尖閣諸島や沖縄も自分たちの領土だと主張するのに特に違和感は中国人にはない、という。

役人の腐敗も、そもそも腐敗が中国社会のなかにビルドインされているという。

中国はずっと小さな政府であり、役人の俸禄はとても少なかった。その代わり、庶民から巻き上げるのを黙認していた。だから腐敗は、中国の不可欠の要素になっていて、今の共産党の中国でもそれは変わらない。ただ節度というものがあって、その時々でそこまでやったらアウトみたいな基準があった。豊かになると腐敗が進む社会構造が組み込まれているので、いい悪いの問題ではなく、程度の問題で、そこに近代国家の基準を当てはめてもうまくいかないという。

そのほか、中国は昔からずっと輸出超過の国だったから、貿易黒字は今に始まったことではないとか、また中国はテクノロジーになじめない組織構造をしているから、技術大国の状態を保てるのか疑問とか、書いている。

中華思想日清戦争の優しい解説があり、その辺も有益。

★★★☆☆

 


歴史で読む中国の不可解

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