ヘタレ投資家ヘタレイヤンの読書録

個人投資家目線の読書録

アルツハイマー病研究、失敗の構造

カール・へラップ 訳・梶山あゆみ みすず書房 2023.8.10
読書日:2024.1.10

アルツハイマー病は、脳に蓄積したアミロイドが原因とするアミロイドカスケード仮説が根拠不確かなままにセントラルドグマ化して、この仮説以外は認められない状況が続き、治療方法の研究が20年間以上停滞したと、現役の研究者が報告する本。

読書をしていると、巡り合った喜びを感じることがあるが(せいぜい年に2,3回)、この本もそれを感じた。とても面白い。

内容としては、失敗学の部類に入るのだろう。たとえば帝国陸軍の失敗とか、そんな感じの。そして、人間による失敗というのはまことにどれも似たような経過をたどるのだなあ、と思った。たいていは事実に基づかない願望が認識をねじまげて、その場を取り繕う行動が蔓延し、結局どうしようもなくなって大きな損失を出す、という経過をたどる。とくに投資の失敗についてはこのような状況はよく知られていることである。

このような失敗が経済的なものなら、自分がバカでした、ということですむだろう(すまないかもしれないが)。だが、治療方法の研究ということになると、いま目の前に困っている人がいるわけだから、研究を何十年も停滞させるような失敗がたいへん困るのはもちろんである。

まあ、こういう失敗学の観点からの見方も面白いが、そもそもアルツハイマー病の原因がアミロイドの蓄積ではなかったという事自体が驚きである。わしらは、さんざんアミロイドが原因と聞かされて来たのではなかったか? そうでないことがはっきりしたのは2000年頃らしい。この辺の経過を述べているところは非常に興味深く、この本の一番面白いところである。

ところが、ほとんどの研究者がその事実を認めようとしなかったので、その新しい事実に基づいた新たなアプローチに資源が投じられず、今日に至るまで研究が低迷しているという。20年以上もそのままなのだ。

そうすると、最近認可されたアルツハイマー病治療薬のレカネマブはどうなるのだろうか。この薬は、アミロイドの蓄積(老人斑)を減少させることで効果がある、という触れ込みなのではなかったか。この薬については著者のへラップが日本語版の序章で述べていて、ほとんど意味がない、そうだ。あれま(苦笑)。

というわけで、アルツハイマー病の研究がどのような経過をたどったのか見ていこう。驚くべきことに、この病気を発見したとされる経過自体がたいへん根拠薄弱なのである。

医師のアルツハイマーが痴呆の症状を呈した女性アウグステに出会ったのは、1901年のことである。痴呆の確認から5年後、アウグステが亡くなったあとに、アルツハイマーが彼女の脳組織を調べると、奇妙な物質の蓄積(アミロイドプラーク、老人斑)と繊維のもつれを発見し、それを報告した。

なんとアルツハイマー病の症例は、このたった1件しかなかった。わしも1件しかない症例に何とか病という名前を付けるのには違和感を覚える。この名前を付けたのはアルツハイマーの師匠のクレペリンである。クレペリンは精神病の教科書を書く人で、精神疾患には脳に対するなんらかの物理的な原因があると信じている人だった。アルツハイマーの報告はそれを示すのに具合がよいと判断した。そこでこのたった1件の症例にアルツハイマー病とわざわざ名前をつけて、1910年に自分の教科書に載せたのである。この教科書は日本語訳も出ているほど、権威のある教科書だったので、その影響は絶大だった。これではアミロイドの蓄積と繊維質のもつれが病気を引き起こした、と説明しているのも同然である。

1994年にアルツハイマー病の原因はアミロイドとする「アミロイドカスケード仮説」というものが提唱されたが、この教科書の自然な発展であることは明らかだ。これがアルツハイマー病のセントラルドグマとなる。

さて、教科書に載ってから70年以上経った1984年から1999年までの15年間に、アルツハイマー病に関する素晴らしい4つの発見があったという。

・1984年にはアミロイドの分子構造(アミノ酸配列)が特定された。
・1990年代始めに、アミロイドがAPPというタンパク質の一部であり、細胞膜にあるアルファ、ベータ、ガンマの3つのセレクターゼで切り取られたものだということが分かり、それらの遺伝子も確定できた。
・1992年、アミロイドを脳に蓄積する実験用マウスが誕生して、マウスによる実験が可能になった。
・1999年、アミロイドを攻撃するように免疫系に教育するワクチンが作られ、マウスのアミロイドが消滅することを確認した。しかも予防だけでなく、既に蓄積していたアミロイドにも効果があった。

