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台湾漫遊鉄道のふたり

楊双子 訳・三浦優子 中央公論新社 2023.4.25
読書日:2023.9.6

(ネタバレあり。注意)

太平洋戦争前に植民地だった台湾を訪れて、気兼ねのない鉄道と食事の旅を望む女流作家の青山千鶴子は通訳として似た名前の王千鶴に出会うと、王千鶴は通訳の枠を越えて千鶴子の世話をし、二人はお互いに惹かれ合うが、親友になりたいと願う千鶴子の思いに反して千鶴は心を開かない。そこには千鶴子には思いが及ばない、植民地を支配する側と支配される側の越えられない壁があったのだった。

本作は「美食x鉄道x百合」小説なんだそうだ。いったいいくつ掛け合わさっているんだという感じだが(笑)、キワモノではない。きちんと時代も登場人物の気持ちも十分に書かれているし、百合の部分もいやらしい部分はない。というか、あまりに淡く書かれているので、言われないと百合と気が付かないくらいだ。わしも、もしかしたら、そうなの?というぐらいしか分からなかった。作者によれば、百合小説はレズビアン小説(女同士文学)よりも幅広く、友情から恋愛までの感情を扱うものらしいから、当然なのかも知れないが。

主人公の女流作家の青山千鶴子は、林芙美子がモデルだそうで、奔放で気取らない性格だ。男性なんかくそくらえという感じだから、女のくせにみたいな発想は受け付けず、自由に生きていいのよというオーラを発散しまくっている。美食といっても、本物の美食はもちろんだが、それぞれの地域で食されている、普段の食事を楽しみたいと思っている。

いちおう台中市の招きで来ているので市役所の役人が世話をしようとするのだが、そんな性格だから窮屈な対応に嫌気をさして、自由に行動するために伝手を頼って、王千鶴を雇うことにする。通訳として雇ったのに、千鶴は秘書的にいろいろ面倒を見てくれて、しかも料理も上手なので、普段の食事も千鶴子の願いどおりに作ってくれる。講演会の旅行の手配も、その地で食べるものも千鶴子の気持ちを反映させた抜群のコーディネート力を発揮する。

こんなふうだから、千鶴子はすっかり千鶴に頼りっきりだ。その能力は凄まじく、台湾の歴史や民族的な事情なども事細かに解説するし、芸事も披露してくれるし、簡単なフランス語の会話すらもこなしてしまう。そして千鶴子をどきっとさせるちょっとした仕草までも天才的だ。まだ若いのに、いったいこんな能力をどうやって身につけたのか、千鶴子は興味津々なのだが、やっぱりくわしい話をしてくれない。

時が経つうちに、2人の関係もぐっと近づくのだが、千鶴は結局最後まで心を開くことはなく、通訳を辞めてしまうのである。

当然ながら、千鶴が辞めてしまうとうまくいかないことばかりだ。そうするうちに、初めて千鶴子は自由とか解放とかを叫んでいるのに、いかに自分が傲慢だったのかが理解できるのである。日本が支配者で支配される側の台湾人の立場を、千鶴子はまったく理解していなかったのだ。千鶴とうまくいっていたのは、千鶴がただただ千鶴子に合わせてくれていたからで、本当の親友には(ましてや恋人には)なりようがなかったのである。

千鶴子の台湾最後の旅は、千鶴の住んでいる台中市の市井の人たちが住んでいる街への、2キロほどの徒歩の旅だ。ずっと台中市に住んでいたのに、彼女はそこには行こうともしなかったのだ。(この辺にも千鶴子の独りよがりの傲慢さが表れていて、とてもうまい。)

2人は、川にかかる橋の上でひとつの氷蜜豆を分け合った。それが最後の2人で食べた美食だった。

というのが、話の概要だが、日本人の女流作家を主人公にして、その一人称で書いているのに、日本人が読んでもまったく違和感がないのは驚くばかり。

この本はまったくのフィクションなのに、当時の本物の小説の再出版だと勘違いされたそうだ。そしてそうなるようにわざと偽装が施されているんだけど、偽装がなくてもなかなかこれは分からないだろうな、と感じました。当時の文体すら真似しているそうだから。(訳書ではその辺は分からないけど)。

ヨーロッパなどには植民地人と本国人の微妙な関係について書いた作品は結構あるけど、日本の統治時代についてこれほどスマートに微妙な内容を書き分けるというのは、本当に驚きです。

そういうわけで作者の才能には感嘆するばかりで、本作は台湾の文学賞を軒並み受賞しているそうですが、それには特に何の驚きもありません。

出てくる料理を検索しつつ読みましたが、どれも美味しそうです(笑)。料理は現在でも食べられるものばかりだそうです。(中国に侵略される前に、もう一回台湾へ行かなくちゃ。)

★★★★☆

 

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