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もっと言ってはいけない (新潮新書)

橘 玲 新潮社 2019年1月17日
読書日:2019年2月10日


前作の「言ってはいけない」を読んだ時に、いまいち衝撃的ではない、という感想をもったが、今回の「もっと言ってはいけない」でも同じことを感じた。

これがいったいどうしたの? という感じだ。

なぜなんだろうかと思ったが、やっと分かった。これはリベラルの人にとって不都合なだけで、そうでない人には全然不都合でもなんでもなくて、まあ、そういうこともあるだろうな、ぐらいのものなのだ。

橘玲は、あとがきで自分でも言っているように、リベラルな人だ。リベラルという人種は、人間は平等で、差別も格差もいけないと考える人たちらしい。

それに気が付いた時、わしはやっぱりリベラルじゃないんだ、と実感した。なんとなくリベラルって正しいという感じがするし、知的な人間はリベラルな人が多い気がするから、自分がリベラルな人間じゃないと思うと、なんとなくちょっと自分が下等な人間になった気がするような気がしないでもない。

でも、わしは機会の平等は必要だと思うが、結果の平等は全く必要性を感じないから、やっぱりリベラルではないのだ。どちらかというとリバタリアンに共感する。じゃ、そういうことで。(でも、ベーシックインカムは支持するけど)。

とはいえ、最新の知識と考え方を紹介してくれる、橘玲であるから、今回も得るところは多かった。

個人的には、もっとも収穫だったのは、ゲイの謎が一部解けたことだ。

前々から不思議に思っていたのは、ゲイはなぜ存在するのか、ということだった。人間のうち、5~10%ぐらいはゲイであることが分かっている。でもゲイは子供を作らないから、ゲイの遺伝子があっても伝わることはない。だからゲイの遺伝子というのはそもそも存在していない可能性が高い。すると、ゲイは遺伝子とは関係なく発生するとしか考えられない。

人間は本能が壊れていて、脳はイマジネーションたっぷりな存在で、何に恋しても不思議ではない、という人がいる。一理ある。ゲイの人は、好奇心が旺盛でクリエイティブな人が多いように見える。おそらくそういう性質は人間社会の発展に有用であるから、人類はそういう人間が出現するように構造上、設計されており、そういう人がゲイになりやすいのではないか、ぐらいにしか見当がつかなかった。

でもねえ、やっぱり遺伝の影響を頭から排除できず、悶々としておりました。(笑)

ところが、今回の本ではやはりゲイ遺伝子はあるという。しかも、その遺伝子は母親から遺伝するという。

その効果は、息子よりも娘に現れるという。なんと男から見て魅力的になり、男の子にモテモテになる遺伝子なんだそうだ。その子たちは普通よりも多くの子どもを残すという。つまり、たとえゲイになる息子がいても、娘がたくさん子供を産むから、全体的には遺伝子が多く残り、割に合うのだそうだ。

なるほど。それなら理屈は通っている。

しかしこの遺伝子でなるゲイは、女の子っぽい男になるっていう遺伝子なんじゃないの? ハードゲイもこの延長で理解できるのかしら。ちょっとまだ完全ではない気がするが、まあ、それは引き続き考えていこう。

それ以外にも、「自己家畜化」の話が面白かった。

でも全般的に語られている知能の話は、リベラルではないので、やっぱり不都合という感じはしないので、この議論は少々退屈ではあった。

ところで、自分よりも知能の高い人の議論は理解できるのだろうか。理解できるのだったら心配することないし、理解できないのだったら気にするまでもない。つまり主観的にはどうでもいいことなんじゃないか。

橘氏はさいごに、「どんな人生を選ぼうがあなたの自由だ」と少々突き放したような言葉で終わっているが、世界全体に目配りするような人は別にして、主観的な自分の人生を送るには、自分の知能がどうしたとかはどうでもいい話なので、本当に自由に生きればいいのではないかと思います。リベラルな人たちはおせっかいなんですね。

★★★★☆

 


もっと言ってはいけない(新潮新書)

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