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スターメイカー

オラフ・ステープルドン 訳・浜口稔 国書刊行会 1990.5.20初版 2004.1.30新装版
読書日:2023.10.26

(ネタバレ注意)

イギリスのヒースの丘に座っていた「わたし」は、霊体となって地球を飛び出すと宇宙を飛び回り、宇宙の端から別の宇宙すら覗き込み、テレパシーで時空を超えて他の知性体とコミュニケーションを取り、数々の人類が滅んでいく顛末を見て取り、宇宙の星々、さらには銀河が知性を持つ存在であることを知るが、宇宙が限りなく広がり死を迎えようとする中、どこかにスターメイカーという宇宙の創造主がいることを確信し、スターメイカーに迫ろうとするのだが……。

わしが読むものは、最近出版されたものが多い。古典も読まなくてはいけないと思うのだが、なかなか手に取ることはない。これではいけないと、今後は古典も読むことにした。特にSFの古典には読んでみたいものが多い。というわけで、今回は、1937年発表のステープルドンの傑作SFと言われる、「スターメイカー」を読むことにした。

中世の小説なんかを読んでいると、霊となって人間の住んでいる世界を超えた神や天使、精霊たちの国を旅するなんていう話があったりする。この小説はこうした霊体探訪譚のパターンをそのまま借りたSFバージョンである。こういう話は夢オチで終わることが多いのだが、このSFも夢オチで終わっていて、まったく一緒である。違うのは、霊となった「わたし」が旅をするのは神の世界ではなく、現代科学で明らかになった新しい宇宙の世界だということだ。

1937年というと、すでに相対性理論量子力学が誕生していたし、さらには天文学が発達して宇宙が広がっていることや、銀河が天の川銀河だけでなくたくさんあることが分かっていたし、宇宙はビッグバンで誕生したという仮説も出ていた。こうした当時の最新科学の示す状況がもれなくこの小説の中に盛り込まれている。それどころか、暗黒物質ダークマター?)なんていう言葉もでてくるからビックリである。暗黒物質は当時から概念自体は存在していたとしか考えられない。スターメイカーが作る宇宙の中には、次々と条件分岐して分裂していくという宇宙があって、これは現代宇宙論の多世界宇宙説と同じであり、こういう考えも当時からあったとしか考えられない。(それともそれらもステープルドンの空想なのだろうか。)

いっぽう、ほとんどの恒星には惑星がないことになっており、これは系外惑星が大量に発見されている現代とは違う。また、ブラックホールについてはまったく記述が出てこない。これも当時ではきっと想像不可能だったのだろう。

などという違いはあるが、現代の基準で考えても、恐ろしく正確に宇宙は描かれている。まったくもってびっくりである。光に近い速度で移動したときの色の見え方の違いなんかもきちんとかかれてある。

そしてこうした科学的に正しい内容に、ステープルドンのおびただしい空想が交じるのである。魚とカニのような人類が共棲している世界とか、味でコミュニケーションをとる人類とか、様々な人類が出てくる。形態だけではなく価値観もいろいろで、宗教的なテーマや善と悪のといった哲学的価値観がどうしたという話も出てくる。ところがこうした人類のほとんどは、一定水準に達することなく滅んでしまう。滅びのパターンも様々だ。

しかし少数の例外的な人類は、ステープルドンがユートピアとよぶ一定水準に達した文明世界をつくる。そうしたユートピアの文明も様々な原因で滅んでいくが、さらにごく少数の人類は宇宙に進出し、テレパシー能力を得て他の星の人類ともコミュニケーションが取れるようになったりする。

こうした未知の人類や文明に関する空想は、文章の1段落1段落がそれぞれひとつのSF小説になってもおかしくないようなレベルで語られ、まったく驚く。テレパシーを得た人類は、帝国を拡大することにだけ意義を見出すタイプがいる一方、自由と連帯に価値を見出すタイプが出てきて双方の価値観がぶつかったりして、これなんか平井和正の「幻魔大戦」そのままじゃん、と思ったりした。

