河野啓 集英社 2020.11.30
読書日:2021.5.9
登山をエンターテイメントビジネスにした栗城史多を身近で見てきた著者による評伝。
何年か前に飛行機の中で「エベレスト3D」という映画を見たことがある。1996年のエベレスト登山における大量遭難事件を扱ったものだが、驚くのはエベレスト登山が完全に観光ビジネス化しており、旅行会社がそれほど練度が高くない客をエベレストに登頂させるという事実だった。登山ルートはノーマルルートと呼ばれる1つだけしかあり得ないから、その1本道を登山客が大混雑で押し合いへし合いして登っていく光景が異常だった。
90年代にすでにこのような状況だったのだから、2000年代にはいるともっとそれが進んだのは想像に難くない。
一方で、登山には植村直己以来、冒険というイメージが付きまとっている。そこには「夢」というキーワードが付いている。
そして、2000代以降には、インターネットという新しいメディアも誕生している。
こうなると、ハードルが低くなった登山でインターネットを使った登山エンターテイメントのビジネス、という発想ができても不思議はない。昔よくTVでタレントを世界に派遣して冒険のようなものをさせるという企画があったが、そのビジネスを個人で登山を用いてできるようになったということだ。
栗城史多はそれほど経験がないのに、マッキンリー登頂に成功して、それから世界7大陸の最高峰のうち6つを制して、残るはアジア最高峰のエベレストのみとなり、2008年から挑戦した。
栗城史多の売りは「無酸素単独登頂」であった。しかし、登山をやっている人からみると、この無酸素(酸素ボンベを使わないこと)というのはお笑い草だったようだ。なぜなら、エベレスト以外の最高峰はせいぜい6000メートル台で、無酸素が当たり前だからだ。
しかし、「無酸素」を売りにしていた結果、エベレストでもそれを実行せざるを得なくなり、それは栗城史多にとって実力を越えたものだったようだ。なんども失敗するが、そうしているうちにエベレストの観光化はさらに進み、サポートも充実して、いろんな人が登れるようになっていった。
例えば、両足義足の人が登頂に成功したり、トレイルランニングの専門家がベースキャンプから身軽な装備で1日で山頂まで駆け上がり降りてくるという離れ業を披露するようになる。
こうなると、栗城の売りは「無酸素」「単独」だけでは足りなくなり、頂上からの生中継などを企画したり、他の人が登らない季節に挑戦したりする。(しかも公表していないが、実際にはベースキャンプでは酸素を吸っていたし、シェルパもたくさん雇って、荷物を運んでもらっていたらしいから、単独でもありえない。)
2012年の失敗では、9本の指に凍傷を負って切断することになるが、この凍傷は下山の言い訳に自分でやった可能性が高い。本人はきっと切断しなくていい軽い凍傷くらいにするつもりが、やりすぎてしまったらしい。
そして最後の2018年のエベレストでは、ありえない危険なルートを選択し、滑落して死亡している。
もちろん、そのくらいやらなくてはもう目立たないということもあったのかもしれないが、このころの追い詰められていた栗城を知る人のなかには、限りなく自殺に近いと考えている人も多いようだ。
栗城史多は、子供の頃からクラスの中心で、こういう子にはよくあるように、お笑いを目指して吉本の学校に入っている。しかしすぐに諦めたらしく、大学に戻って、空手などをしながら登山にも手を出し、素人同然でマッキンリー登頂に成功してしまう。
もしもこのマッキンリー登頂成功がなければ、栗城は別の道を探しただろうに、登山でいけるというふうに思ったらしい。
こうしてみるとクラスの人気者って、世の中に出てからけっこう辛い人生になるんじゃないだろうか。うまく社会に適応できないんじゃないかって気がする。それはたぶん、大学あたりで顕在化すると思うので、そこでうまく方向転換できないと厳しいような気がする。
ただ、発達障害などとかとは違って、本人は自分の好きでやっているだけなのだから、支援のしようはないんですけどね。そういうことを論じた本はなにかないのかしら?
読みながら、この小説を思い出しました。ちょっと似ている気がします。
★★★★☆