ジュディス リッチ ハリス 早川書房 2017年8月25日
読書日:2019年1月30日
副題が、「重要なのは親じゃない」となっていて、これだけでほぼ、この本の内容は言い尽くされている。
もう少しくわしく言うと、次のようになる。
子供の成長に、親の影響はほとんどない。子供たちは、家庭以外に自分たちの社会を持っていて、そちらで「社会化」を果たす。家庭と仲間の世界を器用に使い分けて、家庭と仲間のどちらかを選ぶ必要があれば、迷わず仲間の方を選ぶ。たとえば、アメリカでは移民の子は、親の話す言葉を捨てて、仲間の話すアメリカ英語を身に付ける。子供はそういう選択をするように設定されているため、親が子供にできることはあまりない。(親が重要でないというわけではないので、念のため)。
言っていることは極めて簡単なことなのに、文庫本で600ページ以上になっているのは、多くの人が「そんなバカな」と思うので、納得させるにはこれだけの紙幅が必要ということらしい。
特に育児関係の専門家が反発するようだ。実際に育児をやっているお母さん方は、「そりゃそうだ」と思うらしい。
わしが、この本を知ったのは、橘玲の「言ってはいけない」だったと思う。この本の目玉がこのくだりだったらしい。残念ながら、わしも「そりゃそうだろう」と思った方なので、この本に関してはほとんど印象に残っていない。自分の感想には、「言ってはいけない真実があまりに少ないのが問題」、と書いたあるくらいだから。
たぶん、わしが全く衝撃を受けなかったのは、日本の「若者組」の制度について、知っていたからだろう。
かつての日本の普通の男の子がどんな育ち方をしていたかというと、ある年齢になると、「若者組」というところに通うようになる。たいていはそのための建物が用意されて(若者小屋)、勉強したり、剣術のけいこをしたりするが、大事なのは若者だけで、大人の干渉がない状況で、みんなと一緒に過ごすという経験をすること。
去年の大河ドラマ「西郷どん」では、子供たちは地域の郷中という組織に入って一緒に過ごしていたが、これがよい例になる。これは侍の場合だけど、百姓たちも同じように、若者が集まるところがあった。
若者組は、戦後も存在しており、中上健二の映画「火まつり」にも、若者が自由に集まる若者小屋が出てくる。主人公が結婚したあとにもしばしば訪れて、仲間と戯れる様子が描かれていた。つまり、つい最近まで、普通にあったのだ。
この本に狩猟採集民族の子供たちが早いうちから親から離れて、どのように過ごすかが書かれているけど、それも既知のことだった。
実際の子供たちが仲間を作る様子から、ゴールディングの「蠅の王」のような展開にはならない(小説のようなグループ分けにはならないと)、と主張しているが、これにはなるほどと思った。
というわけで、知らなかった話も多くあったものの、そりゃそうだろう、と思うことばかりが書いてあるので、ちょっと読み続けるのが辛かったです。(苦笑)
ひとつだけ。ある人が犯罪を犯したりしても、その親を「あんたはどんな教育をしたんだ」と責めるのはやめましょう。親は、何もできませんから。
(追加)
著者のハリスが、ちょうど1か月前の2018年12月30日に亡くなったことを知りました。辛口の感想になったものの、この本は世間の常識に挑戦した良書だと思います。ご冥福をお祈りいたします。
★★★★☆