渡辺努 講談社 2021.1.11
読書日:2022.4.22
物価は経済学の基礎概念にもかかわらず、その計測方法から、何が物価を動かすか、物価に対して何ができるのか、など今も未知な部分が多く、現在の経済学が到達している地点について解説してくれる本。
著者はかつて日銀に勤めていたときに、バブルになって資産価格は大幅に上がったのに、消費者物価自体は上がらなかったことが不思議で、それで研究者になってからも物価を研究対象にしたのだという。なお、これはケインズの示した価格硬直性の問題として知られているそうだ。
じつはわしもこの点が不思議で、これについてのわしの解答は、消費者の買うような日用品は日本では過当競争になっており、このように供給が圧倒的に多い状況では値段は上がらない、というものだ。これは日銀が2%のインフレを目指す異次元の緩和を行うようになってからも同じだと思っており、なのでいくらお金を供給しても物価は上がらない。もちろん、これはなんのデータの裏付けも取っておらず、わしが自分で納得するためにそう考えているだけだ。
では、著者の疑問は解消されたのだろうか。
結論をいうとまだ道半ばで、最終的な解答は得られていない。しかも物価を調べていくうちにいくつもの不思議な性質を発見し、そうなる理由を見つけるべく試行錯誤しているところらしい。
ということで、さっそく著者の発見した物価の性質について述べていこう。
まず物価は日々連続的に変化するわけではない、ということがある。不連続に、あるときに上がって(下がって)、しばらくはそのままで、またあるときに上がる(下がる)。このように上がる瞬間としばらく動かない時期がある。このとき、変化の量と頻度を比較すると、1回に動く価格の変化の割合はほとんど変わらない。いっぽう価格改定の頻度は増えたり減ったりする。つまり、インフレ率は、一定期間に何回価格を変えたかに等しい。(第1の発見:インフレは価格更新の頻度で発生する)
そうすると、高いインフレ率の場合は、いきなり価格が2倍になるみたいに一回の変化で大きく変わるのではなく、何回も変わる、つまり価格更新の頻度が高くなると予想されるが、実際にインフレ率が高くなっていくと、価格更新の頻度も百倍、千倍、万倍と対数的に増えていく。(第2の発見:インフレ率が高いと価格更新頻度が増え、低いと減る)
こういうふうに、あるときに発生して、しばらくしてまた起きるというのは、地震と同じなので、地震に関する統計的な性質がそのまま当てはまるのだそうだ。地震の場合は大きな本震が起きるとしばらくそれに誘発された小さな余震が続き、余震はだんだん小さくなって頻度も減り、やがて無くなる。次の本震が起きるのはずっと先である。
同じことが価格の更新にも起きているという。著者が示したデータは、テレビの新製品の価格データだ。ここには発売直後には価格が大きく変動して(下がって)いるが10日ぐらいで安定する様子が示されていて、地震の場合と同じなんだそうだ。(第3の発見:直近の価格更新から時間が経つと更新頻度が減少する)
どうして地震と同じになるかというのは、発生メカニズムも似ているからだ。地震はプレートに力が蓄積されてあるときに耐えきれなくなって破壊や変形することで起きる。価格の場合も環境が変化しても耐えられるようにある程度、余裕(遊び)を持って設定されているそうだ。その余裕を越えるまでは価格は動かず、越えると余裕がなくなって価格が改定されるのだという。
このような発見は、最近、価格に関する大量のデータが手に入るようになったから可能になった。
ケインズの価格硬直性に関しては、これまでもさまざまな理論が提唱されてきたが、実際のデータが集まるにつれて淘汰されていき、残ったのは2つだという。ひとつは「メニューコスト仮説」(グレゴリー・マンキュー)で、もうひとつは「情報制約仮説」だそうだ。
メニューコスト仮説は、レストランでメニューを変えるような小さなコストでも、小さな価格更新で増える小さな利益に見合わないという説で、小さなコストでも大きな影響を与えるという意味で意外性があるので、研究者に人気だという。しかし、実際に価格を決定している企業へのインタビューでは「情報制約仮説」の方が実態に近いという。価格を決定するためにはそのための情報を集めなくてはいけないが、そのような情報を集めるには非常にコストがかかる。したがって、四半期に1回とか半期に1回とかの頻度でしか価格更新の意志決定ができないというものである。
ところがメニューコスト仮説にしても情報制約仮説にしても、第1と2の発見は説明できるが、第3の発見は説明できないという。したがって、物価を研究している学者の中ではまだ定説はないのが現状だという。