こうしたステープルドンの空想は実際に科学的な研究として真面目に議論されるようになったものもある。たとえば、宇宙にでた人類は太陽のエネルギーを無駄なく使うために太陽を取り囲むような球体を作るという話が出てくる。これってダイソン球?と思っていたら、解説によると、本当にフリーマン・ダイソンはこの本からダイソン球を思いついたんだそうだ。ダイソン球は実在するのではないかという考えから、実際に観測が行われている(らしい)。

というふうに、あまりにも考えられるだけのパターンやアディアが書きつくされているので、もう宇宙で起きることはこれ以上考えられないのでは、というくらいである。しかしまだ大きな謎が存在している。この宇宙自体がどうやってできたのかという謎である。これこそがステープルドンがこの小説でやりたかったことであるのは明らかだ。それは天地創造を起こした創造主(=神)を現代科学の知識を踏まえた新しい形で再発明することである。ここでは創造主や神とは呼ばずに、スターメイカーと呼ぶ。なるほど、ちょっと科学っぽい?(笑)

さて、霊的な存在になった「わたし」は光速を越えて宇宙を飛び回れるし、時間さえも超越できるし、テレパシーで宇宙のどんなに遠くでも探索ができる。でもそれは宇宙の中だけであり、スターメイカーは宇宙の外にいる。このようなスターメイカーとはコミュニケーションを取ることすら原理的に不可能なはずである。次元すら異なる両者の間には大きな壁が存在している。

しかし、スターメイカーは創造した宇宙を観察しているし、ときには宇宙に干渉することもある。つまり宇宙とスターメイカーはなんらかの相互作用をしており、その存在は「わたし」にもそこはかとなく感じとられている。スターメイカーの存在はこの宇宙に染み出しているのだ。そこで、直接的なコミュニケーションは不可能なのであるが、「わたし」は夢とか幻視とかという形でスターメイカーを感じ取る、という形で接触を試みるのである。

ぼんやりとした接触ではあるが、スターメイカーがしたいことははっきりしている。スターメイカーはまるで芸術家のように自分の理想とする宇宙を創ることに没頭しているのである。「光あれ」とビッグバンを起こして、たくさんの宇宙をつくっては失敗することを繰り返しているのだ。そんなわけだから、スターメイカーは確かに創造主であるが、その宇宙で誕生した人類を観察はするものの、愛するとか、救済したいとか、そのような感情はいっさい持っていないのである。ほとんどの場合は、人類が滅びるにまかせて、何もせずにただ観察して終わりである。われわれの宇宙はそうした実験のひとつでしかないのだ。スターメイカーの立場としてはそれでいいのかもしれないが、あまりに冷酷であり、そのような実験の結果として誕生した人類のひとりとして、「わたし」はスターメイカーに抗議する。その抗議がはたしてスターメイカーに届いたのかは定かではない。

スターメイカーは理想の宇宙を創ることに成功したのだろうか。どうやらスターメイカーは最終的には理想の宇宙を創るのに成功して、「これでよし」と満足したようだ。

なお、スターメイカーはほとんど人類に干渉することはないが、ある宇宙の人類が悪の方向に進んだところ、スターメイカーが干渉して、その人類の罪をすべて背負った結果、その人類は全員改心して善の方へ向かった、という話が出てくる。これがキリスト教の話をしているのは明らかで、キリスト教もステープルドンに再発明されたらしい。(たった数行で描かれてるだけですが)。

こうしてスターメイカーに接触した「わたし」が、英国のヒースの丘で気がついたところで話は終わるのである。

まあ、キリスト教徒ならこのようなスターメイカーの表現のしかたに衝撃を受けるのかもしれないが、キリスト教徒でもなんでもないわしには、そんなもんですかね、ぐらいで終わってしまうのでした。というか、どうしても創造主が存在しないと気がすまないのでしょうか。いなくても別にいいと思いますが。

この小説、あまりに無造作に大量のアイディアが描かれているので、ネタに困ったSF作家は適当なページを開いたら、それだけでなにか新しい小説のアイディアが出てくるんじゃないかというくらい内容が濃密でした。

★★★★★

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