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言語哲学がはじまる

野矢茂樹 岩波新書 2023.10.20
読書日:2023.11.20

19世紀末から20世紀にかけて、フレーゲラッセル、ヴィトゲンシュタインらがたどった言語哲学の潮流について、著者の考えを述べた本。

言語とは不思議である。人は初めて聞いた(読んだ)文でもその内容を理解できるし、いくらでもこれまでなかった新しい文を生み出すことができる。これはなぜなんだろうか、というのが著者の問いである。

現代の言語哲学を始めたのはフレーゲという人なんだそうだ。この人の画期的なところは「文脈原理」という考え方を導入したことだ。文脈原理とは、文の意味との関係においてのみ語の意味は決まる、と考えることである。

フレーゲ以前は、人が文を理解するには、文を構成する語に分けて、各語を理解してそれを組み合わせていると考えられていた。たとえば「ミケは猫である」という文があると、「ミケ」と「猫」と分けてそれぞれを理解して、その関係を見るわけである。しかし固有名の「ミケ」はともかく、一般名詞の「猫」というものが説明できないのである。どの一匹一匹の猫でもない一般的な「猫」というものがどうして存在するのだろうか。

しかし、フレーゲはまず「ミケは猫だ」という文自体に意味があり、それから各語の意味が文との関係で決まる、と考えるのである。文以前にそれぞれの語だけで意味が決まることはない。では文の意味とは何かというと、この世界の事実を表していると考えるのである。

このことは、ラッセルもヴィトゲンシュタインも認めている共通認識のようだ。

ヴィトゲンシュタインの「論考」は、次のような言葉ではじまる。
1 世界は成立していることがらの総体である。
1.1 世界は事実の総体であり、ものの総体ではない。

この文章は「ミケは猫である」という事実がまずあり、ミケや猫というものが重要なのではない、ということを表している。

ところが、文というものは正しいことだけではなく、間違ったこと(事実でないこと)も書ける。世界が事実の集まりなら事実でないことがあるのは不都合である。

そこで、フレーゲは文には真か偽かを判定する機能があると考えるのである。真か偽かを判定するのは述語である「猫だ」の部分である。「……は猫だ」の「……」に好きな言葉を入れると、それが真か偽かを判定できる。述語は真偽を判定する関数(=命題関数)と考える。この命題関数は、<xは猫である>のように書ける。xに好きなものを入れると、真か偽かを判断してくれる関数である。

このように考えると、不思議なことが起きる。「猫」を一般名詞として考えなくてもよくなるのである。「猫」は一般名詞ではなく、命題関数のまま取り扱うことができる。つまり「猫」は、<xは猫である>が真となるx、と考えるのである。だから、「猫はよく寝る」という文があると、それは、「<xは猫である>と<xはよく寝る>の両方に当てはまるxがある」、
というふうに考える。

こうして、「ミケは猫だ」という文は、真か偽かのどちらかの意味を持つ。文が意味を持つと語の意味も分かって、語を使って新しい文を合成することも可能になる、というふうに話は進んでいく。

この辺までが現代の言語哲学の基礎的な部分らしい。このあとは、人によって様々な議論が展開されているところだ。

たとえば、フレーゲは、このあと、文の意味が真か偽しかないというのはあんまりだからと、意義という概念を導入したり、固有名について議論したり、信念文という文の矛盾について説明したしている。

ラッセルは文というのは結局なにかを指示しているのだ、という議論を展開している。(偽の文が存在しているから、それを指し示す事実でないものも存在しているとする)。

ヴィトゲンシュタインは、世界の事実から対象を「分節」として取り出して、それを論理空間上の可能性として新しい文が作れるという議論を展開しているようだ。

この本を読んで、わしは次のようなことを思った。

フレーゲヴィトゲンシュタインの世界を構成している事実からの発想は、実際に人の脳が言語を使っているときの方法とよく似ているのではないかという気がする。またChatGPTのような大規模言語機械学習が文を生成する方法はヴィトゲンシュタインの世界から分節を取り出す方法とよく似ているように思った。

もしそうだとすると、逆説のようであるが、現在の脳科学の発達と機械による言語の学習技術などの発達によって、そのうち哲学は言語の領域も失いつつあるのではないだろうか。科学はかつては哲学の領分だった。しかし科学が発達し専門化すると、哲学は科学の領域の大部分を失ってしまった。ちょうどその時と同じことが言語哲学にも起きるだろう。

★★★★☆

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