わしは、第3の発見は、たしかにこのような現象はあるだろうとは思うが、ここで出している例は良くないと思う。新製品のテレビの値段でなく、もっと一般的な、長く売られているものを例に出すべきではないか。というのは、この本でも最後の方に出てくるが、新製品というのは新製品というだけで魅力があり、その分高く価格を設定するものだからだ。だがその効果は非常に短い場合が多く、すぐに他の製品に紛れて下がってしまう。そういうわけで、この例は単に新製品効果を示しているだけのように思える。最初の価格設定が意図的に高く設定されただけなのではないのか。
例が悪いので、なにか釈然としない気もするが、まあ、第3の発見はたしかにありそうな気がするし、あるとしたらそれをメニューコスト仮説でも情報制約仮説でも説明できないのはそうなのであろう。
そこで著者は、今後は価格決定者同士の相互作用を考慮に入れなくてはいけないのだろう、と言う。例えば、同じ商品を扱うライバルが数社いるだけでも、1社が値上げをすると需要供給曲線から想定できる以上に需要が他社に流れて減るので、値段を上げられないのだという。この現象は「屈曲した需要曲線」として、広く知られているそうで、この場合、値段を変えない、という結論になるそうだ。
そうすると、単に業者が多すぎて供給量が多すぎるという、わしのような普通のひとの直感と何ら変わることがないのではないか、という気がする。
さて、どうだろうか。
価格に関するデータが十分に手に入るようになったのが最近のことだとしても、経済学の進展はとても遅いような気がしないだろうか。わしは著者の業績を評価するけど、やはり不満だ。
この本によると、皆が同じ経済モデルで考えているのではなくて、ひとりひとり違った経済のマイモデルを心に描いていて、ひとりひとり違った反応をする、ということを著者が受け入れたのは、2010年なんだそうだ。いまから12年前だ。
この部分を読んで、わしは頭がくらくらした。ひとりひとりが違うことを納得するのにこれだけ躊躇するなんて、気が遠くなるほど、経済学は遅れている気がする。なんとかならないんだろうか、と本当に思う。まあ、複雑系の学問ですからなかなか難しいとは思いますが……。
この他にも物価に関する話題は豊富で、そのなかでもわしが面白かった部分をいくつかあげる。
まずハイパーインフレが起きても、問題なく経済が動いていくという不思議な話だ。ここでスーダンのハイパーインフレの話が出てくる。なんとその世界で実際に生活していた学生が著者のところにやってきて、一緒に研究することになったのだそうだ。
スーダンのインフレがどのくらいかというと、一時は年率165%に達したそうで、月50%がハイパーインフレの定義だから厳密にはハイパーインフレではないのだが、しかし十分高いインフレ率である。
問題は、このような高いインフレが起きても、生活にはあまり影響がなかったということだ。なぜなら、物価にしても給料にしても、全てが一斉に上がるだけで、バランスが保たれていたからだ。
この話はベネズエラからの報告でも同じで、経済が崩壊したはずのベネズエラでもスーパーに商品は並び、人々はけっこう普通に生活しているようだ。とくにベネズエラでは電子決済が普及していて、高額な紙幣を持ち歩かなくてもいいわけで、そのぶん、値段が上がっても問題ない。(ただしベネズエラでは公務員の給料は上がらなくて、腐敗はかなりひどい)。
そういうわけで、インフレはそんなに脅威ではないらしい。全体が一緒に動いている限りは、だが。(そういう意味で、ロシアへの経済制裁にそんなに期待できない気がする。イランなんかもアメリカの経済制裁を受けているけど、国が崩壊したという話は聞かないし、さらには北朝鮮すらも倒れる気配はないのだから。)
そう考えると、たとえばMMT(現代貨幣理論)でどんどん通貨供給量を増やしたとしても、そしてその結果インフレになったとしても、電子的に通貨を処理している限りはそんなに気にしなくてもいいのでは、という気がするなあ。
次はフィリップス曲線だ。
フィリップス曲線は失業率とインフレの関係を示した有名なものだが、驚いたことに、政策決定者にはこのフィリップス曲線以外のツールは未だにないようなのだ。フィリップス曲線がきれいに描けるのは、特定の経済環境が一定の場合だけで、環境が変わるとその曲線は移動したり、傾きが変わったりする。でもなんとかそのへんをいろいろ理屈をつけて調整して、利用しているようだ。
で、最近、このフィリップス曲線が寝てきて、失業率が下がってもインフレが起きそうにないという状況なのは、よく知られているとおりです。
しかしねえ、いまだにツールがフィリップス曲線しかないというのはどうなの? (しかも、わしはこのフィリップス曲線がそんなに有効なのか疑問に思ってる。)
ともかく、そろそろなにか別の使えるツールが出てきてもいいように思うんですけどねえ。
★★★★☆