ポール・ウィリス 訳・熊沢誠、山田潤 筑摩書房 1985.3.30
読書日:2021.3.27
1960年代、なぜ労働者階級の子供たちが中産階級を目指さずに親と同じ手工業の肉体労働者を目指すのか、という疑問に対して、イギリスの工業都市の労働者階級の子供たちを調査した報告書。
この本については、「ワイルドサイドをほっつき歩け ハマータウンのおっさんたち」でも述べたが、以前から読もうと思っていたので、このたび図書館から借りて読んでみた次第。
調査したのはバーミンガムのsohoという町に住む労働者階級の子供たちで、その中でもとくに学校に反抗的なグループを選んで、インタビューなどを行っている。期間は、学校を卒業する半年前から、卒業後の半年までの1年間で、ちょうど職業を選ぶ時期に当たる。対照グループとして、学校に順応的な生徒の話も聞いて比較している。
<野郎ども>がなぜ学校に反抗的かというと、すでに親と同じ手を動かす肉体労働者になることを決めているからで、そうなると学校で教えられていることはまったく意味がないからだ。彼らの世界は大人の労働者の世界とまったく瓜二つの世界になっていて、彼らはその中で、仲間とのつきあい方など、労働者階級の仕事の世界に入る準備をしているのだ。
実際、かれらは驚くほど順調に肉体労働の世界に入っていく。彼らの全員がすぐに仕事を得ることができ、就職先ですぐに仲間になじんでしまう。
これはひとつには、厳しい仕事をわざわざ選ぶ人が少ないからでもあるが、会社側にとっても望ましいからだ。彼らには上昇志向がなく、昇進してマネージャー層に取って代わろうとかいう野心もなく、しかもすでにいる労働者たちとも発想が同じなのでうまくなじむ。
会社側にとっては、学校に順応しているが進学に失敗して、結局、肉体労働者になってしまった学生の方がよっぽど面倒なのだ。こういうひとは職場にもなじむことはなく浮いてしまい、いじめの対象になるという。
このように学校に順応してその通りにしてきても、成功の保証はまったくないわけで、<野郎ども>が学校に反抗的なのはある意味合理的なのだ。彼らは中産階級神話をまったく信じていないのである。だからといって、明るい未来を信じているわけでもなく、結局、自分たちは命令される側だということを理解している。
そして、肉体労働である限りは、仕事にそんなに差はないと思っている。仕事がすぐに見つかるのは、どれも同じだと思っているので、えり好みをせず、そのときに出会った仕事にすぐに決めてしまうからだ。
そして、男らしいということにこだわっていて、事務仕事のような文字を扱う仕事は女のすることで、女々しい仕事であり、男の仕事とは厳しい環境で結果を出すような仕事だと思っている。
そういうわけで、文化のなかに肉体労働を選ぶ循環ができてしまっていて、そのなかで学校がいくら未来のためになるといっても、それは約束された未来でないことが見透かされて、信用されないわけだ。
こういう肉体労働者たちの未来について、著者はけっこう悲観的だ。本当に厳しいだけの仕事ならすでに移民たちが引き受けており、一方でアジア系の移民たちは高学歴の階段を登る上昇志向の部分を引き受けており、彼らに残されたのは物を形にするといった仕事しか残されていないのだが、そこは最も機械化が進んで、熟練技能がだんだん必要としなくなっていく領域なので、彼らの仕事はだんだん無くなっていく傾向だからだ。
こうやってみると、60年たっても世の中で言われていることはあんまり変わらないなあ、という気がする。
ただ、ハマータウンのおっさんたちのように、世の中は変わり、やっている仕事は変わっても、昔からの仲間は変わらないというのが、なんだか救いのように思える。
(特に友達のいない、わしのような人間にはそう思えるな)。
★★★☆☆