ヘタレ投資家ヘタレイヤンの読書録

個人投資家目線の読書録

人はどう死ぬのか

久坂部羊 講談社 2022.4.1
読書日:2023.12.21

医者で作家の久坂部羊(くさかべよう)が、人が死ぬということのリアルを教えてくれる本。

人が死ぬときに立ち会うと、医者でも最初は動揺するんだそうだ。しかし、場数を踏んでいくうちに慣れてくるという。不謹慎に思うかもしれないけど、実際に慣れていくという。つまり、人が死んでいく様子には、一定のパターンがあるのだ。そして、人が死ぬということは、特別なことではなく、普通のことで、恐ろしいことでも、いやなことでもないという。

これだ。わしも、死に対しては、このくらいの感覚がぜひ必要だと思う。

所詮、わしらが目にする死は他人の死なので、あまり深く考える必要はないのである。そして自分の死は体験できるけど、たぶんそのときにはあれこれ考えることはできないだろう。なにしろ、死ぬときにはとっくに昏睡状態に陥っているのだから。

死は昏睡状態から始まる。このときには、脳内モルヒネが分泌されているから心地よいはずというが、確認のしようがないので都市伝説のたぐいである。

昏睡状態に陥ると、顎を突き出すような下顎呼吸が始まるという。これは呼吸中枢の機能低下を表していて、これが死のポイント・オブ・ノーリターンだそうだ。これが始まると回復の見込みはゼロとなる。だんだん呼吸が少なくなり、最後の一息を吐いて御臨終となる。

医者や看護師は、御臨終となっても、いちおう心臓マッサージをするのがお約束なんだそうだ。最後まで手を尽くしたというパフォーマンスである。(心臓マッサージというのは、実際には助骨が折れるような強烈なマッサージなんだそうだ。)

わしは、子ども頃に母親の死に目にあっているが、まさに同じものを見た。このとき、看護師が心臓を押すパフォーマンスをしているのを見ていたが、なにこれ?、と思ったのを覚えている(苦笑)。なんだ、そうだったのかあ。

理想的な死に方はピンピンコロリとよく言われるが、実際には苦しくない死などないのだそうだ。どんな死もそれなりに苦しい(昏睡状態に陥るまでは)。そして超高齢になると、その生活は苦しいだけなんだそうだ。長生きしてもあんまりいいことないなあ。

最後の瞬間、病院に行ってしまうと、病院側ではこれは寿命だと思っても、治療しないわけにはいかないので、体中にケーブルを差し込まれて、なかなか死ねず、悲惨な死を迎えるという。著者は訪問看護でたくさんのひとが自宅で死を迎えるのを見てきたが、自宅でなくなるほうが自然で良いという。なので、家族はこころを決めて、救急車をよばず、静かに送ってあげてほしいという。

がんになって、もう助からないという所まで来たら、むだに治療をしないで、痛みのケアだけをしたほうがいいという。ほとんどの場合は、穏やかな最後の日々を送れるそうだ。

著者が言うには、人がいつ死ぬかわからないのは、大いなる福音だそうです。

わしは何かをするときには、自分に無限の寿命があると仮定して考えるのを好み、一方でいつ死んでも仕方がないという諦念を抱えて生きております。(笑)

★★★★☆

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