ミーガン・ローゼンブルーム 訳・阿部将大 原書房 2026.3.3
読書日:2026.5.9
医学書専門図書館の司書をしている著者のローゼンブルームが、人間の皮膚で装丁された本に魅せられ、その歴史を追った本。
わしは本は読むものだと思っていて、書いてあることを読めれば別にその形式は問わない。つまりデータさえあればそれでいいので、そうなるともっとも良い本の形態は電子本ということになる。自分で本を買う場合は、読み終わった後誰かに回す予定があるとき以外は、電子書籍で購入している。わしは紙の本がたまっていくのを非常に嫌っているのだ。
しかし、本をモノとして愛する人たちがいるのも事実である。このような人は書いてある中身はどうでもよくて、本自体の美しさや稀少性に目が行って、そのような本を収集することを最高の至福にする。このような人を「ビブリオマニア」という。
著者のローゼンブルームは図書館の司書なのであるが、彼女によれば、世間の人は司書とは図書館で本を読んでいる人という思い込みがあるという。しかし司書とは本を管理して読みたい人に届ける人のことであり、つまり彼らはモノとしての本を管理している人なのだ。実際、仕事中に本を読む時間はあまりなさそうだ。
しかし、アメリカではすでに図書の貸し出しの3〜4割が電子書籍になっていて、司書の間では自分たちはそのうち絶滅する、というのが定番のジョークになっているそうだ。しかしローゼンブルームの意見では、データ化が進むほど、司書はますますモノとしての本についての専門家になるのではないか、と考えているようだ。つまり、司書のビブリオマニア化である。
もしそうだとすると、彼女は最先端の司書の一人ということになるのかもしれない。何しろ彼女はこの本の題名である、人皮装丁本(にんぴそうていほん)、つまり人の皮膚をなめして本の装丁に使った本の専門家なのだ。もっともそれを専門の職業としているというよりは、普段の司書の仕事の傍ら個人的にやっているというのが近いようではあるが。
人皮装丁本に出会ったのは、彼女が医学関係の図書館の司書をしていることに関係があるようだ。つまり、司書を目指していたころに研修していた医学系の図書館に展示してあったのである。それについて、人の皮膚を使っていることに倫理的にショックを受けた、と書いてはいる。しかし、どうも信じられない。確かに倫理的なショックも受けたのかもしれないけど、ようするに興味津々になってしまった、というところが本当のところなんじゃないですかね。
それで調べてみると、医学系の図書館では何冊かそういう本が保管されていることが分かった。
では、なぜそのような本が医学系の図書館にあるのかということであるが、つまりビブリオマニアの医者が、自分の患者の死体から皮膚を切り取り、自分の大切な本の装丁に使った、ということなのである。人皮装丁本は誰の皮膚を使ったのか分かっていないものが多いのだが、医師がメモなどを残しており、どの患者の皮膚なのか分かっているものもある。
しかし、なぜこのようなことが可能なのか。
どうも米英系の法律では、「死体は誰の所有物でもない」、ということになっているようなのである。だから、死んでしまえば死体には何をしても法律的な問題は起きないらしいのだ。この辺は日本人にはちょっと違和感がある。
しかし、このように人皮装丁本と言われている本があったとして、それが本当に人の皮膚でできているかどうか確認する必要がある。なにしろ人皮装丁本というのは、ビブリオマニアにとって垂涎の品らしいのである。非常に高値で売買される。だから偽物が横行しているのだ。動物の皮を使っていながら、人皮装丁本として流通しているのだ。
かつての確認方法は、本に書かれてあるメモや、あるいは毛穴を詳しく観察してその特徴から判断するしかなかった。ところが現代化学の発展は素晴らしい(笑)。非常にわずかなサンプルに適切な処理をすると、サンプルに含まれているたんぱく質を特定でき、そのたんぱく質のパターンによって、その装丁が何の動物の皮膚か確実に判断できるようになったのである。ペプチド・マス・フィンガープリンティング(PMF)という方法である。要するに、たんぱく質の質量分析である。
このような技術を開発した化学者(もと製薬会社に勤めていたけど、飽きてしまって、会社をやめてこういう技術を開発しているそうだ)とタッグを組んで、著者は人皮装丁本と言われている本が本当に人間のものなのか確認していったのである。
その結果は人皮装丁本と言われているものの約半分が本物の人皮だったそうだ。
では、そういう本はどういうものが多かったのだろうか。その答えは、圧倒的に医者が死体からとったものが多かったのである。
ナチスがユダヤ人の皮膚を使ったという人皮装丁本があるのだが、その中で本当に人間の皮膚を使ったものは1冊もなかったのである。ナチスの場合は、ユダヤ人の歯を抜いたり、髪を集めてフェルトなどにしていたので、そういう噂を信じてしまいそうになるが、そういうことはなかったのである。
同じように、フランス革命時に大量にギロチン処刑された人の皮膚から作られたという本も存在するが、それも動物の皮であって、人のものではなかった。
では、歴史的にいつ頃の本が多かったかというと、19世紀に医者が死体から取った皮を使ったものが多いのだ。これは18世紀後半にイギリスで解剖学校が流行った影響があるという。
18世紀半ばの有名な解剖学校に、ウィリアムとジョンのハンター兄弟が経営した解剖学校がある。学生が自分で解剖できるという学校で、あまりに流行したので死体が足りなくなり、墓場を荒らしまわったり、亡くなったすぐの死体を買いとったりしていた。こんなことが可能だったのは、先に触れたとおり、イギリスでは法的に「死体は誰のものでもなかった」からで、死体を徹底的にモノとして見る見方が社会に根付いていったのである。このような見方がのちの19世紀に、医者が死体から皮膚を取る人皮装丁本につながったのは間違いないようだ。
なお、ジョン・ハンターについては以下の本に詳しく、この本は超お勧め。実際、本書よりもはるかに面白いので、この本よりこちらを読むようお勧めする。
人皮装丁本に関しては、白人から取ったのに、黒人奴隷や先住民の皮膚と偽って流通しているものもあるそうだ。これは白人なら問題だが黒人や先住民ならOKという、人種差別的な発想から来ているもので、これまた倫理的にいかがなものか、ということのようだ。
しかしですねえ、死体をモノ化しているといって言っている本人が、本について、書かれた内容よりも装丁したモノとして見ているわけで、自分でその矛盾を感じないのだろうか、という気がするんですよね。あんまり倫理について語らない方がいいんじゃないかって気がします。なお、著者は完全なビーガンだそうで、意識高めの人であるのは間違いなさそうです。
貸し出しできないけど閲覧は可能な重要図書を多数取り揃えている図書館の司書によれば、たくさんの重要な本があるのに、閲覧希望は人皮装丁本ばかりだそうです(笑)。この辺が人間の正直な気持ちを表しているような気がするな。
しかし、倫理的に何ら問題がない人皮装丁本もあって、それは本人の希望により本人の皮膚で作られたものだ。例えば、刑務所で病死したジェームズ・アレンは自分の人生の告白録を書いたが、その表紙に自分の皮を使ってほしいと頼み、遺言通りに、彼の皮膚を使った人皮装丁本が作られた。その本は彼が唯一認めた勇敢な男、ジョン・フェノ・ジュニアに送られたそうだ。
なので、もしもあなたに愛する人がいて、あなたが死にかけているのなら、愛の言葉をつづった本を作って、自分の皮で装丁して送るのもいいかもしれません。受け取ってくれるかどうかは分かりませんが。でもきっと生涯、記憶には残るでしょうね。究極の変態としてですが。
★★★★☆

