グレゴリー・クラーク 日経BP社 2009年4月23日
読書日:2009年09月02日
題名がいい。確かに新石器時代からの10万年を視野に入れていないこともないが、この本は基本的には産業革命の謎について迫っている。新石器時代からずっと一人当たりの所得が増えなかったのに、産業革命以後はじめて一人当たり所得が継続して上昇するという人類始まって以来の出来事が起こったのだそうだ。
産業革命がなぜ起こったのかについては過去さまざまな説が唱えられており、それを検証しつつ、最も確からしい説をあげている。基本的には効率(生産性)が持続的に上昇したからで、その理由は知識の急速な増大に求められている。
ところが、産業革命以前も技術(知識)はゆっくりとであるが着実に高まっていたことが示され、著者はなぜ産業革命以前がそんなにゆっくりで、産業革命以後が急速に知識が増大しているのか、といぶかるのである。
読みながら、いらいらさせられた。なぜなら、わしが当然と思っていたことがなかなか出てこず、しかも最後まで結局出てこなかったからだ。えー、なんで???
わしが知っていることは次の通りだ。新知識、新知識はいままで持っていた知識の組み合わせによって発生する。したがってすでに獲得した知識量がNなら、Nのα乗というようなべき乗で発生する。これは例えばLSIにおけるムーアの法則(4年で1チップあたりの半導体の数は2倍になる)のように、何年かごとに2倍になるという風に進む。つまり知識が増えれば増えるほど、加速度的に知識は増大する。
例えば1年で2倍になるとしよう。毎年知識量は、最初に比べて2倍、4倍、8倍と加速度的に増える。おお、ものすごく速い速度で知識は増大するのだ。
いっぽう、ある時点で過去を振り返ってみる。知識が増える速度は、過去に遡るごとに、1/2、1/4、1/8と加速度的にゆっくりになっていくのだ。まるで進歩が止まっているように見えるに違いない。
これをグラフで表すと、対数グラフでは一定の伸びだが、リニアで見ると、あるところから急速に伸びているように見えるのである。
おそらく、過去の人類で、所得に直接影響を与える知識の増大率は、けっこう一定だったに違いない。数百年前はそれが何世代に1回だったのだ。ところが、あるときを境に、所得に直接影響を与える知識が発生する年数は1世代を切ったのだ。そうすると、次の世代はもっとよくなるという風に連続的な上昇過程に入る。それが産業革命だったわけだ。
ということは自明のように思えたが、著者はそう思っていないようだ。なぜなら、著者は「新知識の増大は、現在持っている知識の量に比例する」と述べているからだ。これは完全に間違っている。正解は、べき乗に比例する、だ。だから知識の増大はますます加速する。比例じゃないんだ。
というふうなところでいらいらさせられたが、上巻のほとんどをしめるマルサス的世界は現在とはあまりに異なっており、非常に興味深かった。また富が世界的に偏在する理由はよく分かっていないみたいだが(著者は労働者の質に注目しているようだが)、たぶん長期的には是正されると思いたい。
原題は「A farewell to Alms」なので、著者の関心は富の偏在の是正にあると思われる。
最後に産業革命に寄与したエンジニアがほとんどまったく報われなかったらしい。これにはちょっと涙した。エンジニアは世界中で報われることが少ない職業のようだ。わしは特に日本では報われないと思う。シリコンバレーや中国と比べて収入が少なすぎると思う。何とかならないのだろうか。
★★★★★