1969 新潮社 ドストエフスキー, 原 卓也
読書日:2019年4月3日
登場人物のほとんどがギャンブル依存症(ただしロシア人のみ)で、ほとんどの人が破産寸前(ただしロシア人のみ)の状態にある話。
わしはギャンブル依存症に興味がある。また、ドストエフスキーにもまあ普通に関心がある。なので、ドストエフスキーがギャンブル依存症で、しかもそれをテーマにした小説(本書)を書いたことを知っていたので、ぜひ読んでみたいと思っていたが、なかなか読むタイミングが訪れなかった。今回、たまたまほかに読む本がなかったので、本書を手にとってなんとなく読み始めたのだが、これが大正解だった。
ドストエフスキーの文体は特殊で、1行1行がなにかヒリヒリとした変質狂的なしつこさがあって、ほかにこのような文体の作家が存在しないため、慣れると中毒性を発揮する。そういうわけで、読み始めるとたちまち夢中になって読んでしまった。ドストエフスキーはすごいなあ。
ドストエフスキーに関しては、持病の「てんかん」との関係が語られることが多いが、このヒリヒリした文体はギャンブルにおける食事も忘れるほどの集中、独特の興奮や焦燥感にぴったりで、てんかんの影響よりも、ギャンブル依存症により脳に不可逆的な変化が起きたからと考えた方がいいのではないかと思う。
ドイツの一角にあるルーレンテンブルグ(ルーレットの町)という町のリゾート・ホテルがほとんどの舞台で、ここには世界中からギャンブル好きが集まってくる。この小説では、国ごとに登場人物に明確に役割が与えられていて、ドイツ人は真面目で、ギャンブルなどせずに、堅実にお金をためる。イギリス人は事業を行い、投資はするが、ギャンブルはしない。一方、ロシア人はほとんどがすぐにルーレットに夢中になってしまい、しかも一攫千金しか狙わない。フランス人はそんなロシア人にお金を貸したり、色気で手玉に取ったりする。ポーランド人は、ロシア人のそばにベッタリついて、小銭を掠め取ろうとする役割。
主人公のアレクセイは、将軍の付き人をしていて、将軍の義理の娘のポリーナを愛している。どのくらい愛しているかというと、ドイツ人の公爵に喧嘩を売れと言われれば本当に売ってしまい、ホテル中のひんしゅくを買ってしまうくらいだ。この結果、アレクセイは付き人を首になってしまう。そして彼はギャンブル依存症であり、ギャンブルで儲けたら仕事をやめて、お金がなくなると、また仕事をするという感じだ。
アレクセイの人生はポリーナとギャンブルで成り立っていて、この小説のテーマのひとつは恋が勝つのか、それともギャンブルかという点。
どちらが勝つと思いますか。それは、当然、ギャンブルが勝ってしまうんですね。ポリーナは彼の元を去り、アレクセイはまたギャンブルをするわけです。ギャンブル依存症はしょうがないね。
で、まあ、小説の結論を言ってしまったわけで、ここで株と依存症について考えてみたい。
株式市場で取引をするのはギャンブルでしょうか。やっているほとんどの人はギャンブルではないと言うでしょうね。これは投資であると。一方、やっていない人はギャンブルと言うでしょう。やってない人は、ほとんどの人は株で損をすると信じているからです。
実際には株取引はギャンブルでもないし、純粋な投資でもない、なにか中間的な存在です。デイ・トレーダーをやっている人のなかには、ほとんどギャンブル感覚でやっている人もいるかもしれませんが、しかし、その中にも、押したり引いたりといった心理の波のようなものを市場に感じて、それに乗ろうとしているわけで、0か1かの単純なギャンブルをしているわけではありません。
しかしながら、依存症という視点では、株式市場には強烈な依存症があると言わざるを得ないのではないでしょうか。
では、依存症かどうかはどうしたら分かるでしょうか。
それは稼いだ金額や損した金額に関係なく、市場に居続けるかどうかで分かるんじゃないでかと思います。
賭博者のアレクセイは大儲けもするし、逆にほとんど文無しにもなりますが、唯一やらないのは、賭博場から退出することです。
わしも、この先何百億円儲けても株式市場にいるだろうし、たとえほとんどの財産を失ったとしてもやっぱり株式市場にいるんじゃないかなと思いますね。なのでやっぱり、自分は依存症に違いないと思うのです。
リスクコントロールは投資の基本ですが、わしの場合、破産しないためというよりも、実際にはここに居続けたいからなんですね。種銭を失いたくないということなんです。この場に居続けたいという気持ちがリスクコントロールさせるという、なんともアンビバレントな状態です。
依存症は悪いわけではありません。誰だってどうしても止められないものがあるはずです。しかし、人生を壊滅させてもやるというのは、やっぱり自殺に等しいですから、なんとかそこで留まらないとね。
この本に出てくるロシア人のギャンブルのしかたは、ともかく全財産を失うまで、とことんやってしまうというひどいもので、食事代だけを残してやめようとするが、気が変わってそれすらも賭けてしまうような賭け方です。こうしたロシア人の気質(とドストエフスキーが信じている)が見所のひとつで、特に「おばあちゃん」と呼ばれる将軍の母親の負けっぷりは素晴らしいですけどね。おばあちゃんは賢明にも、破産する前にギャンブルをやめます。
ドストエフスキーの賭博者は、あまりにリアルすぎて、この分野の古典の座は揺るがないでしょう。とても口述筆記で書いたとは思えません。
★★★★★