ヘタレ投資家ヘタレイヤンの読書録

個人投資家目線の読書録

世界はなぜ地獄になるのか

橘玲 小学館 2023.8.6
読書日:2026.1.5

キャンセルカルチャーは、リベラルの正義論が逆転したものであり、そのような極端なキャンセルカルチャーに巻き込まれないためには、地雷原に近づかないという方法しかないと主張する本。

キャンセルカルチャーとは、不適切な発言や行動(遠い過去のことも含む)があると、激しく攻撃してその人の存在自体を社会的に抹殺するような活動のことである。いまも毎日、名のある人々がキャンセルされ続けている。

このときより激しいのは、女性や障害者、LGBTなどの性的マイノリティなどの弱者に対して差別やハラスメントを行う行為に対するキャンセルである。

リベラルの思想が蔓延すると、社会正義がひっくり返り、マイノリティの方がマジョリティよりも強くなるという逆転現象が起きるらしい。なぜか。ブラックローズとリンゼイは『「社会正義」はいつも正しい』にその理由を書き、橘玲はこの本を引用している。わしはこの本を読んでいないので、とりあえず橘玲の文章から何が起きているのかを見ていこう。

フランスで起きたポストモダニズムアメリカに来て、社会正義に応用した応用ポストモダニズムに発展したのだという。応用ポストモダニズムは様々な文化現象から、植民地主義、人種差別、性差別、LGBT差別などの痕跡を暴き出し、それを「脱構築」して「差別」と戦うというものだ。

さらに、2010年代、「物象化ポストモダニズム」に発展して、テキストに差別が埋め込まれていると、やがてそれが現実の差別として実体化する(物象化)という解釈に変わったのだそうだ。この考え方では、普段使う言葉から差別を取り除く必要がある。こうして、人々の言動を監視するキャンセルカルチャーに発展したのだという。

このような考え方で大事なのは、差別というものは社会構築物として社会に埋め込まれているという考え方だ。すると、そうした社会を構成している人々は、たとえ本人が差別的でなくても、そのような社会を支えているというだけで、その人に罪があるということになる。こうして、社会を構成しているマジョリティ(例えばアメリカでは異性愛者の白人)は、存在しているだけで罪、ということになり、何も言えなくなってしまい、マイノリティの正義が跋扈する、ということなのである。

わしはポストモダニズムについてはさっぱり理解できないのではあるが、この手法には見覚えがある。キリスト教が信者に、おまえたちはそもそも原罪がある罪深い存在だから、神の許しを得なければいけない、と宣言する手法がそれだ。おそらくキリスト教がなければ、キャンセルカルチャーの手法は発想されなかったような気がする。

わしが思いつく別の例としては、マイノリティである植民地の支配者がマジョリティの植民地の住民に人頭税を課して、お前たちには借金が(未納の人頭税)があるのだから、それを返さなくてはいけないと主張して、自国の貨幣経済に強制的に組み込む方法がある。(不思議なことに、なぜかこの方法はうまくいくらしい。ふつうの人間は借金をしているという状態に耐えられないかららしい)。

他にも、革命の時とか歴史認識が問題になる時など、マイノリティの弱者の方が道徳に有利な立場に立つことがある。

このように、マジョリティに説明不能、反証不能な原罪があると主張することで、マイノリティのほうが強い立場になるという現象が起こり得るのである。マイノリティの主張には一理あるので、完全に否定するのは難しい。

こうして、人々の発言や行動は厳しく監視され、差別的だと判断されると、激しいキャンセルにあうのである。

このような風潮が続く限り、現代ではいつ、だれがキャンセルカルチャーにより存在を否定されるかわからない。この地獄に落ちないためには、なにより巻き込まれないように注意し、地雷原に近づかないようにするしかないようだ。

わしもこれだけ駄文を書き連ねているからには、いつキャンセルカルチャーに巻き込まれるか分かったものではない……のではあるが、しかしながら、なにしろキャンセルされる社会的存在感がほぼないのであるから、心配する必要はないかな(笑)。

★★★☆☆

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