グレッグ・イーガン「順列都市」の<塵理論>について

塵理論グレッグ・イーガン順列都市に出てくる、<コピー>たちが永遠の命を得るための要となる理論です。なのに、なんだかいまいちよく分かりません。それで、頭の中に???が飛び交う状態で読み続けることになり、読んでいる間は隔靴掻痒な感じです。他の人も同じらしく、WEB上には塵理論に関する、結構な数の解説のようなものが載っています。(検索してみてください)

ここでは、それらの意見を参考にしつつも、自分なりの言葉で、たぶんこういうことが言いたいんじゃないか、ということをまとめました。

塵理論の塵とは、十分な数の乱数列のことのようです。コンピュータによるデジタル計算結果は、なんらかの数字の数列として出てきます。したがって、十分な数の乱数列があれば、計算結果と同じ数列は、その乱数列のどこかに存在するはずです。

例えば、シミュレーションを行うと、1ステップずつ行いますが、ステップごとにその計算結果は、乱数列のどこかに存在します。

逆に言うと、この乱数列は、ステップがばらばらの計算結果が、無秩序に並んでいる状態と言えます。

ここで、意識の流れを1ステップ1秒で計算するとします。普通は、1秒目、2秒目、と順番に計算すれば、つまり1ステップごとに計算すれば意識の流れが計算できるでしょう。

しかし、もしも、順番通りに計算せず、5秒目、1秒目、3秒目、とランダムな順序で計算しても、意識の流れが、コンピューターの中の人間にとっては、主観的になんの変化もないとしたらどうでしょうか。

もしそうなら、十分に大きな乱数列は、すでに無限ステップ分の計算結果を、順不同に並べたものかもしれないのです。すでに無限ステップ分の計算結果が出ているとしたら、それは無限時間にいたる意識の流れを表し、つまりここに不死が実現された、というわけです。

ここからが微妙で、もしかしたら間違っているのかもしれませんが、次のようなことなのだと思います。

ここで、セル・オートマトンのソフトウェアがあって、その計算結果を得るのに、この乱数列を参照するようにしてあるとします。すると、このソフトを走らせた瞬間に、無限ステップの計算が完了したのと同じである、と言えないでしょうか。(すでに全ステップの計算結果がここにあるから)。

リアルな存在のマリアやポールは、ソフトを走らせた瞬間にコンピュータの外に実際に存在しています。一方、そのソフトの中にいる<コピー>のマリアたちは、そのソフトを走らせた一瞬の中に、無限の時間を実感しているのではないでしょうか?

実時間での一瞬の中に無限の時間を閉じ込める。これがこの作品で不死を与えるパラドックスというか、アイディアの飛躍なのではないかという気がします。

もちろん、そのセル・オートマトンが自己増幅すると設定されていて、つまりメモリと計算能力が自動的に増えるような設定になっていてもいっこうに構いません。その無限大の計算量になったその計算結果も、この乱数列の中にあると考えられるのです。

したがって、それがいったん<発進>さえすれば、その内部では無限の計算力を使って、何でもありの世界になります。(ただしリアルとの世界とはまったく隔絶された、別世界、別宇宙となります)。

本当でしょうか? 

<コピー>となってその世界に入ってみないと、きっと実感できないでしょうね。

(補足)
ここで、セル・オートマトンを計算に使っていることが、ひとつのミソになっているように思います。つまり、微分方程式を使ったシミュレーションは通常、端数を丸める作業をし、誤差が累積していくので、ステップの順序を変えることができません。ステップ1、2、3と順番に行うよりほかないのです。

しかし、セル・オートマトンの計算にはそういう端数を丸める作業がなく、ある初期条件を設定すると、いつでも必ず同じ結果が得られます。つまり可能なら(どうやるのかは知りませんが)、例えばいきなり1000ステップ目を計算してもよいことになります。つまりどんな順番で計算してもいいのです。

 


順列都市〔上〕


順列都市〔下〕

 

 

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