稲垣栄洋 草思社 2019.7.11
読書日:2022.1.3
生物の一生を、はかなさというオブラートで包み込んで語るお話。
まあ、こういう本もたまにはいいかなと思って、読んでみた次第です。お正月に丁度良かったかも。
物語で多いのは親が子供の犠牲になって子孫を繋いでいくって話ですかね。絶食して厳寒の南極で卵を温めるコウテイペンギンも、傷を負ったふりをして巣から遠ざけようとするコチドリも、そんな感じです。子供に食われるクモの話とか仲間を助けるためにスズメバチと闘うミツバチとかも、そのたぐいの話。まあ、死んで本望みたいな感じですかね。
やはり多少とも罪悪感をともなうのは、ウシなんかの家畜。ウシが一列に並んで屠殺場に進んでいく描写は、どうにも陰鬱。こういうのって許されるのかどうか、倫理的に考えないといけないなあ。ウシは非常に育成の効率が悪いので、きっと今後は細胞培養による方法が主流になるとわしは思いますが、そうなるとウシの数自体はきっと激減するんでしょうね。まあ、わし的には、牛肉はなくなってもいいかな。
意外に面白かったのは、植物系の話。雑草とかの草って、植物の最終進化形なんだって。つまり最初に発達した植物は木だったんだ。でも、木だと死ぬまでに何十年も何百年もかかってしまう。そうすると、気候とかの変動にも対応が遅れてしまう。それで短いサイクルで栄える草が進化したんだそうだ。実際に草が登場したのは恐竜時代の終わりらしい。つまり白亜紀ってことになる。まだ1億年たっていない。
知らなかった。雑草がしぶといのは進化の結果だったんですね。しかし、一世代の寿命が短くなるのが進化とはねえ。まあ、ウイルスのように究極的に省略する方向に進化する場合もあるから、そういうのもあるかな。
しかも雑草とかって、抜かれたあともなんとか種子を熟させようと、最後の力を振り絞って栄養を種に送り込むらしい。すごいな。
木も面白い。木の生きている部分は表面だけで、なかの年輪とかが刻まれているところは死んでる部分なんだって。爪とか髪の毛と同じように、死んだ細胞なんだそうだ。だからウロとかができてもぜんぜん平気なんだそうだ。そう言わけれればそうだね、あまり考えたことなかったけど。
最後の題材はもちろん、人間。ひとは何億の精子の犠牲の上にたったひとつだけが受精した結果だということ。そして人間だけが死を考える生物だということ。動物は死を考えず、今だけを生きている。そして、あなたの死にざまはどんなだろう、と書いて締めくくっています。
まあ、わしは動物のように死を考えずに、出たとこ勝負で適当に生きて死んでいきたいな。ちなみに動物は自分が幸福かどうかも考えないと思います。幸福とか不幸という発想も人間独特だよね。
★★★☆☆
(参考:生物)