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死ぬんじゃねーぞ!! いじめられている君はゼッタイ悪くない

中川翔子 文藝春秋 2019.8
読書日:2019.11.18

中川翔子が過去に自分がされたいじめを全告白し、いま苦しんでいる子どもたちに死なないように訴える本。

中川翔子がこんなにいじめを受けていたとは思わなかった。いじめられていると学校にいる1時間ごと1分ごとがサバイバルになり、リラックスできる時間がないことに悲壮感を感じる。中川翔子の時代はまだ良くて、いまはスマホによるSNS時代だから、24時間リラックスできず、たとえ午前3時に着信があってもすぐに返事をしないといけないのだという。

しかし、スクールカーストやいじめは人類が集団生活をしている上で、かならず生じると思うので、たぶん人類の宿痾(しゅくあ)ではないかと思う。それにこういう問題は日本だけではない。アメリカのハイスクールの話を読むと、アメリカでも似たような問題があって、学校生活に溶け込めない子は苦労するのは、世界中一緒だ。ある意味、いじめと差別は根本ではつながっているのだろう。

いじめを止めさせる方法はないと思うが、いじめを乗り越える方法というのはある。その方法は自分の好きなことに打ち込んで、その打ち込んだ範囲で広く世間に仲間を見つけることである。それしかないと思う。学校内での友達を諦めるのである。中川翔子もこの道を進んだ。

ところで、わしはなぜか友達を作るという観念に乏しく、小さい頃から友だちをつくろうとしなかった。友達がいなくても別に問題はなかったが、困ったのは何か集団活動するときに仲間がいないことだった。だが、それ以外はなにも問題ではなく、しかもいじめにもあったことはない。

しかし考えてみると、こんな感じでなぜいじめに会わなかったのか不思議だ。なにかみんなから一目置かれていたのだろうか? いやそうとはとても思えないが。もしかしたらいじめられていたのかもしれないが、気が付かなかった可能性はある。逆にわしに関心を持ってくれた人たちにたいへん冷たくしたような気がする。そういう意味では逆に申し訳ありませんでした。

ええと、何が言いたいかというと、友達は別に人生に必須ではないってことです。どうかいじめを乗り越えて、自分の人生を生き抜いていただきたいです。

★★★★☆


「死ぬんじゃねーぞ!!」 いじめられている君はゼッタイ悪くない (文春e-book)

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