エリック・A・ポズナー E・グレン・ワイル 安田洋祐(監訳) 遠藤真美(訳)東洋経済新報社 2020.1.2
読書日:2020.7.1
富の偏在、民主主義の危機、移民の問題など、今日世界を覆ってる問題は、私有財産、社会の意思決定方法などをもう一度根本から考え直すことにより解決できると主張する本。
ラディカルという言葉には、「急進的な、根本的な」という意味と、数学の「根」という意味もあり、この平方根の考え方はラディカル・デモクラシーで活用される。
この本を読んで困惑したことのひとつは、現代の各種の問題に対して、それぞれ別の解決策を提案していることであり、なにかひとつの根本的アイディアや思想を提示しているわけではないということだ。それぞれの問題に関してはラディカル(根本的)かもしれないが、統一した思想があるわけではない。(あるとしたら、オークション的な発想を取り入れているところか)。
しかも、本人たちが言うようにラディカル(急進的)すぎて、このような改革がなされたときに、その部分についてだけは解決されるかもしれないが、波及効果が大きすぎて、社会に与える影響がイメージできない。読んだ印象では、悪影響も相当に大きいのではないかと思われる。
そういう意味では、著者たちが言うように、小さいところから始めて検証しながら勧める必要があるだろう。
ここでは私有財産と民主主義の2つに絞って紹介する。
ますは私有財産について。
資本主義の根幹は、私有財産の概念である。つまり自分の財産に関しては、どのように処分しても良いという考え方である。売ろうが貸そうが、さらには放置しておいても構わない。問題は独占の力が強すぎて、資産が有効活用されないことだという。
ここでは本の内容に従って、土地の所有について考える。著者たちによれば、共同所有自己申告税(COST:Common Ownership Self-assessed Tax)により、土地の流動性が増し、経済の効率が増すという。具体的には次のようにする。
(1)自分の土地の値段を自分でつける。
(2)自分でつけた値段に対して定められた税率の税を払う。
(3)自分でつけた値段を支払う人ができてきたら、そのお金をもらい土地を譲る。
つまり、その土地を売りたくないのなら高めの値段をつければいい。しかしこの税率はかなり高めに設定してある。著者らによれば7%が最適らしい。
税率が高いので、高い値段をつけると多くの税金を払わなくてはいけないので、土地の値段はできるだけ下げられる傾向にある。
税金も従来よりも大幅に徴収できるので、集めた税金の半分ぐらいは国民に還元できるという。この還元を国民一律にすれば、所得が多く不動産を持っている富裕層ほど多くの税金をおさめ、一方貧困層の人は払うよりももらうほうが多くなる。したがって、資産の平等化が進むという。
この方法は共同所有という名前の通り、土地を国民全員で共有し、使いたい人が賃貸料を払って使用しているという状態と言ってもいい。所有はできないが、使用はできるという意味で、最近はやりの所有と使用の分離、すなわち「シェア」の概念に近い。
違うのは、自分で賃貸料をつけられるというところだけで、もしもその土地を占有し続けたいのなら、誰も買い取れないような高い値段をつけて、高い税金を払えばいいのである。
しかし、直ちに次のような疑問が浮かんでこないだろうか。
たとえば子供の時から過ごした思い出の家があったとしよう。そしてたまたまその年、収入が少なかったとする。当然お金が少ないため、安い値段しかつけられない。そうすると、誰かがその値段を払ってしまうと、思い出のあるその家を追い出されるかもしれないのだ。こう考えると、所得が少ない人、不安定な人にはつらいシステムとならないだろうか。
もちろん、いろんな救済の例外があるかもしれない。しかしそうやって例外を作っていくうちに複雑怪奇なシステムになり、結局、うまくいかない気がする。
所有から使用へのモードチェンジの意義はわかるが、所有していることの安心感というものがあるから、この方法はなかなか定着しないのではないかと思う。
(ついでに言うと、富を無理に分配して平等を強制するやり方は、わしは好きではない。わしの平等に関する考え方は、こちら。)
次に、著者たちが主張する民主主義、ラディカル・デモクラシーについて述べる。
通常、民主主義の意思決定の仕方はひとり1票だ。そうすると、意思決定はあっちかこっちかの2極化の決定になりがちである。本当は人々の希望はもっと多様で、どこか中間的なところに解はあるのかもしれないが、ひとり1票ではそのような意思決定はできないのが普通だ。
そこで著者らは、ひとりに複数の投票権を与えることを提案する。例えば100票だ。この100票はひとりに投票してもいいし、複数の候補者に振り分けてもいい。しかも、今回は投票せずに次の機会に投票を持ち越してもいい。そしてここぞというときに投票するようにしてもいい。まるでクレジットカードのポイントをためて、高い景品と引き換えるみたいなイメージだ。
しかし、1票の価値には従来とは大きな違いがある。複数の投票ポイントを使う場合は、その効果はルート(平方根、ラディカル)でしか効かないのだ。つまり、1票の2倍の効果を出すには4票を投じなければいけないのだ。こうすることで、投票の効果の平等化が図られるという。これは純粋に数学の問題で、どうしてそうなるのか説明があるのだが、いまいち本当なのかな、と思ってしまった。しかし、著者たちはそうなると説明している。
2乗分のポイントを投じなければいけないので、これを著者たちはQV(2次の投票:Quadratic Voting)と呼んでいる。
このような投票をすることで、人々の選択は2極化ではなく、ベルカーブのようになるという。その方が人々の価値観を正確に表すという。
ここで起こる疑問は、投票を行わずにずっと貯め続ける人がいた場合はどうなるのだろうかということだ。人間はケチだから、全部使わずにお金を貯金するみたいに投票ポイントを貯めこむかもしれない。すると、高齢者になるほど多くのポイントを持つようになる。すると、いまと同じように高齢者が政治の行方を制することになるのかもしれない。
このように、著者たちの根本から考え直す力は評価するけれども、どの方法も少し考えるだけでいろいろ疑問が出てきてしまうのだ。
また根本的な話だけに、思わぬところに影響が出る可能性が大きいが、それはなかなかイメージできない。
正直な感想をいうと、これらの発想は多少どこかに取り入れられるかもしれないが、本格的に取り入られることはないだろうなあ、というものだ。だが、今の方法が絶対でないということを思い出させるには十分な力量の本だ。
★★★★☆