立原透耶[編] 新紀元社 2023.12.13
読書日:2024.1.19
(ネタバレあり。注意)
中華SFのマニア向けのアンソロジー15編。
やっぱり今1番面白いSFは中国かもしれない。読んでいて感心した。21世紀に入って大きく発展した中国の、科学に対する楽観的な気持ちがSFの発展に寄与しているような気がする。先進国ではすでに行き着くところまで行ってしまって、このようなテクノロジーに対する寄り添い方はもうできないんじゃないだろうか。
どのへんでそう思うかというと、個人の科学者がいとも簡単にあっと驚くような技術を開発するという設定に、なんの躊躇もないところ。もう日本ではこんな技術が可能などと書くと、逆に真実味がなくなってしまうような気がする。
例えば、「生命のための詩と遠方」ではプラスチックを食べて生物のように進化するロボットを、スタートアップ企業があっさり作ってしまう。「小雨」では正体不明の専門家が、一人の人間をタイムシェアリングさせて2人に分裂する技術を提供する。「円環少女」では何度も若返って生まれ変わるクラゲの遺伝子を人間に組み込むと、たちまち何度も生まれ変わる人間が誕生する。「水星播種」では女性科学者がるつぼの中でまったく異なる原理の生命を作ってしまう上に、世界的な富豪が水星までのロケットを作り、水星でその生物の進化を見届けようと冷凍睡眠装置を開発する。
かなりプリミティブなSFの匂いがするでしょ? こういうSFってとても懐かしい気がする。もう中華SFでしか見られないかも。こういうのが成り立つところに、技術発展に対する信頼があるような気がするんだ。
もう日本にいると、「それでいつ反重力カーはできるんですかね?」っていう皮肉がでるほど、技術発展に対する期待値が下がっている気がするんだよね。
いっぽうで、中国の歴史とSFを結びつけると、これがいい塩梅の中国ならではのお話になるし(「杞憂」「夜明け前の鳥」「一九二三年の物語」とか)、チベットでロボットにラマの魂が生まれ変わるという西域の雰囲気を出した話とか(「仏性」)、独特な味わいがいい作品もある。
表題の「宇宙の果ての本屋」は、地球が滅びたあとの遠い宇宙の果てのスケールの大きなお話でした。書いた人は本好きなんだろうね、やっぱり。
まあ、そんなわけで今後も中国SFには期待したいなあ、という気になったのでした。
★★★★☆