島田裕巳 育鵬社 2023.9.10
読書日:2026.1.16
神道は開祖も宗祖も教義もなく、もともと神殿もなく、専門の神主もいなくてもよく、天地を創造した創造神もなく、救いもなく、なにもないのが特徴だと主張する本。
神道には、通常の宗教にあると考えられているものが、本当になにもないんだそうだ。
ブッダやイエスやムハンマドのように開祖がいるわけでもなく、いつのまにか日本にあった。しかし、なにか信仰の対象に対象になるものがあるわけでもない。仏教にある仏舎利や仏像のような信仰の対象になるものは、禁じられていないのであってもよいが、とくに必須ではない。神殿も必須ではなく、実際、神社に社殿が建てられるようになったのはずっと後の時代のことで、もともとは大きな岩の周辺や、なにもない森などの一部が神聖な場所として囲っただけだったらしい。
神社には祀ってある神がいることはいるのだが、神話上の神であることもあれば、実在の人間がいつの間にか神になっていることもある。つまり何でもいいらしい。ほとんどの日本人は神社にどんな神がいるか気にしていない。そして日本人は神社に願い事はするけれど、神道の神はご利益を約束しているわけではないし、もし実現しなくても神を非難することもない。実現すれば、もちろん感謝はするのだが。
そうすると、神道とは、スピリチュアルな場そのもののことであって、その場に身を置き、なにかを感じる、それ以上の意味はなさそうなのである。何かをなすわけでもなく、ただそこにある、あり続けるというもののようだ。
しかしなにもないという構造のおかげで、神道は仏教と結びついても問題なかったし、明治時代になって国の宗教になっても問題なかったし、しかももともとなにもないゼロなのであるから、分霊といっていくらでも神を分割して、神社を増やすこともできるのである。
神道にはなにもないというこの本を読んで真っ先に思い出したのは、河合隼雄の「中空構造日本の真相」という本である。この本で河合隼雄は、日本では中心には実体がなく空であり、その中心のまわりでいろんな力がバランスを取る構造を取ると論じた。
政治的には、それは天皇である。天皇は現在は憲法で象徴とされているが、実際にはずっと昔から象徴としか言いようのない存在で、天皇自体には強力な力があるわけではなく、中心にただ存在しているだけで、しかしそこにいてくれないと政治的なバランスが取れないという不思議な存在である。実質的にはいろんな政権が現れて実権を握ったが、どんなに新しい政権が現れて消えても、天皇だけは何事もないかのように続いていく。
神道も天皇も、日本の神話から地続きな存在なので、同じようなものと考えていいだろう。だから、神道にはなにもないと言われても、わし的には特に驚きはない。
この、ただ続いていく、という感覚だが、日本にはそういうところがあるように思う。日本は世界でもっとも長く企業が続いている国でもある。だからそれは神道や天皇だけではないのである。続けることだけが目標になると、ゼロから1を起こすような起業とは違った精神が必要になるだろうし、日本人にはそれが合っているようにも思える。
日本の産業多様性が驚くほど高いのも、めったにやめないからなのかもしれない。できるだけ、細くとも長く続け後世に伝える、というのが日本の真骨頂のような気がする。中身がないなら、なおさらそれはやりやすいだろう。
自分には中身がなにもないなあと思っている人がいるかも知れませんが、続く、続ける、ということだけで意味があるかもしれませんよ。
★★★★☆

