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中世ヨーロッパの魔術師

タビサ・スタンモア 訳・ダコスタ吉村花子 河出書房新社 2025.12.10
読書日:2026.5.5

中世ヨーロッパにたくさん存在していたらしい、失せ物や病気、恋愛など、人々の悩みを魔術を使って相談に応じていたカニングフォーク(賢い人たち)と呼ばれる魔術サービスを行う人たちについて、おもにイギリスの記録に基づいて書いた本。

カニングフォークのやっていることは、日本でも日常的に行われている占いや縁起物と大して変わらないものである。しかし、これが中世ヨーロッパの社会や人々の考え方と直接結びついているところが面白い。どちらかというと魔術より中世の人たちの発想のほうが面白かった。

カニングフォークは魔術を使うというけれど、悪魔と結びついた黒魔術や魔女とは違い、もっとカジュアルな存在だったらしい。黒魔術とは違って、ポジティブな魔術で、白魔術に近い。彼らの日常の実態はほとんど分かっていないけれど、時には客ともめることがあり、そんな時に裁判の記録として登場するのである。その裁判とは宗教裁判ではなく、世俗的な裁判であり、彼らが悪魔に結びついているとかそういう宗教的なことは問題にならない。裁判になったものは、ほとんどは、望み通りの結果が得られなかったというものなのだ。しかし、裁判の記録でもカニングフォークの魔術について詳しくは書かれていないそうだ。その意味するところは、当時はあまりにも当たり前の存在だったので詳しく書くまでもない、ということらしい。それだけ普通だったということだ。

失せ物では、スプーンがなくなったとかそういったもので、カニングフォークの助けを求めている。スプーンがどんなに高価なものか、100円ショップで気軽に買っている現代人には分からないが、中世のスプーンは職人の手作り(ハンドメイド)で一点ものだったからむちゃくちゃ高価だったらしい。こういう依頼があると、どこそこにあるとか、だれだれが盗んだとか、そういう情報を占ってくれたり、魔術をかけてくれたりする。

恋愛だと、好きな人を振り向かせる、あるいは嫌いな相手と縁を切る魔術というのはもちろんだ。しかしもっと切実な問題もある。当時は、夫が亡くなったりすると残された妻と子供はたちまち破滅の道を歩んでしまう。当時はシングルマザーはほぼまともに生きていけない時代だったから、新しい夫を得るのはとても切実な問題だった。こういう切羽詰まった状況に追い込まれると、なけなしの金を払って、カニングフォークに新しい夫が得られるように頼んだりする。ほかには、子供ができない場合も、女性にはプレッシャーだった。子がいないことは離婚の十分な理由になるので、子供が生まれる魔術が必要だった。

裁判で勝つ魔法というのもあって、これは当時の裁判の状況も理解しなくてはいけない。単純な裁判だと魔術の出る幕はあまりない。しかし証拠だけでは決着がつかない場合、決闘裁判という方法がとられることもあった。決闘して勝ったほうが正しいというむちゃくちゃな方法なんだけど、これは神は必ず正しいほうを助けるという信念からきている。ただし決闘と言っても、実際に決闘をするのはたいていはプロの代理人のことが多い。もちろん雇う方は代理人が勝つようにあらゆる手を尽くす。たとえば決闘当日までの訓練とか。その中には勝つ魔術を使うことも含まれているのだ。なにしろ相手も魔術を使っているに違いないから(この当時、魔術はむちゃくちゃリアルな存在)、それに負けないようにこちらも手を尽くすわけだ。なお、当時の貴族でない平民の決闘裁判は、剣とかは使わず、こん棒とかが武器で、嚙みつきや目をえぐるのもありなので、なかなか凄惨なものになることもあったらしい。気休めとしても魔術は役に立っただろう。

病気を治す魔法は、基本的には患者の病気を自分に移して、自分が身代わりになるというものが多かったそうだ。移すと、じっさいにカニングフォークの具合が悪くなったらしい。まあ、このころの医学は魔術とどっこいどっこいだったらしいから、自分の命をかけているカニングフォークのほうが顧客の心を掴んだかもしれない。

というわけで、庶民にカニングフォークの魔術は必要不可欠のものだったことが分かるのだが、これが政治権力の世界に絡んでくると、庶民の世界以上にシビアになる。出世や失脚の原因にもなるし、もし国王が死ぬような魔法をかけたことが分かると処刑される危険もあった。有力者たちはお抱えの魔術師たちを持っていて、魔術をかけたり返したりしていたらしいから、もう魔術はテロと同じ感覚だったみたいだ。こんなことで、カニングフォークの魔術は禁止されることもあったが、ほかに頼ることもできない庶民の世界からはカニングフォークが消えることはなかったようだ。

この本では15世紀ごろまでのカニングフォークの話が中心だけど、こうしたカニングフォークは18世紀中ごろまではいたようだ。その後減っていった理由はもちろん啓蒙主義により科学技術が普及し、法律的にも魔術は否定されて魔術を使うものは単なる詐欺師という烙印を押されるようになったからだろう。しかし、作者の言うには、いまでも占いが盛んなように、カニングフォークのなごりは現代でもたくさん残っているのだそうだ。

日本については、この本ではもちろんなにも言及はないのだけれど、わしの私見を述べさせてもらうと、戦国時代まではけっこうカニングフォーク的なものは真剣にとらえるところがあったように思う。侵攻する方角とか、戦争を始める時期とか、そういうことが正しくなるように気を使っていたように思う。なにしろ、こういうところを間違えると、家来たちが心配して士気にかかわるかもしれないからね。しかし、江戸時代になると、カニングフォーク的なものはエンターテイメント化が進んでいったような気がするなあ。ヨーロッパよりも日本の方がエンタメ化する傾向は早かったんじゃないかという気がする。

★★★★☆

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