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少年の名はジルベール

竹宮惠子 小学館 2016.2.1
読書日:2021.8.19

漫画家、竹宮惠子がライフワーク「風と木の詩」を出すまでに経験した、自分のスタイルを確立する苦闘、大泉サロンでの萩尾望都との共同生活と彼女への嫉妬、影のプロデューサー増山法恵とともに少女漫画を変革する戦いを書いた本。

この本は長らく読まなくてはいけないリストに入っていましたが、何しろ図書館で借り手がおらず、いつでも読める状態だったので、ついつい後回しになっていました。ところが最近、萩尾望都が出した「一度きりの大泉の話」が話題になり、こちらの本にも俄然予約がたくさん入るようになって、慌てて予約をしたというわけです。いつでも読めるときには見向きもしないのに、急に話題になると読んでみたくなるのは、図書館利用者のあるあるです、って他の人のことはよく知りませんが。

萩尾望都に関しては、「私の少女マンガ講義」(2018年)という本を読んでいまして、最初の方に少女マンガの歴史的な流れについて述べていて、そこでいろいろエポックメイキングな作品を語っているのですが、きっと誰もが違和感を感じたであろうことは、その中で竹宮惠子の作品についてまったく言及がないことです。特に「風と木の詩」について言及しないなんてことが許されるのか、という気がするでしょう?

これには2つの解釈が成り立って、ひとつは二人に間で触れたくないわだかまりがあるのか、それともあまりに身近で言及するのは身内びいきになってしまうからかどちらかですが、たぶんほとんどの人は二人の間に何かわだかまりがあったんだろうと思うでしょう。

というか、2016年に発刊されたこの本を先に読んでおけば、二人が大泉で共同生活を送った事自体が奇跡に思えるくらいです。

これには増山法恵の存在がありました。増山は最初は萩尾望都と関係があったのですが、竹宮惠子を紹介され、意気投合します。増山は若くして古今東西の文学、文化に異常に詳しい異能の人です。増山は可愛い女の子がハッピーエンドを迎えるだけの当時の少女マンガの変革を目指していて、萩尾望都竹宮惠子に期待して、自分の家の目の前のアパートに大泉サロンを作ることに尽力します。なぜ大泉だったかというと、増山法恵がそこにいたからだったんですね。

ここで萩尾望都は自力で自分のキャリアを積むことが可能な人でしたが、竹宮惠子は助けを必要としていました。なにしろ彼女はそのころ自分の感覚だけで作品を描いていて、物語を構成するという基礎がまったくなかったからです。大泉サロンが2年で終わったとき、増山がついていったのは竹宮の方でした。きっと、竹宮のほうが自分を必要としており、自分の考えを盛り込めたからでしょう。

萩尾望都はこのころ、別冊少女コミックから破格の扱いを受けています。彼女が描いたものはページ数に関わらず必ず掲載する、という方針だったといいます。しかも彼女は締め切り前に必ず仕上げるし、ネームの相談も頻繁に行い、編集部の評価は最高だったのです。彼女は安定した立場で自分の作品の実験を行うことが可能でした。特に「ポーの一族」が始まってからは、その地位の安泰さは言うまでもないでしょう。

萩尾望都の才能に関しては、竹宮惠子は漫画家らしいところで驚異を感じています。彼女の森の木の省略方法、縦線の密度の強弱だけで森の中にいるように表現する技法らしいのですが、そこに衝撃を受けたといいます。この方法はたちどころに多くの漫画家が真似するところとなったそうです。

竹宮惠子は才能がありすぎる萩尾望都にプレッシャーを感じて、彼女を遠ざけようとしたことはこの本に正直に書かれています。しかも彼女は増山を必要としていました。増山を取られた形になったことを萩尾望都がどう感じたのか分かりませんが、少なくとも面白くなかったのではないかと思います。

竹宮惠子はデビューして東京に19歳で引っ越してすぐに、「風と木の詩」の話を増山にしています。まだ漠然としたイメージに二人で肉付けをしていったのです。その頃はまだ大泉サロン開設前で、電話で一晩中ふたりで話し込んでいます。こうして風と木の詩の発表は二人の悲願となっていました。

週刊少女コミックから次の作品で人気ランキングで1位を取ることができたら風と木の詩を連載してもいいと言われ、竹宮恵子増山法恵は恥も外聞もなく、読者に受ける物語を創ろうとします。話の典型を貴種流離譚(きしゅりゅうりたん、身分の高い人が追い払われて復讐する話)に定め、時代は古代エジプトにし、恋も、悪役も設定し、苦手な戦闘シーンのアイディアはプロの脚本家から買うという方法すら取りました。(いや、ぜんぜんありの方法だと思うんですが、全部自分でやらないといけないと思っていたようです)。

意外にもこれが良かったのです。こうしたお話の枠を作ってその中でキャラクターを動かすということは竹宮惠子にとって初めての経験で、とても楽しかったといいます。そしてようやく竹宮惠子はプロの漫画家になれたという感覚を得たのでした。この作品「ファラオの墓」は、1位までは行かなかったもののランキング2位まで行き、単行本も大ヒットして、こうして風と木の詩の連載が決まったのでした。

もちろん風と木の詩は彼女にとって代表作でしょうが、ファラオの墓はもっとも思い出深い作品のようです。

そうした経験もあり、竹宮惠子は大学で脚本術を教えるとき、自分の経験から、ストーリーをコントロールする脚本術というものがあり、ひとは技術で感動させることができるのだということを教えているといいます。

脚本術ですが、アメリカの大学の文学部では創作手法について普通に教えていると思うのですが、日本では体系的に教えているところはきっと少ないんでしょうね。

なお、わしから見た竹宮惠子の代表作は「地球(テラ)へ…」ですね。どうもSFが出てしまいますね(笑)。

★★★★☆

 

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