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情動はこうしてつくられる 脳の隠れた働きと構成主義的情動理論

リサ・フェルドマン・バレット 高橋洋・訳
読書日:2020.2.5

情動が構成主義的に脳により作られていると主張する本。

近年、脳がどのように働いているのかが分かってきて、情動(emotion)がどのようにつくられてくるのかについても、新しい考え方が生まれてきた。著者は構成主義の立場を取り、情動はそのときの状況に応じて、脳が構成するのだという。

すべての精神活動は脳が作り出すのだから、脳が情動を構成するといっても当たり前のような気もする。ではこの考え方のどこが新しいのだろうか?

こんな話を聞いたことがないだろうか。人間の脳は進化的に発展してきて、基本的な生命活動を担う最古の脳の上に、情動を担う古い爬虫類の脳があり、その上に理性をつかさどる人間の新しい脳があると。つまり、人間の脳は三層構造でできていて、人間は新しい脳の理性で動物の荒々しい情動を押さえ込んでいるというのだ。

この考え方では、(爬虫類の)脳の特定の部位が怒りとか悲しみといった情動を担っていることになる。しかし、科学者がいくら探しても、そんな部位は発見できなかった。著者は、情動は特定の部位ではなく、脳全体で作り出していると主張しているのである。

脳全体で構成するとはどういうことだろう。もう少し詳しくみてみよう。

クオリアという言葉がある。これは我々が感じる質感のことで、我々は新鮮な果物のみずみずしさ、鋼鉄の冷たく固い感じなど、現実の世界を生々しく体験することができる。なぜこのような生々しさを感じるかというと、われわれが生の現実の世界に生きていると思ったら大間違いで、実際には脳が再構成した現実の中を生きているのである。この時、脳が再構成した現実にはその物質の質感に対する「予想」の情報も含まれているため、生々しく感じるのだ。ときどきその予想が外れて、例えばふかふかで柔らかいものだと思って触ってみたら、固い材料でできていたというような勘違いはいくらでも起きる。予想が外れたわけだが、このとき脳は素早く現実を作り直す。すると、一度固いと認識したものは、二度と柔らかいと思えなくなる。

このように、予想して再構成した現実に付加する情報のひとつに、自分がどう感じるかという情動の予想も含まれるのである。

なにかひどい差別的なことを言われて怒りを覚えたとき、なにか失敗してみんなに見られてばつの悪い思いをしたとき、そんなときはその状況にあわせて、脳は情動を構成する。それは文化的、社会的な文脈を考慮して、脳が予想した情動なのだが、まさしくわれわれはそれを現実だと信じ生々しく感じるのである。(そして、その生々しさのために、自分の内部にもともと備わっていたものであると、勘違いしてしまう)。

こうした情動に対する構成主義的な考え方は、まだ一般的ではないが、脳の動きを観測データとともに徐々に広がりつつあるようだ。

しかし、もしも情動がこのように作られることが理解されると、その影響はものすごく大きい。あらゆる人間活動が再定義されなくてはいけなくなる。

例えば、「彼女がせせら笑ったとき、激情に駆られて彼女を殴りました」というとき、この激情はとはなんだろうか。激情に駆られるとは、理性で押さえつけられないほどの感情の高まりのことだと従来は考えられてきた。なので、激情に駆られたときには、ある程度情状酌量の余地があるように思われていた。なにしろそれは激情をつかさどる古い脳のせいなのだから。しかし、脳全体で情動が構築されるとすると、そういった情状酌量の余地はなくなってしまう。したがって裁判などの法律の領域に大きな影響を与える。

これまで人はいろんなことを情動のせいにしてきた。だが、今後は情動のせいにできないとするとどうすればいいのだろうか。

情動が脳の予想(シミュレーション)に過ぎないとすれば、不適切な情動というのは、つまり予想が外れたわけだ。脳が質感の情報を素早く訂正できたように、情動の予想も外れたら、それはもう一度再構成しなおすことができることを意味している。したがって、われわれは情動の起こり方を制御できるようになれるはずなのだ。今後はどうやら、人は情動を制御する方法を学ばなければいけない、ということになりそうだ。

そのほか、うつ病自閉症などの脳に起因する心理的な病に対する理解も大いに変わることが予想できるのである。

★★★★☆

 


情動はこうしてつくられる──脳の隠れた働きと構成主義的情動理論

 

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