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個人投資家目線の読書録

インフレの時代 賃金・物価・金利の行方

渡辺努 中央公論社 2026.1.25
読書日:2026.5.16

経済学者の渡辺努が、日本はなぜデフレに陥ったのか、どうやってデフレから脱出できたのか、これからどうなるのか、について説明した本。

わし流に非常に簡単にまとめると、デフレに陥ったのは世界がグローバル社会になったから、デフレから脱出できたのは脱グローバル社会になったから、と言えそうだ。

90年代、日本は円高であり、そして世界はグローバル社会に突入していた。これでは中国などに勝てないということになり、賃金を抑制しようという動きが経済界から出てきて、労働側も仕事がなくなることを恐れてそれに同調し、日本全体で賃金が上がらない社会が誕生した。賃金が上がらないから物価も上げられない。こうしてデフレに陥った。

日本は意図的に「安い日本」を作り出そうとしたと言える。これは、ほぼ日本国民の無意識の総意だったと言ってもよいのではないか。世界的に不思議な対応で、ここまで極端な対応をしたのは日本だけだった。これは日本の文化的な性質としか言いようのない対応だった。

通常このような対応をしても、コストが上昇すればふつう企業は値上げをする。しかし日本の企業は驚異的な現場の対応力で、これを吸収してみせた。しかも、品質は維持しながら。つまり所得は上がらなくても、豊かな生活はほぼ維持されたのである。

これで値上げしなくて当然という消費者の気持ちを固定化していった。つまりインフレ予想値をゼロにしてしまった。もしも、品質が悪化したり、生活状態が悪くなったのなら、変えようという気分も起きただろう。しかし、豊かな生活がほぼ維持される中では、日銀がインフレ予想値を上げようと努力しても、このままでいいという国民の予想を変えることはできなかった。

ただ企業の現場の対応力というのは、国内の供給力だけでまかなったわけではなかった。日本の労働人口は90年代から減少局面に陥っている。当然、供給力が不足したが、それは海外生産などの海外の供給力でまかなわれたのだ。

つまり、物価上昇ゼロ、賃金上昇ゼロが始まったのはグローバル社会の到来がきっかけだったが、豊かなデフレ社会を継続できたのも、グローバル化を積極的に利用したからだというのが、わしの理解だ。デフレ社会のきっかけもその維持も、グローバル社会がなければ成り立たなかった。

こうして「安い日本」を目指したが、長年それを実行しているうちに、行き過ぎて「安すぎる日本」が誕生してしまったのだ。

それが反転したのが、20年代から本格化した脱グローバル化の動きだ。もちろん、ウクライナ戦争とかパンデミックも重要だったかもしれないが、根本的には脱グローバル化が重要だったと思う。海外ではなく国内に供給力を作らなければいけないという状況になって、これまで隠されていた供給力の不足が誰の目にも露(あらわ)になった。露になった現実を見て、値上げを容認する気風が生まれた、というのがわしの理解である。

渡辺さんは、まだ出版の時点ではインフレの世界が定着したか不安視しているようであるが、脱グローバル化に舵を振った以上、元に戻ることはないとわしは確信している。

今後どうなるかということであるが、インフレが定着すると、確定することがひとつあると渡辺さんは指摘している。それはインフレによって、一時的に政府に富の移転が起きるということである。過去の非常に低い金利の国債の返済よりも税収が上回ることが原因だ。その金額は、総額180兆円になるという。これが高市政権の積極的財政論の根拠になっているのだろう。ぜひただ国民にばらまくのではなく、有意義に投資をしてほしい。

インフレになると、市場の価格シグナルが正常に動作し始めるという。適正な価格シグナルによって、売買や投資の効率があがるという効果がある。この効果がきちんと発揮されるとどうなるのか、注目していきたい。この価格シグナルは、インフレ率5%以下ならきちんと働くのだという。各国の中央銀行がインフレ目標を2%に設定しているのは、2%台なら5%の半分で上にも下にも余裕があるからなのだそうだ。

というわけで、脱グローバル化社会では、世界における日本の立ち位置は非常によろしいと、わしは確信しているので、日本経済にも超楽観的です。(いつも同じことを言っていますが(笑))

★★★★☆

 

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