AI vs. 教科書が読めない子どもたち

新井 紀子 東洋経済新報社 2018年2月2日
読書日:2018年12月22日


東大合格を目指す東ロボくんロジェクトを率いた数学者、新井紀子が東ロボくんを開発して得たAIの知見とAIが普及したときに人間に求められる能力について述べた本。

題名から想像されるように、人間がAI時代に生き残れるのか、という危機感をあおる内容なのかと思いきや、最初にさんざん語られるのはAIの限界について。

テストを受けるといっても、AIは問題の中身を理解して解答しているわけではないと言う。

AIにはフレーム問題という固有の問題があり、ある枠を決めてその中で最適化しているにすぎず、受験問題のような柔軟で非常に幅広い内容については、フレームの設定などはしようがなく、AIはまったく対応できないという。そこで各学科ごとに、力わざを駆使して、無理やり解くようなプログラムを開発していったのだそうだ。

こうした経験から、新井さんは、AIがいつか人間の知性を越えるというシンギュラリティについてはまったく懐疑的で、少なくとも当面はあり得ない、という立場である。

わし的には、ディープラーニングを使った現状の人工知性では、それは無理だろうと思う。が、まだ新しい原理の開発、あるいはディープラーニングのメタ化で、カーツワイルが設定した2045年までにシンギュラリティを達成できる気もする。

それでは、人間はAIに侵略されないのかというとそういうわけではなくて、フレームを設定できる問題に関しては圧倒的にAIの方が優秀であり、しかも現在の人間のほとんどがそういう仕事に従事しているため、やはり影響を受ける。

したがって、AIには不可能な領域、つまりフレームの枠を超えるような発想が必要な仕事をしなければならないという。新井さんのイメージでは、どうもそれは限りなく起業的な仕事になっていくようだ。それは例えば、他人の不便を解消してあげたり、困ったことを見つけられることが必要だという。女性のように他人に共感できる方が有利ではないかという。

ここで、重要になってくると主張するのは、意味を考える力(読解力)だと新井さんは思っているようだ。そうした中で、きちんと教科書に書かれていることを書かれてある通りに読めないようなレベルの人は困難に直面すると考えているらしい。それは人の中の80%にも相当する。

だが、わしは新井氏の懸念には賛成しかねる。

話は逆ではないだろうか?

わしは人間とAIの区別は「~したい」という欲望で十分であると思う。AIはそのような欲望を持たないからだ。自分の欲望に従って何かをする。それだけで、非常に価値がある。たとえばキャンプに行った映像を動画配信するだけでも、0.1%の人が関心を持てば、大変な価値を生む。

また「~したい」には、かならずお仕着せでは満足できないところができるから、本人なりの工夫が入りから、その小さな工夫は、ほとんどの人には役に立たなくても1000人の人には役に立つかもしれない。だとすれば、それは大きな価値だ。

他人の不便や困ったことに共感できなくてもいいのだ。自分の「~したい」に忠実にするだけでも、価値が生じる。

ここに教科書を正しく読めるとか、最小限の論理思考とかは関係ない。もともと人間はその程度のいい加減な存在なのだ。それでもいいと言ってくれるのが、次のAI時代だ。そうであってほしい。

★★★★☆

 


AI vs. 教科書が読めない子どもたち

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