もりやまみやこ つちだよしはる あかね書房 1986.3
読書日:2021.9.9
(ネタバレあり 注意)
つりばしのむこうにきつねの女の子がいると聞いて、女の子に会いたくて苦手なつりばしを渡ろうとがんばるきつねの男の子の絵本。
一時期、児童文学ばかり読んでいたことがあって、いまでも児童文学や絵本を読むことがある。なんといっても児童文学は心の奥に迫るシュールなところが魅力だ。普通の純文学よりよほどシュールだと思うんだが、いかがだろう。いっぽうの絵本はよほど気にならないと読まない。
この絵本のことは日経新聞のコラムに載っていたので知った。コラムのひとは、子供にこの本を読み聞かせて、自分が感動して、その感動を分かち合うために絵本を読む会みたいなのを創ったのだそうだ。
うーん。この本を読んで感動したのか。
まあ、わからないわけではない。とくに結末のところは理解できる。きつねの子は、苦手なつり橋を少しずつ遠くまでいけるように努力して、なんとか半分まで渡ったところで、持ってきたお花をそこにおいて、ハーモニカを吹いて、女の子と遊んだ気になって(女の子はいない)、「またいつかあそぼ」と言って帰ってしまう。
半分まで行ったのなら、いっきに渡っちゃえよ、と思うけれど、一線を越える前の躊躇する姿がいじましい、というところか。ここで終わったのは、実に戦略的でよろしい。これできつねの子がどうなったか気になるから、続編も作れる。とは思うが、別にわしはなんとも思わなかったな。すんません。
絵本でいつも驚くのは、その息の長さだ。この本も1986年に初版が出て、わしが読んだのは2012年12月の96版だ。いったん定番に入ることができれば、末永く売れ続けることができるのだ。
こういうロングセラーをすべての企業、クリエイター、作家たちは待ち望んでいる。特に本だったら、死後50年間、著作権が続いて、子々孫々に利益を与えることができるのだ。
とても素晴らしいと思う。なにより相続税がかからないところが(笑)。
話は変わる。
ここで突然だが、わしの人生に大きな影響を与えた絵本に関する小ネタを書く。わしはそのとき生まれて初めて本から影響を受けたのだ。
その作品の題名はきっと「ありのマック」なんじゃないかと思う。幼児向けの絵本雑誌に載っていたもので、その一度きりの掲載のまま世の中から消えてしまった。ゆえに正確な題名も作者もわからない。内容も実は大したことはないので、消えてしまっても仕方がないしろものだ。
その絵本の出だしはこうだった。
『ありのマックはかんがえた。こんなくらいあなのなかはいやだなあ。』
話の展開はありきたりだ。
暗い穴の中の生活にうんざりして、しかも自分が見つけた食料をみんなで分けるのはフェアじゃないと考えたマックは、巣からひとり脱走する。はじめは気ままな一人暮らしを満喫していたが、たぶん危険な目にあったか、食料がなくなったかで危機に陥り、そこをかつての仲間に助けられたマックは改心して、仲間のいる巣に戻るという内容だった。
こう言ってはなんだが、まったく心に突き刺さらないお話である。さらにわしはこの話の結末は好きではなかった。というか実はわしには話の内容はどうでもよかった。わしが衝撃を受けののは、でだしのこの言葉だ。
『ありのマックはかんがえた。』
たぶん、このときはじめて、考える、という言葉を聞いたのだろう。そしてその意味を理解したわしは思った。
ーーありのマックは考えたんだ。なんてすごいんだ。
そう当時のわしは思ったのだ。
母親によると、わしはこの本を何度もせがんで、本を読んでもらうと、ひとり静かに座っていたという。なにしてるの、と聞くと、「考えてるの」と答えたという。もちろん母親は笑って放っておいてくれた。
以来、わしは考え続けている…というわけではもちろんないが、ここから分かるのは、どうでもいいようなくだらない絵本でも子供にものすごく影響を与えることがあるということだ。
この本のせいか、少なくともわしは自分で考えることをくだらないとか、自分よりももっと頭のいい人のいうことを聞いていればいいとか、そういうふうに思ったことはこれまでない。
だって、そうでしょ? ありのマックだって考えたんだから。
★★★☆☆