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一度きりの大泉の話

萩尾望都 河出書房新社 2021.4.30
読書日:2021.11.2

萩尾望都が大泉で一緒に暮らした竹宮惠子とそのブレーンだった増山法恵と絶縁した経緯を述べた本。

萩尾望都が「私の少女マンガ講義」で竹宮惠子の「風と木の詩」についてなんの言及もないのはなぜ、と思っていたのだけど、この本を読んで納得。萩尾望都はそもそも発表された風と木の詩を読んでいませんでした。そりゃ、言及がないもの当然。

少年の名はジルベール」で竹宮惠子が語ってた通り、彼女と増山法恵は「風と木の詩」の準備をしていました。その舞台は寄宿校で、登場人物は少年たち。少年たちについて熱い議論が交わされていた大泉に萩尾望都もいたわけです。増山たちに影響を受けて、萩尾望都も「11月のギムナジウム」などを寄宿校の少年をテーマにしたマンガを描いています。でも増山法恵には「少年愛が分かってない」と言われる始末だったようです。

2年の大泉の共同生活が終わって、みんなばらばらになったあと、萩尾が「ポーの一族」の一遍である「小鳥の巣」の連載を始めると、彼女は竹宮惠子増山法恵に呼び出されて、なぜ小鳥の巣を描いたのかと詰問されたそうです。小鳥の巣も風と木の詩と同じ寄宿校での話で、設定にもいろいろ似たところがあるので、「盗作したのではないか」というのです。萩尾望都はそう問い詰められて衝撃を受けましたが、明確に答えることはできませんでした。

そのあとも、竹宮惠子から、うちに来てほしくない、自分のクロッキーは見ないでほしい、などと書かれた手紙をもらい、さらなるショックを受けた萩尾は、食事も取れず、目に異常をきたしてしまいます。

それでもなんとか小鳥の巣を描きあげたあと、北海道旅行をしたり、5ヶ月もイギリスにいって生活したりしています。この頃は鬱だったのではないか、と自分で振り返っています。

マンガをやめることも考えたそうですが、彼女の命であるマンガはやっぱり続けることにしました。そのかわり大泉の記憶は冷凍庫で凍らせ、墓に埋めることにしたそうです。

その後、埼玉の田舎に引っ越した萩尾は、竹宮惠子に会わないようにしたのはもちろん、また盗作と言われないように(影響を受けないように)、竹宮惠子の作品は一切読まないようにしたのだそうです。

萩尾は、竹宮惠子(と増山法恵)にはもう二度と関わりたくない、ときっぱり言い切ります。そして、寄宿舎の設定の作品を描いたことに対して謝罪するつもりはないとしています。

その後も「トーマの心臓」を描いたときにもやはり盗作という噂が流れたりしていましたが、萩尾望都はなんら言い訳をせず、噂を出した側が収まるのを黙って待ったといいます。なおトーマの心臓は大泉時代にすでに描いていて、二人にも見せていました。

そういう経緯なので、もう大泉のことは触れないでほしいというのが萩尾望都の願いです。

さて、わしはこの本を読んでどう思ったかというと、萩尾望都がちょっと怖くなりました。いろんな意味で。

竹宮惠子の言葉がよく切れるナイフだとしたら、萩尾望都の言葉は鈍器、もしくはじわじわ締められていく真綿のような感じです。

この本は自分の意見を第3者に納得させるための一種の弁明書のようなものですが、弁明書の構成としてなかなかよくできています。

まず相手のことをとても素晴らしいと褒め称えます。

竹宮惠子のことは、デビュー時に出版社3社が争ったという逸材であり、しかも美人で頭も切れると言っています。それに対して、自分はトロくて言葉を使っての説明が下手で、しかもいつ出版社から切られても不思議ではない弱い存在だったと言います。そんなに優秀な竹宮惠子が自分に嫉妬するなんてことはありえない、とまで書きます。

増山法恵に対しても、彼女の知識と情熱を褒め、彼女が少年愛を理解できない自分を捨てて、竹宮惠子の方へ行き自分を切ってしまうのも仕方がないといい、自分がいかに彼女の意にそまず、駄目だったかと書きます。

しかし、そんな駄目で弱い自分に対して、優秀な二人が攻撃してきたわけです。非常に理不尽である印象を与えるでしょう。

そしてトーマの心臓の連載が打ち切られそうになったのは、竹宮惠子らからの圧力あったのではないかと匂わせ、また懇意にしている編集者から君はもういらないと言われたことを紹介して、竹宮惠子に比べて自分がいかに弱い立場で攻撃を受けやすいかを強調します。

