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電鉄は聖地をめざす 都市と鉄道の日本近代史

鈴木雄一郎 講談社 2019.6.1
読書日:2023.10.31

私鉄の電鉄は都市と郊外とを結んで、郊外では住宅地を売り、住宅地の通勤、通学の客を運ぶことをビジネスモデルにしていると思われているが、鉄道を作った最初のビジネスモデルでは寺社を中心とした参詣と物見遊山の客を運ぶことだった、ということを明らかにした本。

何もないところに電車を走らせ、沿線を高級住宅地として売り出し、その郊外の住人を通勤通学の客として毎日運ぶというビジネスモデルは、阪急電鉄小林一三が始めたものと言われ、東京では東急電鉄をはじめ、各社がそれを真似した……ということを、わしも信じていたが、これはまったくの誤解であったことがこの本を読んで分かった。

なにしろ阪急自体が、最初の設立目的が有田の温泉まで鉄道をつないで、観光客をはこぶことだったのだから。有田は遠かったので、とりあえずの目的地を宝塚とし、大阪から宝塚の間は有名な神社や寺を巡るように路線が敷かれたそうだ。おかげでこれらの神社仏閣は大変賑わったそうだ。郊外の住宅地の売出しはそのあとから出てきた話で、最初はそうではなかったのだ。小林一三はあとになるほど、そのことをぼかすようになり、最初から未来を見通してきたかのようなビジョナリストを装うようになったのである。

東京も同じである。

それがいちばんはっきりしているのは、京成電鉄のようだ。京成は、成田山新勝寺へ参詣客を運ぶために作られた鉄道で、その前身の成田鉄道は新勝寺の住職自身が大株主だったのだ。寺が積極的に鉄道を誘致していたのである。

京急も同じで、そもそも川崎大師に客を集めるために作られた鉄道だ。

これは欧米にはない日本特有の現象だそうだ。欧米では教会は信仰の場であり、観光地化するのを避けようとすらする。でも日本では昔から社寺が観光地化していて、しかも社寺側が積極的に賑わいを演出している。次の住職を選ぶ視点も、信仰よりもビジネス感覚が優先されるんじゃないかという気さえする。

成田新勝寺や川崎大師は昔からの社寺であるからまだ分かる。しかし最も興味深いのは、やはり穴守稲荷神社の話である。明治時代に突然隆盛を極めた神社で、現在の京急空港線はこのためにできたもので、それは羽田空港ができるはるか前の話なのである。

明治17年(1884年)、近所の女性が重い病にかかったが、狐のすみかに願をかけるとたちまち全快したという「霊験」が評判になった。そこで有志が神社の形を整えて穴守稲荷神社を興した。さらに参道を整えて門前町を作ると、徐々に有名になっていった。鳥居を奉納するのがはやり、明治25年には参道に7500基というすさまじい数の鳥居が並んだという。さらには芝居小屋を作って芝居を上演し、霊験あらたかな狐のすみかの砂とか御神水とかを宣伝し、しかも御神水鉱泉だったそうで、それを使った温泉も作った。そこに当時の大手外食チェーンだった牛鍋屋「いろは」の創業者、木村荘平も加わって、木村が元締めになった穴守稲荷を信仰する結社(「講」と言うそうだ)の人数は10万人を越えたという。のちに、20メートルの高さの人工の山を作って、そこから東京や房総半島を臨めるようにするといった、名物をつくる努力も抜かりはない。

なんというか、みんなで寄ってたかって、超有名な観光地を無理やり作ったという感じだ。そして、その穴守稲荷に客を運ぶために作られたのが、現在の京急空港線なのである。

現在の穴守稲荷神社は当時の面影はないが、それは別に関係者の努力が足りなかったのではなく、戦後にこの地域がGHQに接収されてしまったからだ。その跡地が羽田空港になったのだから、穴守稲荷にとっては不幸なことだったが、鉄道にとっては良かったという結果だろうか。

なんというか、電鉄に関しても、日本人の超お気軽で遊び好きな面が出ていると思いますね。こうして日本中に名物や名産にあふれた観光地がたくさんできるというわけですね。私の妻なんかは最近サウナにはまってあちこちに出かけていますが、極めて日本人的だと思います。日本人のこういう部分にかける情熱というのは、すごいですね。なんと言ってもゼロから作るんだから、やっぱりこれって創造性の一種なのかしら。

バカバカしいけど、素晴らしいですね。最初はどうあれ、続けば伝統ですからね。

★★★★☆

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