ヘタレ投資家ヘタレイヤンの読書録

個人投資家目線の読書録

絵本のなかの動物はなぜ一列に歩いているのか 空間の絵本学

矢野智司、佐々木美砂 勁草書房 2023.2.20
読書日:2023.5.23

絵本では動物などの新しいキャラクターが次々に出てきて、登場した動物たちはいろいろな空間的な配置で積み上がり、その積み上がった構造が崩壊するときにカタルシスが発生しているのだと主張し、絵本の空間的な構造の持つ意味を研究した本。

絵本の場合、ページをめくるごとに新しい展開が想定されており、よくある展開としては新しい動物なんかが出てくる。なぜ動物が出てきがちなのかというと、動物にはいろんな大きさのものがいるので、極端に大きなものと小さなものを対比させて登場させることができるからだそうだ。特に、ゾウとネズミが一緒に出てくることが多いのだという。

で、出てきた動物たちはいろんな方法で空間的に積み上がる。例えば動物たちはお互いの背中に乗って、どんどん上に重なって高くなっていく。そうすると、限界に達したところで、最後に小さな動物が乗っただけで、動物のタワーが崩壊して、子供は「ああ」とか「わあ」とか言って、カタルシスを感じるんだそうだ。

空間的には積み重なり方にはいろいろなパターンがあって、その一つが動物が一列に並んで歩くような構成なんだそうだ。この場合も、最後は行列が崩れて動物たちが散り散りに逃げて行って、崩壊することで緊張が溶けて、子どもたちは「ああ」とか「わあ」という体験をする。

このような構成の絵本を均衡回復型と著者は呼んでいる。なぜなら基本的に最初の元の状態に戻るからだ。小さいうちはこのようなもとに戻るタイプの絵本が好まれるという。少し大きくなると、もとに戻らない変化しっぱなしの絵本も理解するようになる。一番わかり易いのは、登場するキャラクターが成長するようなタイプなんだそうだ。

積み上がるのはキャラクターだけではなくて、関係性といったちょっと抽象的なものもある。この場合は何かをあげたり、もらったりという関係が積み上げられたりする。

というようなことが書いてあるのだが、わしがちょっとびっくりしたのは、こういう物語には主人公はいないという著者の発言だ。いちおう、子供や動物は出てくるのだが、キャラクターとしては重要ではなくて、こうした積み上がって崩壊するような空間の構成の展開自体が物語なのだいう説明だ。現に、絵本には生き物が全く出てこなくて、数字だけというものもあるのだそうだ。その絵本の話だけみると、特に擬人化しているわけでもなさそうだ。そうすると、キャラクターは物語に必要ないのだろうか。

わしは、「物語とはなにか」で述べたように、物語にはキャラクター(つまり人間、少なくとも擬人化した人間)が必須という仮説をあげているが、そうするとそれは間違っているのだろうか。

うーむという感じだ。

それともう一つ興味深かったのは、現代的な絵本はソ連から始まったのだという絵本の歴史だ。ソ連では絵本すらもなんらかの役に立たなければいけなかったので、このようなラディカルな絵本が作られるようになったのだという。そうすると、絵本の歴史はまだ短いもので、いまもなお発展しているということなのだろう。

絵本作家には創作意欲に溢れている人がたくさんいて、一人で何百冊も創作している人たちがたくさんいるのだという。

子供の数はどんどん減っていく方向だし、子供の時間も限られているから、きっと絵本は供給過剰なんじゃないかな。定番の絵本に入らなかったものの運命はなかなか厳しそうだなあ、と思いました。

★★★★☆

にほんブログ村 投資ブログへ
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