そして自分は嫉妬という感情はよく分からないといいつつ、友人のマンガ家、佐籐史生が言ったという「竹宮惠子萩尾望都に嫉妬して大泉は解散した」という言葉を引用します。(本文中ではマネージャーの城章子が言ったと書いているが、最初にそれを言ったのは佐籐史生だと城章子本人が最後に断っている。なお佐籐史生はすでに亡くなっているので本人に確認できない。)

こうして読者の頭には「竹宮惠子萩尾望都に嫉妬して大泉は解散した」ということが最終的に印象付けられる構成になっています。

この構成を見て、わしはちょっとシェイクスピアジュリアス・シーザーを思い出しました。シーザーを暗殺したブルータスを市民が英雄として支持するが、養子のオクタビアヌスがブルータスを最初は褒め称えつつ、次第に市民にシーザーが英雄でブルータスは裏切り者だという、最初の印象から真逆に転換させることに成功する、あの有名なシーンです。

そして、萩尾望都の言葉はイメージを中心としたかなりグダグダした表現です。説明して納得させると言うよりは、イメージの波を作り出し、感情に訴えて共感を得ようとする書き方です。

こういう構成や書き方をすぐにできてしまうというのが、わしが感心したところであり、ちょっと怖いと思ったところです。

また、別の面で怖いのが、萩尾望都が一度決断すると、それを一生、絶対続けるというこの頑なさです。

昔のことを思い出すだけで、精神的にきついといいますが、やると決めたら彼女は決然とそれをするのです。避けていた大泉の本も、書くと決めたらこうしてやり遂げています。

この決然さは、両親に対してもそうで、マンガに反対して、マンガを仕事にしていることが恥ずかしいとまで言っていた両親のことを、たぶん彼女はいまでも許していないでしょう。故郷を出たあと一度もホームシックにかかっていないと明言していますし、絶対に帰らないと決意したんだそうです。

それにしても、彼女はあれだけ作品の中では饒舌で明晰なのに、実際の生活ではぜんぜん言葉で自分を説明できないんだそうです。その辺がちょっと信じられないのですが、きっと本当なのでしょう。竹宮惠子に問い詰められてもあたまが真っ白になってなにも反論できなかったと言っていますが、それもきっとそうなのでしょう。

たぶんこれは彼女が九州で育ったことが影響しているのではないかという気がします。なにか九州はそういうところという気がします。女性は言葉を口に出して反論するべきでない、みたいな。

彼女は両親にマンガを反対されても、反論せず、だまって隠れてマンガを描いていたそうです。彼女は言葉で反論し自分を主張するのではなく、実行して結果を出して自分の意思を通すタイプなのでしょう。

大泉の頃は家を出てすぐの数年間のことだし、それまで言葉をつかって自分を説明するという経験がないということであれば、自分を出して言葉で反論するのは難しかったのだろうことは想像できます。

他の場面でも、彼女が明確に説明せず、あいまいに済ませてしまうという場面が多数登場します。本職のマンガについても、アシスタントへの指示はまったく明解じゃないらしくて、ふわふわしているそうです(笑)。こんな感じではきっとアシスタントが思い通りにやってくれなくて、自分でやり直すことも多かったのではないかと想像しました。

それにしても、わしが竹宮惠子だったとしたら、そばに萩尾望都がいたら脅威を感じるだろうな、という気がします。なにしろ、黙っていてなにも言わないのに、なんでも周りのものをどんどん吸収して自分のものにしてしまう、驚異的な才能を持っているんだから。

で、わしがどちらのマンガを好きかと言えば、それはやっぱり萩尾望都ですね。申し訳ないけど、竹宮惠子は一度読めばいいやとなるけど、萩尾望都は何度も読み返したくなる。

さて、両巨匠のお互いの主張が出揃ったことで、このお話はいつかドラマになるでしょう。本人がいやと言っても、亡くなったあとにドラマ化されると思います。この本でなくても、だれか別の人の本を原作にして。希望、出会い、友情、自立、野心、努力、才能、幸運、達成、成功、嫉妬、裏切り、孤独、挫折、別離、再出発、復活とすべてがそろっていて、あまりにおいしすぎる。

いや、もうひとり、語ってほしい人物がいた。増山法恵ですね。

彼女は、自分は名前が出なくてもいい、いやむしろ出したくない、だけどひっそりと噂のようには名前を残したい、という屈折した心理の持ち主で、なかなか興味深い人物です。萩尾望都は、このような態度だといろいろ作家のオリジナリティ性に疑義が生じると、出会った当初から用心しています。

で、調べてみたら、なんと増山法恵は今年の6月30日に亡くなってますね。この本の出た2ヶ月後です。なるほど。

ご冥福をお祈りいたします。

それにしても、萩尾望都の「百億の昼と千億の夜」は電子図書にならないんですかね? (またSFの話か(苦笑))。

★★★★☆

 

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