細馬宏通 青土社 2023.6.20
読書日:2023.10.19
マンガにおける声(内言を含む)を示すフキダシについてあれこれ考察した本。
マンガは日本人のほとんどが日常読んでいるもので、フキダシについて特に思うことはなかったのですが、こうしていろいろなパターンを見ていくと、マンガ家の皆さんは様々な工夫を重ねているんだなあ、と思う次第です。
ともかくマンガ家としては、読者に次のコマ、次のコマとどんどん進んでいってほしいので、次のコマに対する興味を引き立てるようにフキダシも配置するわけです。
たとえば、そのコマに描かれていない人の声のフキダシがあるとすると、読者はこれは誰が話しているんだろうと興味を持ち、次のコマにその人物が登場すると予想して、次のコマに目を向けるわけです。まあ、たしかにフキダシにそんな効果を持たせることは可能です。
逆に、よく読んでほしいいところは、ちょっと普通じゃない配置をして、読者によけいな時間を使わせるような工夫もできます。
さらには明らかに一度読者に誤読をさせて、次のコマでそうではなかったという意外性を演出して、エンターテイメント性を持たせることも可能です。
もちろん、フキダシの形を変えて、いろいろな情報を付加することも可能で、実際に話しているのか、心の中だけで話している内言なのか、の区別はもちろん、時間や空間を超えた声を表現することもできます。
へー、と思ったのは、登場人物が相手の話したフキダシへ視線を向けるように描くことで、誰が誰の言葉に反応しているかの情報を読者に提供していると主張していることで、これってたまたまそうなっているだけなんじゃないのという気もしましたが、意図的にやっているという気もしないでもないので、まあ、そうなのかもしれません。
とはいっても、日常的にマンガを読んでいるわけですから、そんなにびっくりするようなことは書いてないのですが、唯一、田河水泡「のらくろ」のモブシーンのフキダシに関する話はびっくりしました。
よく「のらくろ」には画面いっぱいにいろんな登場人物が出てきて、誰もが好き勝手なことを話しているというシーンが出てきます。全体を読み終わればもちろん内容は理解できるのですが、普通に上から下、右から左に読んでいっても、それぞれの会話には繋がりがありません。
ところが細馬さんによれば、これは演劇の書き割りを応用したものだそうです。演劇では狭い舞台に奥行きを出すために、近景、中景、遠景とレイヤーを作ってそれぞれのところで役者が演技をしているという状況がありますが、それをマンガで再現しているというのです。そこで、絵をレイヤーごとに分解し、そして一番前の近景のレイヤーから順番にフキダシを読んでいくと、あら不思議、フキダシの会話が繋がっているのです。
わしの実家にはなぜかのらくろ全集が置いてあって、暇だった子供の頃、のらくろはよく読んでいましたが、こんな構造になっているとはちっとも気が付きませんでした。ここを読んだだけで、この本を読んだもとが取れたなという気がしました(笑)。
この本で考察されているのは紙に描かれたマンガだけで、最近のスマホで見る縦スクロールのウェブトゥーンについては何ら考察はありません。
★★★☆☆