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石光真清の手記

石光 真清, 石光 真人 中央公論社 1988
読書日:2010年01月25日

あるサイトで石光真清のことを知り、図書館で手記を取り寄せたら、その分厚さに卒倒した。何しろ、1200ページぐらいあるのだ。文庫版で4分冊のものもあるので、そちらにすればよかったか。とはいえ、読み出したら面白くて、結局1週間ぐらいで読んでしまった。毎日この分厚い本を持ち歩くのは大変だったが。わしは石光真清の人生にどっぷりつかってしまった。

石光真清明治元年に熊本で生まれている。熊本は西郷隆盛西南の役で攻撃され、真清は目の前で戦争を見ている。そして軍人を目指すことにし、軍人の学校に無事に受かって、軍人となり、天皇の近衛兵になる。日清戦争を台湾のゲリラ掃討で経験。その後、ロシア語を覚えるためにシベリアに渡ったことが転機になる。日ロ関係が緊迫化する中で、シベリア周辺の情勢を調べるために、軍をやめて諜報活動に専念。馬賊と親交を結んで、ハルビンに洗濯屋や写真屋を作って、そこを拠点に諜報活動を推進して、軍に報告。日露戦争では召集され、司令部で勤務。日露戦争後は、経済的な苦難を経験した後、郵便局の経営で安定した生活を営むものの、ロシアで革命が勃発、50歳にして再び軍に頼まれてシベリアで諜報活動に従事するが、対革命政府への謀略も依頼される。日本のシベリア出兵と共に、解任を願い出て、日本に帰り、ふたたび経済的な苦難を経験して、昭和17年、太平洋戦争中に死去している。

この手記の内容は、やはり大陸における諜報活動が中心になり、その活動のさなかに出会った人々との交流が読みどころとなるのだろうが、大きく捉えて、日露戦争前とそれ以後の日本が大きく変わったところが印象深い。日露戦争までは、軍も国民も思いが一致しており、国の独立を守るために一致団結して戦争にあたったことが分かる。大国ロシアへの圧倒的恐怖が日本人全員に共有されていたある意味日本にとって幸福な時代、坂の上の雲の時代だった。ところが日露戦争に勝ち、大国の仲間入りをしたとたんに、日本は目標喪失のごとき状態に陥る。石光は戦争直後の満州で、日本軍が現地の中国人を手荒に扱う光景を目撃している。戦争中は中国人にも公平だったのが手のひらを返したような豹変振りである。ロシア革命の諜報に関しては、日本政府の方針が定まらず、諜報活動に関しても各部署が勝手に行っている始末で、しかも第1次世界大戦後の不況の中で、日本国民はまったくシベリアに興味を持たず、石光たちは誰のためにこの仕事をしているのかさっぱり分からない状況で最善を尽くそうと努力した。

もうひとつ印象深いのは、このような命がけの活動を行っても、石光は軍人を辞めた身分で諜報活動を行っていたため(軍との係わり合いが発覚すると困るため)、日露戦争ロシア革命時の仕事が終わると、裸同然の状態で放り出されて、経済的に苦闘するはめになるという不幸である。大陸で事業を起こそうとして、ことごとく失敗し、付き合っていた軍人や中国人の信頼ばかりか、シベリアのロシア人の信頼すらなくし、ついには海賊に身をやつすまでになる。ようやく世田谷の郵便局運営で数年間安定した生活を営むが、シベリアから帰ってきたらそれすらも取り上げられてしまう。これだけの仕事をした人に、国がまったく報いることがないという事実に慄然としてしまう。

晩年、くだらない人生だったと繰り返して、手記すらも死の2年前に燃やしてしまった。この手記は燃やされず残った部分を息子が再構成したものだが、燃やされた部分にはいったい何が書かれていたのだろうか。まことに他の人のため、国のために生きた人の人生には辛いことが多すぎると感じるのは、わしだけだろうか。

★★★★★ 


石光真清の手記


城下の人 新編・石光真清の手記(一)西南戦争・日清戦争 (中公文庫)


曠野の花 新編・石光真清の手記(二)義和団事件 (中公文庫)


望郷の歌 新編・石光真清の手記(三)日露戦争/長編小説・曹長の妻 (中公文庫)


誰のために 新編・石光真清の手記(四)ロシア革命 (中公文庫)

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