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無理ゲー社会

橘玲 小学館新書 2021.8.3
読書日:2021.12.26

リベラルが目指す社会はメリトクラシー能力主義)の社会であり、能力がない人は収入も結婚もできず、悲惨なディストピアを生きなければならず、その根本の解決策はないと主張する本。

サンデルの「実力も運のうち」が有名になるなど、人生が個人の能力に完全に依存するメリトクラシーディストピアな現実が最近明らかになってきたが、橘玲は日本の状況を交えて、この国に生きる若者の悲惨な実情を報告してくれる。

それによると、自分らしく生きることが素晴らしいとされるリベラルな現代において、能力がない人は自分らしく生きることはおろか、低所得の貧しい生活に喘ぎ、もちろん苦しい生活では異性に選ばれることもなく、さらには人間関係がばらばらになっていく社会の中で友もおらず、年老いた親の面倒もたったひとりで見なければならず、将来になんの希望もないので早く死にたいと思っているのだという。

こういう状況に対して、サンデルはなんの解決策も示していないが、橘玲は彼なりの解決策を検討している点が新しい。

通常このような経済状況に対する解決策としては、ベーシックインカムとその財源としてMMT(現代貨幣理論)があげられることが多い。しかし橘玲はこれらに対して否定的だ。

まずベーシックインカムが導入されると、子供をたくさん作るだけで大金持ちになれる社会になるという。この社会で成功するのに必要なのはセックスすることだけで、たとえば途上国から子沢山が見込める健康な女性を妻として迎えて、10人ぐらい子供を作らせればいいという。ひとり月に10万円なら、これだけで月に家族で120万円の収入になる。子供が成人したら、また別の妻をめとって同じことをすれば、死ぬまで裕福に暮らせる。繰り返すが、この生活で必要なのはセックスするだけである。

確かにこのようなセックスだけして、他は何もしない人が裕福に暮らすことを認めるのはきっと難しいだろう。

MMTに関しては、MMTが正しいかどうかではなく、橘玲にとってはマクロ経済学自体が間違っているという認識のようだ。複雑系のネットワークが支配する世界では、マクロ経済学は成り立たないのだという。

こんな意見は初めて聞いた。わしは逆にマクロ経済学だけが正しいと思っていたんだけど。マクロ経済学が成り立たない理由として、複雑系の世界は足し算引き算、微分積分では表現できないという複雑系の始祖マンデルブロの言葉を紹介しているが、しかし、この説明だけでは納得できないなあ。逆にミクロ経済のほうがよほど複雑系の影響を受けると思うけど。

ただしMMT経済学者が提唱している、完全雇用政策に関しては、格差社会の解消は難しいとしているものの、それなりに評価しているようだ。

ベーシックインカムもMMTもだめなら、どうすればいいかと言うと、将来的にはテクノロジーで解決可能だと主張する。例えばマイナンバーが普及すれば、ミルトン・フリードマンの唱える負の所得税が実行可能になるという。この方法だと、働く意欲をなくすことなく収入が不足している人に給付が可能だそうだ。さらには、すべての人の収入、財産がブロックチェーンで管理できるようになると、資産も考慮に入れた再分配の政策が実行可能だという。ベーシックインカムはこのようなテクノロジーがなかった時代の素朴な理論にすぎないのだそうだ。

経済面の不公平は各自の資産、収入が透明化され、強制的に分配されれば解決可能なのは確かにそのとおりだ。だが、橘玲は、こういった経済的な不安の解決は根本的な解決にはならないというのだ。ここがこの本のもっとも恐ろしいところだ。

誰もが経済的な不安なしに生きていけるような豊かな社会になると、純粋な人間の魅力のみが重要となり、「モテ/非モテ」の差が強調される結果になるという。なぜなら、これまでなら経済力があれば異性を捕まえることができたかもしれないが、もはや異性は経済的な理由で彼/彼女を選択しないからだ。そうすると、魅力的な少数が異性を総取りし、ほとんどの人は異性を獲得できない極端なべき級数ロングテール)の社会が出現するのだという。これが評判格差社会だ。

なんとも身も蓋もない結論だが、リベラルの理想を突き詰めると、こうなるということだろう。

だが、これはわしの意見とはちょっと異なる。わしは豊かな世界では、人々は棲み分けて暮らすようになると思う。つまりたくさんの小さな差異のグループ社会が混在しつつ、お互いはあまり関わらない社会になるんじゃないだろうか。これは、もともと同じ種の仲間の昆虫であっても、川の流域ごとに異なった亜種となり、食べ物や暮らし方を少しずつ変えて、お互いの生活圏が重ならないようにうまく棲み分けて生活していることがあるが、そんなイメージだ。

もしもそれぞれがこうしたニッチの立場で棲み分けることができるのなら、こうした極端なロングテールにはならないんじゃないかという気がする。人間の魅力に多様性があると信じるなら、棲み分けが起きるだろう。

わしはすでにニッチで多様な社会を日本は構築し始めていると思う。アメリカなんかよりもよほど国民の生活は多様化しているんじゃないだろうか。多様性を国民の豊かさとして統計に組み込めば、きっと日本は世界の上位に入ると思う。

わしには橘玲の考え方は、人間の魅力がひとつのベクトルしかないと誤って考えているように思える。富には確かに通貨以外のベクトルは取りようがないかもしれないが、魅力のベクトルは、いろんな方向に向くのではないだろうか。 

それにそもそも一人の人間が、遊びでなくまじめに人生を分かち合って付き合える異性の数は、そうとう限られるのではないだろうか。最大でも20人ぐらいとか。記号に過ぎない金融資産と異なり、ロングテールのべき乗数は金融資産よりも小さくなるだろうから、富の話と一緒にはできないんじゃないかと思うな。

というわけで、わしはテクノロジーで富の分配がされた世界に橘玲ほど悲観的ではありません。

橘玲の話はその後、さらにテクノロジーが進んだホモ・デウスの世界の話にまで行くんですが、どうやら最近はこのへんまで視野に入れて語らないといけないらしいね。(笑)

そういうわけで、わしも橘玲と同じく経済格差の解消は原理的には可能で、将来的にはそっちの方向に進むと思うけど、それはきっとかなり先のことでしょう。で、今まさに苦闘している若い世代にはきっと間に合わないだろうなと思います。

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