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なぜヒトだけが老いるのか

小林武彦 講談社 2023.6.20
読書日:2023.11.2

動物は死ぬ瞬間まで老いない事が多いのに、ヒトだけが老いるのは、老いることで種としてメリットの方が多かったからだと主張する本。

動物は老いないんだそうだ。たいていの動物は死ぬ直前までばりばりの現役で、最後の瞬間に急速に老いてそのまま死んでしまう。著者が例としてあげているのはサケで、生まれた川をさかのぼって産卵場所に来るときまではまったく元気なのに、産卵と受精を終えると老いのスイッチが入って急速に衰えて死んでしまう。それはまさしくシャットダウンという表現がふさわしいくらいだ。子孫を残すという役割を終えると、それ以上生きていてもしょうがないし、かえって子孫のじゃまになるということらしい。

というわけで、ほとんどの動物は子孫を残せなくなったときが寿命である。子孫を残す機能がなくなっても生き続けている場合、これが「老い」で、ヒト以外には、クジラやシャチぐらいしか例がないらしい。これらに共通するのは子育てである。クジラも年寄りは子育てをするのだそうだ。

お年寄り、特におばあちゃんは孫の世話をすることで種族の繁栄に貢献する。人間の赤ちゃんは手がかかり、育つのに時間がかかるし、母親は短い間に何人も産まないといけない。おばあちゃんがいれば、毎年子供を産めて、子孫を増やすことができるのだ。

おばあちゃん仮説と呼ばれるけっこう有名なこの説を、著者の小林も支持する。そしてきっとおじいちゃんもみんなをまとめるなどの、子孫が残るようなことに貢献したのだろうと、想像する。

動物はさっさと死んだほうが子孫のためになるのに、人間の場合は年寄りが残ったほうがいいので、人間はどんどん長生きをする方向に進化した。たとえば細胞がガン化したときにそれを免疫で除去する機能は、人間が他の動物よりも格段に強いんだそうだ。

シニアを厄介者と捉える風潮があるとしたらそれは間違いなのだという。そしてシニアが公共性を持って(つまり、みんなのために)活躍することを著者は期待しているのである。

そして、死ぬことをネガティブに考えなくてもいいという。そもそも死ぬことは最大限の公共への貢献なんだという。死ぬときがマックスなのだ。死ぬことによって、子孫の進化に道をひらくからだ。

なぜ生物が死ぬのかというと、種が生き残るためなのだという。環境に適応して進化し続けることが生き残ることなので、最初から生物は死ぬことがセットになっているのである。死ぬことは種全体に寄与することなので、最大限の公共への貢献なのだ。

人間は平均寿命を超えた85歳以上では、老年的超越という幸福に包まれる精神状態になるんだそうだ。この状態になるとすべてのこだわりが消え、死も怖くなくなり、毎日を幸福に暮らす。

著者の思い描く死のイメージはこうだ。

幸福に包まれながら、自分が誰だったのか、どこにいたのかはどうでもよくなり、宇宙とすべての生物との繋がりを感じながら、旅立つというよりも、元いた所に帰る安堵感に包まれて、長い眠りにつく……だそうです。

わしもそのうち公共のために働くのかしら。なんかあんまりイメージできないけど。

★★★★☆

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