なんとも驚くべき成果である。とくに最後のワクチン。これではアルツハイマー病はすぐに解決すると誰もが思ったのは仕方がない気がする。

そしてその治験は行われ、確かにアミロイドは消滅したのである。

それにも関わらず、ワクチンを処方された治験者はアルツハイマー病を発症した。つまり、アミロイドは病気の原因でないことが明らかになった。関係はないことはないが、ともかく主要な原因ではないのである。これが分かったのは2002年である。

そして迷走が始まる。

アミロイドが原因だとするアミロイドカスケード仮説を提唱する主流派は、この仮説を捨てなかった。解釈を拡張したりして、仮説を延々と延命しているのである。

このようなことをしているのは、だいたい政治的な理由による。アルツハイマー病には多額のお金が投入されており、それはほとんどアミロイドカスケード仮説に基づいた研究に投じられている。いまさらこの仮説は使えません、ということでは困るのである。

しかしこの仮説では、アミロイドからアルツハイマー病が引き起こされる過程が全く不明なままである(原因でないから当たり前だが)。また、アミロイドの蓄積がない人も発症し、逆にアミロイドが蓄積されているにも関わらず発症しない人もいる。さらにはアミロイドが蓄積されている脳の領域と、脳神経細胞が崩壊している領域が一致しないという不都合な事実が分かってきた。

病気の診断でも困ってしまう。痴呆患者にもいろいろな症例タイプがあるが、脳にアミロイドプラークが確認できればアルツハイマー病と診断される。ところがほとんどの人は歳を取るとアミロイドの蓄積が脳に確認される。したがって、痴呆を起こせばなんでもかんでもアルツハイマー病となってしまう。症例と病理が一致していないわけだ。

アルツハイマー病には他にも多くの仮説が提唱されているが、主流派はそのすべてを否定した。そしてそれらの非主流派に研究資金が行かないようにしている。アルツハイマー病に対して、権威を持っているのは主流派なので、製薬会社や一般への啓蒙には彼らが行っている場合がほとんどで、製薬会社もその方向で薬を開発しているし、医師もそのように信じているし、一般にもそのように啓蒙されている。

このような状況がかれこれ20年続いている。著者のへラップはもちろん非主流派なので、いろいろ苦労しているようだ。

著者の考える今後のアルツハイマー病の研究の展望は次のようだ。

結局アルツハイマー病は老化の一環であり、老化自体を研究しなくてはいけないという。ニューロンニューロンを支えているアストロサイト、オリゴデンドロサイト、ミクログリア、血管という主要な脳細胞の部品がどのように機能して、老化によりなにが起こるのかという複雑な過程をこつこつ研究しなくてはいけないという。たとえば、老化により、ニューロンの軸索を覆っているミエリン(神経の絶縁物)が壊れることが原因なのかもしれない。

そして行政組織的には、国家予算を研究に分配する組織をもっと柔軟なものにするべきだという。具体的には、NIH(国家衛生研究所)傘下のNIA(国立老化研究所)が現在アルツハイマー病研究のほとんどの予算を配分する役割を担っているが、この機能をNINDS(国立神経疾患、脳卒中研究所)に移して、NIAは本来の老化の基礎研究に専念すべきだという。

まあ、失敗するのは仕方がないけれど、なかなかその事実を認められないんだよね。人間ってそういうふうになっている。結局、世代交代が起きないとなにも変わらないことが多い。そうすると、そろそろ、アルツハイマー研究も世代交代の時期だから、新しい動きがあるんじゃないかな。

人間を含めた生物が死ぬ理由は進化するためだけど、社会の進化のためにも死が必要だということですかね。

***メモ***
アルツハイマー病における「アミロイドカスケード仮説」以外の仮説。
(1)脳の炎症説
免疫細胞が脳神経を攻撃しているという説。ミクログリアという免疫系の細胞が脳内にはあり、暴走するという。抗免疫剤を処方している人(たとえばリウマチ患者)はアルツハイマー病にかかる確率が有意に低いそうだ。
(2)不十分な脂質管理説
アミロイドやコレステロールを輸送するAPOEの遺伝子が変異してAPOE4になると、アルツハイマー病のリスクが高まる。
(3)ミエリン説
ニューロンの絶縁体に当たるミエリン鞘はコレステロールでできていて、ミエリン鞘がうまく維持できなくなると、ニューロンは死滅する。(2)に関連している。
(4)不適切な小胞管理説
細胞内の掃除器官である小胞がアルツハイマー病患者ではうまく働いておらず、細胞内がゴミだらけになっているので、小胞がうまく働いていない可能性がある。
(5)酸化説
活性酸素の制御ができず、酸化によるダメージとする説。
(6)ミトコンドリア
アルツハイマー病の細胞ではミトコンドリアがきちんと働いていない。またカルシウムの調整機能もやはりうまく働いていないという。
(7)タウタンパク質説
アミロイドでなくて繊維質のもつれの方が重要と考える説。

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