五十嵐元道 中央公論社 2023.7.10
読書日:2023.10.22
戦争中に死者の数を一つ一つ数えることは不可能で、とくにタグをつけている兵士たち以上に文民の犠牲者の数を数えるのは至難であるため、統計的に解析する方法が開発されて来た経緯を述べた本。
19世紀の後半になるまでは、そもそも兵士の死亡数をカウントすることすら行われていなかったそうだ。ところが、徴兵制で国民が徴兵されるようになると国民のひとりひとりの死について説明する責任が国家にあると考えられるようになり、さらに人道的な発想が浸透するにつれて、兵士以外の文民についても、できるだけ説明することが求められるようになってきた。
このような責任を持っているのは一義的には国家なのではあるけれど、国家は数字を自分の都合の良いように操作しがちだ。そこでそれに対抗するかのように、中立的な機関やNGOなどが独自に地道に犠牲者のリストを集めるようになってきた。
このような中立的な立場で作られたリストが複数あると、統計的に犠牲者の数を推定することが可能になるのである。具体的には次のように推定する。
独立して集められた2つのリストがあるとする。問題はこのリストから漏れている犠牲者の数がどのくらいあるか、ということである。そこで、2つのリストの中で重複している割合がどのくらいあるかを見る。重複している割合が大きいほど、リストから漏れている数が少ないということは直感的にわかるだろう。80%重なっている場合と30%重なっている場合、80%重なっている方が漏れが少ないだろうと推定できる。こうして漏れている数がどのくらいで、全体ではどのくらいになるかは統計学的に計算できるのである。もちろん独立して集められたリストが多いほど、推定値の確度は高くなる。
この推定方法を開発したのが統計学者のフリッツ・シューレンという人で、「多重システム推算法(MSE)」というのだそうだ。
こうして犠牲者の数が統計的に生成されるようになったが、過去の例に適用してみると、言われていた数字と食い違うことが出てきたのだそうだ。ユーゴスラビアのボスニア・ヘルツェゴビナでの犠牲者の数は、それまでは20万人と言われていたが、推計では10万人という結果になっている。10万人でも多いように思えるが、犠牲となった国にとっては、数が減らされること自体が受け入れられず、抗議したという。科学的な推定値と、社会的な受容はまた別の話である。
最近では、リストの作成に、AIを使うようになってきたという。これはどういうことかと言うと、独立して集められたリストは、それぞれ異なる立場や目的で集められたため、記載されている内容が異なり、リストを比較して同じ人かどうかの判断するのに非常に手間がかかるのである。そこで同じ人かどうかの判断を、AIに任せることでリストの重複がすばやく分かり、効率的に統計的な数字を作成できるのである。最近ではシリアの犠牲者の推計にAIが使われたそうだ。
このようにして、戦争のデータは正確になりつつある。しかし犠牲者の数字は戦争そのものを表しているのではないことは確かである。そんな数字に意味があるのだろうか。
著者は記録を抹消することが本当の暴力だと訴える。たとえ断片的でも記録を残すことで、犠牲者を暴力から救っていると主張している。たしかにその通りと思う。
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