小田嶋隆 ミシマ社 2018年2月26日
読書日:2018年07月02日
依存症全般に興味がある。アルコール依存症は肉体的な面も含めて依存症になるが、ギャンブル系なんかは完全に脳内構造だけで完結していて、そっちの方が興味深い。と思っていたが、オダジマによると、アルコール依存症も進んでからはともかく、最初のうちは肉体的なものではなく精神的なものだという。特になにか劇的なことがあって飲み始めるわけではなく、なんとなく飲んでいるうちに習慣化してしまい、脳内に回路ができると抜け出せなくなるらしい。小説などに描かれるような、芸術的な側面は何もなしである。
ギャンブル依存症についても、かかった人の本を読むと、なぜ始まったのか、だれも説明できない。そうなったとしか言えないのである。オダジマはスマホ依存症も同じ構造だと言っている。
こうなってくると、依存症というのは、良い依存症と悪い依存症があるだけで、人間、もしかしたら生物にとって本質的なものではないかという気がしてくる。
仕事中毒という言葉がある。仕事で自分の全ての時間を費やすことをいう。芸術家には一日中、小説を書いたり、絵を描いたりしてほとんどの時間を過ごすひとがいる。これは依存症と同じ脳回路ができているのではないか? 芸術家だけでなく、天職と言えるものを持つ人は、自分の時間を何に費やすかということがはっきりしている点で、すべて依存症と同じではないか、と思える。
わしは、自分にも依存症を強く感じる。もう一生やめられないであろう、たくさんのことがある。非常に困ったことでもあるし、非常に救いでもあると思う。自分の人生の時間を、そのことに熔かすのである。これが幸せ? さあ、ただそうなっただけだから。
オダジマは日経ビジネスオンラインのコラム等で活躍しており、アルコール依存症だったことは知っていたが、今回その頃のことを本人が書き記してくれて、ありがたい限り。
★★★★☆