スチュアート カウフマン, Stuart A. Kauffman, 河野 至恩 日本経済新聞社 2002年9月
読書日:2009年03月18日
非常に興味深いが、ちょっと残念でもある書。残念なのは、私が最も知りたかったことが、カウフマンにも分からなかったこと。せめて取っ掛かりぐらいは知りたかったが、カウフマン自身が分からないと言ってるのだからしょうがない。
この書では主に「一般生物学」の構想のことが語られる。一般生物学とは、生物というものが一般的に(普遍的に)発生するのか、そのときの条件はどのようなものか、その生物には進化して多様性が一般的に生じるのか、といった従来の生物学を越えた、宇宙のどこにでも起こりえる普遍的な内容を取り扱う。
カウフマンは宇宙のどこかで生物が生まれるのは非常に起こりやすいことだと考えている。そして生物が進化して多様な生物圏を作ることも起こりやすいと考えている。そうなる根本的な理由はわれわれの宇宙がそもそもより複雑で多様になる指向性があるからだと考えている。そういうわけで、話は専門外の宇宙論にまで広がり、どのように宇宙論を今後展開しなくてはいけないかの構想まで提案するのである。
こんな調子だから、最初のページから最後にいたるまで新しい概念が出てきて、ついていくのがやっとという状況に陥る。まさしく創造性あふれる書物だ。
しかしながら、やはり、最初に出てくる生物の起源、一般生物学の話が面白い。そもそも一般的な生物とは何かという定義が必要になってくるが、カウフマンの定義によれば生命は、自律体である。自律体とは複製を作り、熱力学的仕事サイクルを実行できるなにかである。
自律体は何でできていてもいいはずだが、カウフマンは化学ネットワークに起源を求めている。多様な分子のスープがあるとして、分子間でさまざまな化学反応が起こる状態にしておくと、少なからぬ確率で、お互いが触媒になる化学ネットワークが確立する。単純な例では、分子Aは分子Bができるための触媒であり、分子Bは分子Aができるための触媒であれば、お互いを作りあい、AとBが大量に発生する(複製)。こういった化学ネットワークが自律体の基礎となる。
自律体は仕事が出来なければならないが、熱的平衡状態では仕事はできないというのが熱力学の基本である。ところが、宇宙は基本的に常に非平衡状態であったことが述べられる。もしかしたら遠い将来、宇宙は熱的平衡に達して、熱的死を迎えるのかもしれないが、いまのところそうではない。したがって、何らかの方法で自律体が非平衡状態からエネルギーを得て、熱力学的仕事サイクルを行い、つまり自らを維持し、分子合成などを行い複製を作り、増えていくことは可能に思える。例えば光が降り注いでいるのなら、それを利用した熱サイクルはいろいろ起こりえる。この過程にはたくさんの分子は必要ない。
こうして自律体ができる可能性は、非常に高そうである。生命が誕生する基礎は、宇宙のいたるところに普遍的にあるというのが単純にうれしい。ところが、ここで議論はデッドロックに乗り上げてしまうのだ。
偶然にも自律体ができたとして、その自律体は、なぜ自らを維持し増えようとするのだろうか? 偶然できた自律体なら、このまま消えてなくなってその自律体には不満はないはずである。単純な化学ネットワークなら、周辺で手に入る材料がなくなれば、それで増殖は終了する。何らかの仕組み、システムが自律体にビルドインされていない限り、自らを維持しようとはしないだろう。こういうことが起こるなにか物理的な仕組みにはどんな可能性がありえるのだろうか? もっと単純にいおう。なぜ自律体(生命)は生き続けようとするのだろうか? もしそれが分かれば、これこそ意思の起源となるものだろう。
だがカウフマンはそれを物理で説明しようとしない。代わりに哲学の意味論で説明しようとする。が、もちろん、うまくいかないので、カウフマンはこう言明して終わるのだ――私は、自律体が生まれるとともに物理宇宙に「すべき」と「ある」の概念が生まれたと思っている――と。
悪くはない論考だが、しかしなんら説明していないことには変わりない。この回答にはそうとうがっかりしたといわざるを得ないが、しかしそう簡単に答えが出るものでないことは理解している。おそらくわしが生きているうちには無理だろう。
いったん生命が誕生してしまえば、その後の進化、生命圏の複雑になっていく過程の説明は、複雑系のカリスマであるカウフマンの独壇場である。
★★★★☆