ヘタレ投資家ヘタレイヤンの読書録

個人投資家目線の読書録

母親になって後悔している

オルナ・ドーナト 訳・鹿田昌美 新潮社 2022.3.25
読書日:2023.6.26

自分は母親になるべきではなかったし、別の人生を与えられたら子供は産みたくないと考えており、母親になったことを後悔している女性がいることを述べた本。

わしは母親になったことを後悔している女性がいても不思議とは思わないが、世間的にはそのことを公言しづらいことは理解できる。なにより母親は、父親と違って、自分が産めば確実に実の子なのだ。血がつながった実の子に対してそのような感情を持つということは理解されづらいだろう。

少々ややこしいが、このような後悔をしている女性が、子供を愛していないというわけではないのである。大部分の人は子供を愛しており、子供との関係も良好で、子供のことを誇りに思っている。にもかかわらず、やはり、母親になったことを後悔しているのである。

ということは、問題は子供なのではなく、母親という立場だということだ。まあ、母親ということになると、こうでなければならないとか、こうすべきだと言われていることがたくさんあるから、そのような世間的な母親像が全く自分に合わないと考えている人がいることは理解できる。

しかも、いちど母親という立場になると、それには終わりがないのだという。母親という立場は子供を成人に育てるまでで、子供が育ってしまえばあとは自由にできる、というわけにはいかないんだそうだ。自分が母親だという気持ちは、子供が育ったあとも続く。こういう母親という感覚が心に一度ビルドインされてしまうと、そこから抜け出せない。そのことも彼女たちを苦しめるようだ。

新自由主義的な発想も彼女たちを苦しめるのだという。新自由主義的な発想とは、自分の人生は自分で決められる、選択の自由を持っている、という考え方のことである。この考え方では、子供を産んだことはあなたがそれを選択したのだ、ということになる。あなたが選択したことですよ、と言われると、返す言葉がなくなってしまうだろう。つべこべ言わずに、母親業をしなさい、ということになる。

さらに困難なのは、子供にはそんなことは言えないということだ。母親になりたくなかった、といえばショックをうけるかもしれない。あなたを愛しているのだけれど、母親にはなりたくなかった、というのはどうにも説明が難しい。もちろん世間にも言えないから、後悔している女性は自分のなかに思いを抱え込んでしまうことになる。話し合える知り合いができれば幸いだが、そんな幸運は少ないようだ。

とはいえ、母親にならなかったらならなかったで後悔しそうだし、なったらなったで後悔するとすれば、どうしたらいいんだろう。

まあ、人生にはそんなことがたくさんあるじゃない。人生なんてチョー適当でいい、ということでいいんじゃないかな。だめ?

せめて、今後、母親になったことを後悔していると表明しても、バッシングを受けないような社会になりますように。

★★★★☆

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